018話_祭りの前日
気づけば、俺は十歳になろうとしていた。
この村では、十歳を迎える子供のために、毎年小さな祭りが開かれる。正式な「成人の儀」は十五歳だが、それとは別に、十歳は「独り立ちの始まり」として、村ぐるみで祝う風習があるらしい。
村の広場では、すでに、明日に向けた飾り付けの準備が進められていた。木々の間に張られた紐には、色とりどりの布切れが結ばれ、風に揺れるたびに、乾いた音を立てている。大人たちが組み上げる木のやぐらからは、トンカンと槌を打つ音が絶え間なく響き、その周りを子供たちが、はしゃぎながら駆け回っていた。
「明日はいよいよだな、アオ」
夕食の席で、ダリオがにやにやしながら言った。囲炉裏で煮込まれたシチューの湯気が、ふわりと立ち上り、香草の匂いが部屋に満ちている。
「お前も、いよいよ十歳か。もう赤ん坊の頃の面影ないよなあ」
「そりゃそうだろ、十年も一緒にいるんだから」
台所から鍋を運んできたメリアが、木の匙で俺の器にシチューをよそいながら、目を細めた。
「本当にねえ。あんなに小さかったのに」
軽口を叩き合いながらも、なんとなく、感慨深いものがあった。テーブルに並んだ、いつもと変わらない夕食の光景が、今日は、少しだけ、特別なものに感じられた。
あの死の淵から目覚めた日から、もう十年。振り返れば、あっという間だったような、それでいて、ひどく濃密な日々だったような気もする。あの赤ん坊としての無力さを、まだ、鮮明に覚えている。それが今では、こうして、家族と、笑い合いながら、食卓を囲んでいる。
「明日の祭り、あたしも家族総出で行くから」
夕方、家の前まで来たリゼットが、興奮気味に話しかけてきた。夕暮れの光を背に受けて、風になびく髪が、オレンジ色に染まっている。
「屋台も出るし、村中のみんなが集まるんだよ。アオ、楽しみにしてる?」
「もちろん」
「でしょ? 去年なんて、隣村からも人が来てたんだから」
得意げに語るリゼットの声には、明日への期待が滲んでいた。
「フェンも連れて行っていいらしいよ、村長の許可も取ったから」
庭の隅で丸くなっていたフェンが、名前を呼ばれたことに気づいたのか、こちらに耳をぴくりと動かした。すっかり大きくなった体は、もう子犬の面影がない。灰色の毛並みは、夕日の名残を受けて、静かに、艶やかに、輝いていた。
「明日は、大人しくしてろよ、フェン」
俺が言うと、フェンは分かっているのかいないのか、機嫌よさそうに尻尾を振った。
「じゃあ、また明日ね!」
リゼットは、そう言って、軽やかな足取りで、家路についていった。その背中を見送りながら、俺は、小さく、手を振り返した。
夜、床につく前、俺はぼんやりと天井を見上げていた。はりの木目を、指でなぞるように、目で追う。
この村での日々は、決して穏やかなだけではなかった。突然畑を襲った獣、隠しきれなくなった秘密、揺れる灯りに照らされた、あの夜のゴブリンの群れ。震える拳を握りしめて迎えた戦い。振り返れば、色々なことがあった。怖い思いをしたことも、一度や二度ではない。
それでも、家族がいて、ダリオがいて、リゼットがいて、フェンがいる。この温かさを、俺は前世では、うまく手に入れられなかった。
(悪くない人生を、もらえたな)
子供時代の終わり、というには、まだ早いかもしれない。それでも、何か一つの区切りが、すぐそこまで迫っている。そんな予感があった。
隣の部屋から、ダリオの寝息が、微かに聞こえてくる。窓の外では、フェンが、庭の隅で、丸くなって眠っているのが、月明かりに、うっすらと見えた。虫の音が、規則正しく響く中、俺は、瞼を、ゆっくりと、閉じていった。
夢の中でさえ、屋台の呼び込みや太鼓の音、子供たちのはしゃぐ声が、遠くから聞こえてくるような気がした。




