013話_村の危機
その報せが村に届いたのは、収穫祭を間近に控えた、ある夕暮れのことだった。
空は、夕焼け色に染まり、畑では、実りかけた作物が、風に揺れていた。誰もが、間近に迫った祭りの支度に、心を弾ませていた、そんな矢先のことだった。
「森の奥で、ゴブリンの群れを見た!」
息を切らして駆け込んできた見回りの猟師の声に、村中が一気に色めき立った。祭りの準備の手を止め、人々が、広場へと、次々に集まってくる。
「数は?」
「分からん、少なくとも二十は……いや、もっとかもしれない」
その声には、隠しきれない恐怖の色が滲んでいた。
ゴブリンは、単体ならさほど恐ろしい魔物ではない。だが、群れになると話は別だった。まとまりのある集団は、時に村ひとつを壊滅させるほどの脅威になる。
「なぜ急に、こんな数が……」
オーレンの家に集まった村の男衆の間に、緊張が走る。狭い部屋の中、揺れる灯りが、人々の影を、壁に、大きく映し出していた。俺は家の隅で、大人たちのやり取りを固唾を呑んで見守っていた。
「森の奥で何かあったのかもしれん。縄張りを追われたか、あるいは、もっと大きな存在に脅かされたか」
「いずれにせよ、放っておけば、遅かれ早かれこの村に来る」
「猟師の数は、たったの十二人だぞ」
「村の男を集めても、まともに戦えるのは半分もいない」
重苦しい沈黙が部屋を満たした。誰かが、深く、ため息をついた。
「柵を固め、女子供を中央の家に集めよう。ぎりぎりまで立てこもって、時間を稼ぐしかない」
誰かの提案に、いくつかの頷きが返る。だが、その表情はどれも硬かった。立てこもるという言葉の重みが、部屋の空気を、さらに、重くしていた。
俺は、拳を強く握りしめていた。
このままでは、間違いなく被害が出る。それも、小さくない被害が。フェンや家族の顔が、次々と、脳裏をよぎった。
(――俺に、できることはないか)
頭の中で、急速に情報を組み立てていく。村の地形、柵の弱点、猟師たちの得意分野、そしてフェンとダリオ。使える手駒は、決して多くない。だが、ゼロではない。前世で、限られたリソースの中、最善の采配を考え続けてきた、あの日々の感覚が、静かに、蘇ってくる。
全てを完璧に解決できるとは思えない。それでも、何もしないよりは、遥かにましなはずだ。
「父さん、ちょっと」
俺は、人混みから少し離れた戸口の陰へ、ガインを引っ張っていった。声を潜め、囁くように話す。声が、緊張で、微かに震えていた。
「ねえ父さん、柵の東側、低くなってるところがあるでしょ。あそこが一番弱いと思うんだ。だから、あそこをがっちり固めておいて、猟師さんはこっそり西側に多めに集めておいたほうがいいんじゃないかな」
ガインが驚いた顔で俺を見下ろす。周囲の大人たちは、まだ口々に言い合っていて、こちらには気づいていないようだった。
「なぜだ」
「ゴブリンってさ、賢いのがボスにいると、絶対に弱いところを狙ってくるんだ。だから、東側をわざと手薄に見せかけておいて、本当はみんな西に隠れておくの。おびき寄せてから、両方から挟み撃ちにする、みたいな」
自分でも驚くくらい、すらすらと言葉が出てきた。前世で培った戦略的思考が、こんな形で役に立つとは思わなかった。頭の中で組み立てた地形図の上に、次々と、駒が置かれていく感覚だった。
ガインは、しばらく黙って俺の顔を見つめていた。その目には、驚きと、そして、確かな真剣さが、宿っていた。
やがて、静かに息を吐く。
「――分かった。やってみよう」
ガインはそう言うと、何食わぬ顔で、大人たちの輪に戻っていった。
「柵の東を厚く見せかけて、実際の主力は西に潜ませる。誘い込んで、挟み撃ちにする」
まるで自分で考えたことのように、淡々と告げる父の背中を、俺は物陰から見つめていた。
周囲の大人たちからも、戸惑いながらも、頷きが返ってきた。
その一言に、俺は覚悟を決めた。
大人たちがまだ話し込んでいる隙に、俺はこっそりオーレンの家を抜け出した。外で待っていたダリオとフェンのもとへ、駆け寄る。
「フェン、ダリオ、聞いてくれ」
俺は、二人にも、これから起こることを、丁寧に、説明していった。緊張した面持ちながらも、二人は、真剣に、俺の言葉に、耳を傾けてくれた。
「お前の言うことなら、信じるぜ」
ダリオの、力強い一言に、俺は、深く頷いた。フェンも、任せろとばかりに、力強く一声鳴いた。
今夜、いざとなれば、この力を隠さずに使う。
それでも、村を守るために。窓の外は、すでに、すっかり夜になっていた。
村人たちは、武器を手に、それぞれの持ち場へと、次々に、向かっていく。子供たちと女性たちも、村長の家に集められ、厳重な守りの中、息を潜め始めていた。俺とダリオも、一度はそちらに向かおうとした。
だが、どうしても、柵の様子が気になった。東側は本当に手薄に見えているか、西側に潜んだ猟師たちの姿は、ちゃんと隠れているか――昨夜のうちに伝えた作戦通りになっているか、この目で確かめておきたかった。ダリオも、同じ気持ちだったのだろう。二人で頷き合うと、こっそり、柵の方へと足を向けた。
この村の、これまでの穏やかな日常が、今夜、大きな試練を、迎えようとしている。俺は、震える拳を、強く握りしめながら、自分に、そう、言い聞かせ続けていた。
空には、雲一つない、澄み渡った夜空が広がっていた。皮肉なほど、美しい星々が、俺たちを、静かに、見下ろしている。この穏やかな夜が、血なまぐさい戦いの舞台に変わってしまうことが、俺には、どうにも、信じがたく感じられた。
それでも――この村を、必ず守り抜く。




