↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
采配のスローライフ  作者: PM
01_第一章
PR
10/21

009話_フェン


 子狼を家に連れ帰ってからの数日は、看病に明け暮れた。


 メリアが薬草の扱いに詳しく、傷の手当てを手伝ってくれた。すり潰した薬草を、丁寧に、傷口に塗り込んでいくその手つきには、迷いがなかった。


「若い頃、少しだけ、薬師見習いをしていたのよ」


 メリアは、そう言って、少し懐かしそうに微笑んだ。俺は、母のまだ知らなかった一面を垣間見た気がして、意外な驚きを覚えた。


 ガインは終始難しい顔をしていたが、それでも夜な夜な様子を見に来ては、小さくため息をついていた。口では、面倒だと言いながらも、その眼差しは、決して冷たいものではなかった。


 三日目の朝、子狼はようやく目を開けた。


 濁っていた瞳に、少しずつ力が戻ってくる。俺の差し出した水を、恐る恐る舐め始めたときは、思わず声を上げそうになった。ぺろり、ぺろりと、小さな舌が、水面を揺らす。そのささやかな動きの一つ一つに、俺は、心の底から、安堵を覚えていた。


「よかった……」


 安堵で、体の力が抜ける。この三日間、どこかで、覚悟していたのかもしれない。ある朝、目を覚ましたら、もう、動かなくなっているのではないかと。


「名前、決めたのか」


 様子を見に来たダリオが、興味津々に子狼を覗き込んだ。


「まだだけど……」


 俺はしばらく子狼を見つめた。灰色の毛並み、鋭い目つき。それでいて、こちらを見る目には、どこか人懐っこさがある。窓から差し込む光を受けて、その毛並みが、微かに、銀色に輝いて見えた。


 前世で聞いたことのある、遠い異国の言葉が頭をよぎった。


「フェン、にしようかな」


「フェン? 変な名前」


「そうか?」


「でも、まあ、悪くないんじゃね」


 ダリオはそう言うと、恐る恐る手を伸ばし、フェンの頭を撫でた。フェンは一瞬びくりと体を震わせたが、やがて大人しく撫でられるままになっていた。


「懐いてるじゃねえか」


「……そうみたいだな」


 傷が癒えていくにつれ、フェンは少しずつ元気を取り戻していった。最初は、部屋の隅で、じっと縮こまっていた体が、日を追うごとに、少しずつ、伸びやかになっていく。食欲も戻り、メリアが用意してくれる干し肉を、あっという間に、平らげるようになった。


 村の子供たちも、噂を聞きつけて、代わる代わる、フェンを見にやってきた。


「魔物、飼うなんて、大丈夫なのか?」


 不安げに尋ねる子もいれば、


「触ってもいい?」


 と、目を輝かせる子もいた。フェンは、最初こそ、見知らぬ人間たちに、警戒した様子を見せていたが、次第に、慣れていったのか、大人しく、その視線を受け止めるようになっていった。


 狭い庭を跳ね回るようになったのは、それから半月ほど経った頃だ。


「フェン、待て」


 試しに声をかけてみると、驚いたことに、フェンはぴたりと動きを止めた。俺自身、半信半疑での呼びかけだった。


「お座り」


 ぎこちなくはあったが、しっかりと腰を落とす。丸い瞳が、じっと、俺を見上げていた。


(言葉、通じてるのか……?)


 普通の獣以上に賢いのは間違いない。だが、それだけではない何かがある気がした。まるで、俺の意図そのものを、汲み取ろうとしているかのような確かな理解の色が、そこにはあった。


 俺はふと、これまでのことを思い出す。ダリオの剣、バロンの番犬っぷり、リゼットの木登り、ラウの見回り。どれも、ちょっとした一言をきっかけに、相手が本来以上の力を発揮していた。


 もし、この力がフェンにも通じるなら――。


 その考えが、次の話の始まりになるとは、このときの俺は、まだ気づいていなかった。


 ただ、目の前で楽しげに尻尾を振るフェンを見ながら、俺は静かに、確信めいたものを感じ始めていた。


「アオ、遊ぼうぜ!」


 ダリオの声に、フェンが、真っ先に反応して、駆け出していく。その様子を見て、俺も、思わず、後を追いかけた。


 夕暮れの庭に、フェンの弾んだ足音と、俺たちの笑い声が、軽やかに、いつまでも響いていた。このなんでもない、穏やかな時間こそが、俺にとって、何より、かけがえのないものに感じられた。


 息を切らして立ち止まると、フェンが、得意げに、尻尾を振りながら、駆け戻ってきた。額の汗を拭いながら、俺は、この灰色の相棒との、これから先の日々に、確かな期待を抱いていた。


 まだ、この力の正体も、フェンとの絆の意味も、はっきりとは分からない。それでも、この庭で過ごす時間が、俺にとって、何よりも大切なものになっていくことだけは、疑いようがなかった。


「フェン、明日も、また遊ぼうな」


 俺の言葉に、フェンは、大きく一声吠えて、応えてくれた。夜の闇が下りる中、俺たちは、しばらくの間、寄り添うように、並んで座り続けていた。このなんでもない日常こそが、これから先の、大きな冒険の、確かな土台になっていくのだと、このときの俺は、まだ、知る由もなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。