011話_目立たないように
「なあ、あのワーウルフ、なんかおかしくないか」
村の広場で、猟師たちがひそひそと話しているのが聞こえてきた。荷馬車の陰に隠れるようにして、俺は、その会話に、じっと耳をそばだてていた。
フェンは日ごとに力を増していた。走る速さも、跳ぶ高さも、同じ年頃の魔物とは比べ物にならないほどだ。庭で軽く駆け回っているだけなのに、村の外れまでその評判が届いていた。
「まだ子供のはずだろう。なのに、成体顔負けの速さだって話だぞ」
「アオんとこで飼われてるやつだよな」
自分の名前が出るたびに、俺は心臓が縮む思いをしていた。冷や汗が、背中を伝う。
「アオ、最近フェンに何かしてるのか?」
夕食の席で、ダリオが不意に聞いてきた。囲炉裏の火が、パチリと、小さな音を立てた。
「な、何もしてないよ。普通に散歩させてるだけ」
「ふうん。でもさ、あいつ、俺が全力で走っても全然追いつけないんだけど」
嘘は言っていない。ただ、都合の悪い部分をすべて省いているだけだ。皿の上のスープを、意味もなく、スプーンでかき混ぜながら、俺は、平静を装った。
「たまたま、素質のあるワーウルフだったんじゃないかな」
「そんなもんかね」
ダリオはあっさり納得したように頷いたが、メリアだけは、少し違う表情をしていた。何かを探るような、静かな眼差し。俺はそれとなく視線を逸らした。母の観察眼の鋭さは、これまでも、何度か、俺を冷や冷やさせてきた。
翌日、俺はフェンを連れて村外れを歩きながら、これからのことを考えていた。畑の縁に沿って続く小道を、二人で、ゆっくりと歩いていく。
(このままだと、いずれ隠しきれなくなる)
ダリオの剣、バロンの番犬っぷり、リゼットの木登り、ラウの見回り、そしてフェン。
一つ一つは小さな出来事でも、積み重なれば、さすがに疑われる。実際、何人かはもう薄々気づき始めている気配があった。前世でも、小さな噂は、あっという間に、社内中を駆け巡ったものだ。この村も、規模は違っても、同じことなのだろう。
「フェン、お前は目立ちすぎだよ」
ぼやくように言うと、フェンは不満げに鼻を鳴らした。悪いのはお前じゃない、と俺は苦笑する。
これ以上、力を使うのをやめる、という選択肢もあるにはある。だが、畑を荒らす獣、森の危険、村の暮らしにくさ――目の前に困っている人がいれば、結局は手を伸ばしてしまう自分の性格が、よく分かっていた。それは、前世から、変わらない、俺の性格なのだろう。
(隠すんじゃなくて、うまく付き合う方法を考えたほうがいいのかもな)
まだ具体的な答えは出ない。それでも、ただ怯えて縮こまっているだけでは、何も変わらない気がした。前世で、理不尽に怯え続けた日々を、俺は、まだ、はっきりと覚えている。今度は、そんなふうに、生きたくはなかった。
夕焼けに染まる道を歩きながら、俺は隣を歩くフェンの頭を、そっと撫でた。西の空が、燃えるように、赤く染まっていく。
「もう少しだけ、静かにしてような」
フェンは分かっているのかいないのか、機嫌よさそうに尻尾を振っていた。その屈託のない様子に、俺は、思わず、小さく笑ってしまった。答えの出ない悩みも、フェンといると、少しだけ、軽く感じられる気がした。
道の先、村の共同井戸のあたりで、数人の村人たちが、立ち話をしているのが見えた。誰かが、笑いながら、こちらを指差している。一瞬、身構えたが、話題は、単に、明日の天気についてのようだった。
(考えすぎ、か)
俺は、小さく息を吐いた。すべての噂が、自分に繋がっているわけではない。分かってはいても、こうして、周囲の視線に、いちいち反応してしまう自分に、少し、うんざりもしていた。
家路につく間も、俺は、これからどうするかについて、ずっと、考え続けていた。隠すことと、向き合うこと。そのどちらが、この村での暮らしにとって、本当に良い選択なのか、まだ、はっきりとした答えは、出せずにいた。
家に着くと、メリアが、夕飯の支度をしながら、鼻歌を歌っていた。そのいつも通りの光景に、俺は、少しだけ、心が落ち着くのを感じた。
「お帰りなさい、アオ。今日は、どこ行ってたの?」
「フェンと、村外れをちょっと」
「そう。手を洗ってらっしゃい」
何気ないやり取りの中に、確かな安心感があった。フェンが、足元で、任せろとばかりに、小さく一声鳴いた。
隠すか、向き合うか。答えの出ない悩みは、まだ、そのまま胸の中にあった。




