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采配のスローライフ  作者: PM
01_第一章
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003話_畑の見回り


「――また畑が荒らされたのか」


 あの日聞こえた大人たちの声が、しばらく頭から離れなかった。夜、布団に潜り込んでからも、あの重たい声色だけが、耳の奥に残り続けていた。


 数日後、俺は父の後ろにくっついて、村外れの畑を見に行くことになった。ダリオも一緒だ。朝露に濡れたあぜ道を歩きながら、ガインは、いつになく、無言だった。普段なら、歩きながらあれこれと狩りの話を聞かせてくれるのに、今日ばかりは、その口も、重かった。


「うわ……」


 畑の一角が、無残に踏み荒らされていた。せっかく育った芋の葉が土に埋もれ、掘り返された跡のあちこちに、大きな足跡が残っている。折れた茎が、朝日の中で、力なく垂れ下がっていた。土の匂いに、獣くさいにおいが混じっている。


「猪か、それにしちゃデカいな」


 ガインがしゃがみ込み、足跡を指でなぞる。眉間にしわが寄っていた。


「三度目だ。今年は特に回数が多い」


 畑の持ち主である年老いた農夫が、疲れた声で言う。日に焼けた顔に、深い疲労の色が滲んでいた。彼の後ろでは、妻らしき女性が、無言のまま、荒らされた畑を見つめていた。


「柵は?」


「作ったさ。だが、一晩で壊された。並の猪じゃない」


 周りに集まった村人たちの表情は、どれも暗かった。冬までに収穫が足りるかどうか、という現実的な不安が滲んでいる。誰かが、ため息混じりに、空を見上げた。この村の暮らしは、収穫の量でそのまま決まる。畑が荒らされるということは、冬を越せるかどうかに関わる問題だった。


「見回りの人数を増やすしかないか」


「猟師だって数が限られてる。夜通しは持たん」


 誰かが、疲れたように、そう言った。腕を組んだまま、額に手を当てる者もいた。


 大人たちの会話を聞きながら、俺は柵の壊れ方をじっと観察していた。ただ力任せに壊されたわけじゃない。低い位置の一点に、繰り返し体当たりした跡がある。他の部分は、ほとんど手つかずのままだった。まるで、そこが最も弱い場所だと、あらかじめ知っていたかのように。


(――これ、狙って弱いところを突いてないか?)


 賢い獣だ。単純に見張りを増やすだけでは、いたちごっこになる可能性が高い。前世でシステムの障害対応をしていた時も、似たようなことがあった。当てずっぽうに対策を打っても、大抵は空振りに終わる。まず原因を切り分け、可能性を一つずつ潰していく――それが一番の近道だった。


 柵の高さ、配置、見回りの時間帯。前世なら、こういう問題は「条件を整理して、最も効率のいい対策を考える」ところから始めていた。頭の中で、勝手にそのための思考が動き出す。壊された箇所の位置関係、風向き、森との距離――断片的な情報が、少しずつ、頭の中で線を結んでいく。獣が、どちらの方角から来て、どちらへ帰っていったのか。うまく条件を並べれば、次にどこを狙ってくるかくらいは、絞り込めそうな気がした。


 だが、口には出さなかった。


 五歳の子供が「柵の配置を見直したほうがいい」などと言い出せば、どう考えても不自然すぎる。せっかく、これまで大人しく振る舞ってきたのだ。ここで、余計な波風を立てるわけにはいかない。


「アオ、危ないから離れてな」


 ガインに手を引かれ、俺は畑の外へ連れ出される。振り返ると、大人たちはまだ顔を寄せ合って相談を続けていた。曇り空の下、その輪の中央には、確かな焦りが漂っていた。


「なあ父さん、俺たちも見回りするか?」


 ダリオが意気込む。腰に手を当て、いっぱしの猟師気取りだった。


「お前らはまだ早い。危ない獣がうろついてるんだぞ」


「えー」


 不満そうなダリオの隣で、俺は自分の非力さを改めて意識していた。


 考えることはできる。だが、この体では、動くことも、口を出すことも、ろくにできない。頭の中にある考えを、そのまま形にできないもどかしさは、前世で、上に意見を通せなかったあの日々と、どこか似ていた。分かっているのに、伝えられない。伝えても、聞いてもらえない。


 もどかしさが、胸の奥で小さくうずいた。


「アオ、帰るぞ」


 ガインに呼ばれ、俺は、名残惜しさを感じながらも、踵を返した。振り返ると、荒らされた畑が、朝日の中、まだ、はっきりと見えていた。


「大丈夫だよ、父さんたちが、なんとかしてくれるさ」


 ダリオが、慰めるように、俺の肩を叩いた。その優しさに、俺は、曖昧に頷くことしかできなかった。


 それでも――何かひとつくらい、こっそりできることがあるかもしれない。


 帰り道、俺は、頭の中で、いくつもの対策を、静かに、練り始めていた。あぜ道の脇に咲く名も知らぬ小さな花を、俺は無意識に、踏まないよう避けながら歩いていた。夕暮れが近づくにつれ、空の色は、少しずつオレンジ色に染まっていく。その光の中、俺は、これから、自分に何ができるのかを、じっくりと、考え続けていた。


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