第10話「放送事故ではないけど、わりと事故だった月曜日
第10話「放送事故ではないけど、わりと事故だった月曜日」
◆
MUSIC CANVASの放送日は、月曜日の夜十時だった。
私とノエルは、テレビの前に正座していた。
社長から「ちゃんと見て反省点を探しなさい」と言われていた。
でも正座になったのは自分でもよくわからない。なんか、そういう気分だった。
というか、正座しないと落ち着かなかった。
推しのライブBDを初めて見るときも、正座する。新作アニメの一話を見るときも、正座する。大事なものを見るときは正座するものだと体に染み付いている。
今日のこれが「大事なもの」かどうかはわからなかった。
でも、自分がテレビに映る日というのは、人生で何回もないと思う。たぶん。いや、これからもっと増えるのか。増えるのか?
(増えるのか……)
お茶を一口飲んだ。
「するの?」
「するよ。自分が映るんだよ?」
「ノエルが緊張するのか」
「するよ! 天使でも緊張するよ!」
私はお茶を一口飲んだ。
緊張、というより、覚悟、に近い感じだった。
テレビに自分の顔が映る。
全国に。
知り合いにも。
バイト先の客にも。
もしかしたら、小学校の同級生にも。
(やめろ。考えるな)
「始まった」とノエルが言った。
番組のオープニングが流れた。
◆
出演者が紹介されるシーンで、私は変な声が出た。
テレビの中に自分がいた。
知っている顔なのに、知らない人みたいだった。
ちゃんとしていた。メイクが入っていて、照明が当たっていて、カメラがいい角度で撮っていた。
「あかりかわいい」とノエルが言った。
「うるさい」
「かわいいよ」
「自分の映像見てる場合じゃないでしょ」
「かわいいって言ってる」
私はテレビから目を逸らした。
自分の映像を正視できないのはオタクあるあるだと思う。推しの映像は何百回でも見られるのに、自分のはなぜか無理だ。
でも気になる。
気になるから横目で見る。横目で見て、恥ずかしくなって、また逸らす。
これを三回繰り返した。
(推しを応援するのに使ってた目を自分に向けるのがこんなにしんどいとは思わなかった)
推しの映像は全力で見られる。アップも、スローも、コマ送りも、全部いける。でも自分のは横目でも無理だった。
なんなんだ。これは何の修行なんだ。
◆
Lumière Angeの出番が来た。
「光の先へ」のイントロが流れた。
私はそっと目を閉じた。
「見なさいよ」とノエルが言った。
「見てる」
「目閉じてる」
「心の目で見てる」
「開けて」
仕方なく開けた。
テレビの中で、ノエルが歌い始めた。
私がギターを弾いていた。
最初の一音の前に、一瞬止まった瞬間も、ちゃんと映っていた。
(映ってた……あそこ映ってたのか……)
「あかり顔が赤い」
「見てない」
「赤い」
「見てないから」
演奏が終わった。
テレビの中の自分が、深くお辞儀をした。
思ったより、ちゃんとしていた。
思ったよりも、ずっと。
「……悪くない」
「そうでしょ」とノエルが言った。得意げだった。
◆
GODSYの出番は最後だった。
聖が歌い始めた瞬間、なるほどと思った。
うまかった。
というか、オーラが違った。
雑誌の表紙を総なめにするのがわかった。ステージに立った瞬間に、空気が変わる人間というのが存在する。聖はそういう人間だった。
でも。
(刺さらない)
うまいのはわかる。すごいのもわかる。客観的に評価できる。
でも刺さらなかった。
オタクの熱量というのは不思議なもので、「すごい」と「好き」は全然別のところにある。私の「好き」のスイッチは、聖には入らなかった。
男性アイドルというより、そもそも人間に対してそのスイッチが入ったことがあまりない。
推しはアイドル。推しはキャラクター。推しは二次元のこともある。三次元でも、ステージの向こう側にいる人を、安全な距離から全力で好きになる。
隣にいる人間を好きになるという回路が、私にはたぶん、もともと細い。
(……なんでこんなことを今考えてるんだ)
(つっきーのせいか)
複雑な気持ちになった。
あの影の薄い男の子が、今、テレビの画面いっぱいに映っている。
私のせいで。
いや、そういう話じゃないと聖は言った。
でも、やっぱり、少し、複雑だった。
◆
番組が終わった。
私はスマホを開いた。
反射的にSNSで「Lumière Ange」を検索した。
オタクなので。
「見てる見てる見てる!!!!」
「akariかわいすぎるんだが」
「ギターの子の最初の一瞬止まったとこ切り取って永久保存した」
「また切り取った人いるし」とノエルが言った。
「もういい!!あそこの話はもういいから!!」
「かわいかったんでしょ」
「もういいって言ってる」
スクロールした。
「ノエルの声テレビで聴いたら更にやばい 人間じゃない」
「GODSYとLumière Angeが同じ番組に出てるの豪華すぎる」
「聖くんがチラチラakariのこと見てたの私だけ気づいてた?」
私は止まった。
「……見てた?」
「見てたよ」とノエルが言った。平坦な声で。
「気づいてたのか」
「気づいてた」
「なんで言わなかった」
「言う必要なかったから」
また平坦な声だった。
スクロールを続けた。
「聖くんとakariさんって接点あるの?」
「藤堂プロ繋がり?」
「でも聖くんGODSYだからレーベル違うよね」
「なんかMUSIC CANVASの収録で話してたって目撃情報あるけど」
目撃情報。
もうあるのか。
◆
爆弾が落ちたのは、放送から三十分後だった。
聖の公式SNSに、投稿が上がった。
「初恋の人に再会した。やっぱり、あの頃のままだった」
それだけだった。
それだけなのに。
私はスマホを見て、固まった。
五秒後、SNSが爆発した。
「え? え? え???」
「初恋の人!?!?!?」
「今日収録あったの誰!?」
「白石ことりさんか!? Lumière Angeか!?」
「聖くんに初恋の人がいたという事実で一旦息ができない」
「待って特定班集合」
特定班。
その二文字を見た瞬間、私の背中に冷や汗が流れた。
「……ノエル」
「見てた」とノエルが言った。すでにスマホを見ていた。
「特定班が動いてる」
「うん」
「まずい」
「うん」
私はスマホを握りしめた。
特定班というのはすごい。
私はオタクなので知っている。推しの情報を集めるためにどれだけのエネルギーが動くか、身をもって知っている。あの熱量が今、聖の「初恋の人」に向かっている。
(やめて。頼む。その熱量を他に使って)
でも止まらなかった。
しかも手順が完璧だった。
「今日の収録組で聖くんに接点ありそうなの絞ると……」
(そう、まず絞り込む。私もそうする)
「白石ことりさんは聖くんと面識なさそう」
(消去法。正しい)
「となるとLumière Ange?」
(そこに辿り着くのが早い。優秀だ。優秀すぎる)
「akariさんって素性不明だよね 顔出し最近だし」
(そう、そこを突く。私ならそこを突く)
「待って藤堂プロの新人で、しかも動画時代は顔出ししてなくて、名前がakari……」
(やめろ。やめてくれ。でも論理が正しい)
「小学校の同級生とかだったりして」
正解だった。
一時間で正解に辿り着いた。
「ノエル」
「うん」
「一時間で正解に辿り着いた」
「うん」
「特定班こわい」
「うん」
「私がいつも推しを追うのに使ってた熱量が今私に向かってきてる」
「うん」
「なんか、ごめんな、今まで特定してた推しに」とノエルが言った。
「それは今関係ない」
◆
SNSはそこから更に加速した。
「聖くんの地元調べたら都内の小学校特定できるんじゃ」
「待って待って待ってakariさんのインタビューで『アキバ周辺に住んでる』って言ってたよね」
「聖くんの出身地と一致する可能性が……」
「え待って待って待って」
「待って」
「待って」
「小学校、同じなんじゃ?」
私はスマホを置いた。
「……社長に連絡した方がいい?」
「した方がいいと思う」とノエルが言った。
私はため息をついた。
スマホを拾った。
社長のLINEを開いた。
既読がついた。
三秒後に返信が来た。
「見てます。明日話しましょう。今夜はSNSを見すぎないように」
さすがだった。
すでに把握していた。
「……社長、頼もしい」
「ほんとだね」とノエルが言った。
私はスマホを裏向けにしてテーブルに置いた。
見ない。もう見ない。
推しのライブ後のSNSも、こうやって見すぎて翌朝廃人になることが三回あった。学習しているはずだった。
でも三秒後にまた拾っていた。
「あかり」
「わかってる」
「置きな」
「わかってる」
「オタクをこじらせないで」
「わかってるって言ってる」
また置いた。
五秒もった。
また拾った。
「あかり」
「わかってる!!」
「わかってないでしょ」
「わかってるけど手が動く!!」
「オタクの病気だ」
「病気じゃない、性質だ」
私はスマホをノエルに預けた。
物理的に離すしかなかった。
そうしないと無理だった。
オタクなので。
◆
預けて三十秒で、ノエルが「あかり、森くんって人から連絡来てる」と言った。
受け取った。
LINEを開いた。
「神崎さん」
「神崎さん」
「神崎さん神崎さん神崎さん」
「今SNS見てますか」
「見てますよね」
「聖くんのポストの件、特定班がakariさんの方向に向かってます」
「同じ小学校説が出てます」
「俺、神崎さんの同級生だって知ってる人いないですよね??」
「俺は絶対言いません」
「でも他のバイトの人とかは……」
「神崎さん、大丈夫ですか??」
一気に読んだ。
「……森くん」
「なに?」とノエルが言った。
「オタクが、オタクとして心配してくれてる」
「どういう意味?」
「特定班の動き方を把握した上で、私を心配してくれてる。オタクの知識を守る方向に使ってくれてる」
なんか、じわっときた。
返信した。
「見てる。大丈夫。他の人には言わないでほしい」
既読が即座についた。
「わかりました!!! 口に南京錠つけます!!!」
「あと神崎さん」
「今日の放送、ギターかっこよかったです」
「最初の一瞬止まったとこ」
「神崎さん」
「あかり」
最後だけ、名前だった。
「ファンになりました」
私はスマホを置いた。
今度は自分から置いた。
「どうした?」とノエルが言った。
「……なんでもない」
「顔赤い」
「なんでもないって言ってる」
オタクの善意というのは、時々、予想外のところから飛んでくる。
◆
その夜。
高層マンションの一室で、聖はスマホの通知を眺めていた。
想定通りの反応だった。
想定通りに、特定班が動いていた。
マネージャーから「どういうつもりですか」という電話が来た。「意図的です」と答えた。電話が切れた。
聖はスマホを置いた。
窓の外の夜景を見た。
MUSIC CANVASで、一瞬だけ目が合った。
あかりはすぐに目を逸らした。
昔から、そういう子だった。
好きなものには全力で視線を注いで、それ以外はよく見ていない。
見てもらうしかない。
ちゃんと、見てもらうしかない。
聖はもう一度スマホを手に取った。
Lumière Angeの動画を開いた。
ギターを弾くあかりを見た。
最初の一瞬、ピックを振り下ろせなかった瞬間を、再生した。




