第4話 桜の下の天才魔術師
鏡の前で腰まであるピンクベージュ色の髪を後ろに束ね、前髪を整える。
玄関の横に掛けてある魔術省専属魔術師の証である大鷲が背面に刺繍されている濃い紺色のローブを羽織り、乱れがないか最終確認する。
よし、こんなものか。
通勤用の鞄を肩に掛け、部屋を出る。
イザベラが王都内に借りている部屋から職場の王宮内研究室までは徒歩で凡そ15分。
朝早くから賑わう城下の市場通りを抜けると、王宮に続く門に向かう。
正門には門番もいるが、実際に入門検査を行っているのは、地面に刻まれた魔術陣だ。
許可のない者が魔術陣の上を通ると、鉄柵が直ちに降りてきて進路を阻む設計になっている。
この仕組みを考え出したのは、この国に魔術を一般的な学問にまで落とし込んだ鬼才、カイアス・フローベル。
ユリウスの曽祖父である。
百数年前に発見された魔石から魔術体系を確立し、現在の国家認定制度まで築き上げた人物――それがカイアス・フローベルだ。
そんなすごい人がユリウスの曽祖父だと知った時に、彼の伝記を読み、感銘を受けたのを覚えている。
しかも、かなりの人格者だったらしい。
どこでどう間違えたら、そんな素晴らしい魔術師からあんな人格破綻した非常識なユリウスが生まれてくるのだろうか。
魔術の才能しか受け継がれなかったのが、本当に悔やまれる。
門をくぐり抜け、研究室がある魔術省の建物に向かうために敷地内の庭園を横切る。
庭園の隅に、一本の桜の木が見える。
他の木々が冬の準備をし始めてる中、その木だけ花が咲き誇っていた。
季節外れの狂い咲きではなく、1年中咲いているのだ。
そんな不可思議な桜の木を横目に、イザベラは研究室へと急ぐ。
「おはようございます」
研究室の扉を開け、既に中で作業しているはずのユリウスに挨拶をする。
いつもなら、自身の机から気怠そうに顔を上げ、こちらを一瞥してくるのだが、今日は珍しく姿が見えない。
まだ寝ているのかな...?
ユリウスの研究室には休憩室が別途併設されており、そこには簡易ベッドと浴室がある。
そのためユリウスはフローベルの屋敷に帰ることなく、ずっと研究室で寝泊まりしている。
休憩室のほうに視線を向ける。
床に何かが転がっていると思った瞬間、イザベラは目を見開く。
「先生...!?」
慌てて駆け寄ると、案の定ユリウスがうつ伏せで横たわっている。
「先生、大丈夫ですか!?先生!!」
体を揺さぶってみるが反応がない。
なんとか体を仰向けにして、胸に耳を当てる。
心音は聞こえてるので、なんとか生きているらしい。
「っん...」
ユリウスが意識を取り戻す。
目覚めたばかりで呆けているのか、イザベラの顔をぼーっと眺めている。
「先生、起きましたか?」
真上から見下ろすように顔を覗き込むと、未だに呆けている様子のユリウスの手がイザベラの頬へと伸びる。
あと数センチで触れるというところで、どこからともなくきゅるると盛大に腹の虫が鳴る音が聞こえてくる。
ユリウスの動きが止まる。
「......先生、最後にご飯食べたの、いつですか?」
イザベラの質問に、ユリウスは考え込むように首を傾げる。
まさか、覚えていないだと...!?
今までも研究に没頭しすぎて食事を忘れることはあったが、その度にイザベラが気を配って何かを食べさせていた。
確か昨日、一昨日は昼頃に用事があって研究室にいなかったため、ユリウスが食事を摂っているとこを見ていない。
もし朝も夜も食事していないとなると、丸2日間何も食べていないことになる。
もぉーーー、どこまで手がかかるんだ、この人は!!
とりあえず体を起こし、水を飲ませる。
「わたしは、食堂で食べ物を貰ってきますので、ここで大人しくしてくださいね。絶対に動かないでください!!本気で死にますよ!?」
念入りに忠告して、死にかけのユリウスを残し、イザベラは猛ダッシュで食堂へと向かう。
食堂は朝食を食べに来ている人々でごった返していた。
人の合間を縫うように通り抜け、なんとか配膳口まで辿り着く。
「すいません!!とにかく食べたらすぐ元気になるものください!!あとなるだけ、噛まず食べれるものがいいです!!」
我ながら意味のわからない注文だと思うが、今は緊急事態なのであまり色々考えていられなかった。
鬼気迫るイザベラに圧倒された給仕は、具沢山のお粥を用意してくれた。
給仕からお粥を受け取り、また猛ダッシュで研究室に戻る。
研究室へ戻ると、壁に寄りかかってぐったりとしているユリウスの前に、お粥を差し出した。
「先生、ご飯ですよ」
しかし、ユリウスはお粥をじっと見つめるだけで、受け取ろうとしない。
.......自分で、食べる気はないらしい。
こんの、人はーー!!!
イザベラは沸き上がる怒りを抑え込み、匙でお粥を掬い上げる。
「はい、先生。あーん」
匙を口元まで近付けると、ユリウスはゆっくりと口を開けたので、そのまま口の中にお粥を流し込む。
ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだことを確認すると、イザベラは次の一口を近付ける。
これだとまるで介護じゃないか。
果たして、これも助手の仕事なのだろうか...?
お粥を食べさせているうちに、己の行動に不可解さを覚えるも、イザベラは最後まで職務を全うした。
・
空になったお皿を片手に、イザベラは食堂へと続く廊下を歩く。
お腹が満たされたユリウスは、今度は眠くなったのかそのまま休憩室のベッドで眠り始めてしまった。
食べて、眠くなったからすぐ寝るって...
本当に赤ちゃんかよ...。
イザベラは小さくため息を吐く。
わたし、なんであんな変人の助手なんかやっているんだろうか...。
顔を俯かせながら、庭園を横切ろうとする。
その瞬間、風が強く吹き上げ、思わず瞼を閉じる。
次に目を開けた時、目の前には風で飛んできた桜の花びらが舞い上がっていた。
舞い上がる花びらを目で追ううちに、自然と庭園の隅にある桜の木へ視線が向く。
その桜を見た瞬間、1年前の出来事が脳裏をよぎった。
・
「すっごい、量...。さすがアカデミーを首席で卒業しただけあるわね...」
アカデミー時代からの同僚が目の前に積まれているイザベラ宛の大量の招聘状に驚きの声を上げる。
「医療魔術、魔石解析に...古代魔術の研究室からも...すごい、魔術省にある研究室のほとんどから お声がかかってるじゃない!!」
「まぁ、そうね...」
興奮する同僚の反応をよそに、イザベラは魔術省に所属する研究室のリストが書かれている書類に視線を落とす。
「あ、でも理論魔術・魔術構築のユリウス・フローベル先生からは来てないかも...」
唯一招聘状が来なかったので見慣れない名前を口にすると、さっきまで饒舌だった同僚の口がピタリと止まった。
「あー...その人から...、は来ないほうがいいんじゃない?」
言葉を濁し、あからさまに態度が変わったので不思議に思い、首を傾げる。
「どうして?」
「アカデミーでも有名だったじゃない!稀に見る天才だけど、とんでもない変人だったって!!」
アカデミー在学中、イザベラは学費免除のためどうしても首席で卒業したかったため、学業に集中していた。
そのため、他の生徒たちとあまり関わりがなく、そういう噂には疎かった。
「行動があまりにも常軌を逸しているから、彼のせいでアカデミーのルールを根本から見直したって噂もあるぐらいよ」
「へー、そうなのね...」
しかし、このときのイザベラはユリウスに対してそこまでの興味を示すことはなかった。
それよりも、どこの研究室からのお誘いを受けるべきか頭を悩ませていたからである。
国家資格である魔術師になったのはいいが、イザベラは他の魔術師たちと違い崇高な動機も、野望もない。
ただ単に魔術師になって魔術省に勤めることができたら、食い扶持には困らないだろうとひどく俗っぽい理由で、ここまで来た 。
同僚と別れ、食堂から出たイザベラは庭園に向かって足を進める。
魔術省に入ったばかりで覚えることや、考える事が多くなり、少しだけ気疲れしていたので気分転換に散歩でもしよう。
庭園に近づくにつれ、空気が冷えていく。
遠目から見える庭園は、秋を終え冬へ移ろうとしていたので、草花や木々は枯れ、少し殺風景に見える。
しかし、そこに足を踏み入れた瞬間、不可思議な光景に目を見張った。
庭園の隅、立派な桜の木が、花を咲かせ、堂々と鎮座していた。
風が吹くたびに花びらが、庭園中を駆け巡る。
ここより遥か東の国が生育地である桜は文献などでよく見かけていたが、実際に見るのは初めてだった。
初めて見る桃色の花々の美しさに魅了され、イザベラは無意識に桜の木へと近付いていく。
しかし、昨日まで庭園に桜の木などなかったはずだ。しかも本来の開花時期とも合わない。
桜の花を見上げながら、色々な疑問が頭を過る。
ふと木の根元に視線を向けると、散り落ちた桜の花びらが山のようになっていた。
桃色一色の山の中に、黒色が見える。
一体なんだろうと、よく目を凝らして見てみると、なんと人間の足のようだった。
えっ、まさか人が埋まってる...!?
微動だにしないその足に、焦ったイザベラは慌てて花びらの山を掻き分ける。
掻き分けていくうちに、段々と人間の形が現れ、イザベラは手の動きを早める。
息ができるよう、顔まわりの花びらを慌てて退かす。
すると、花びらの下から金色が見えてきて、男性の顔が現れる。
「だ、大丈夫ですか!?」
真上から覗き込むも、気を失っているのか反応がない。
触れてもいいのかと躊躇うが、そんなこと言っている場合ではないと頬に触れようとした。
その瞬間
「...ふっは」
その人は、息を吹き返したように目を覚ます。
久しぶりの呼吸だったのか、ものすごい勢いで咳き込む姿にイザベラは胸を撫で下ろした。
ひとしきり咳込んだ末、やっと落ち着いたのか男性はゆっくりと瞳をイザベラに向ける。
神秘的な紫色の瞳に、イザベラは心臓を掴まれるような感覚に囚われる。
しかし、すぐに男性の口から信じられない言葉が発せられた。
「なんだ、お前。何故、邪魔をした」
.........は?
別に感謝して欲しかったわけではないが、あんまりの暴言にイザベラは言葉を失う。
そんなイザベラに侮蔑ともとれる視線を向け、男性は桜の花びらを纏わせながら上体を起こす。
「気分を害した。帰る」
そして、そのままイザベラには目もくれず、立ち上がり、庭園を横切り、王宮内へと姿が消えていった。
な、なんなんだ、あの人...。
呆然としたまま、イザベラは男性が消えた先を見つめる。
あまりの出来事に暫く放心状態でいると、鋭い冷たさの風がイザベラを襲った。
一瞬、花びらで前が見えなくなり、振り払うように頭を横に振る。
風が落ち着き、恐る恐る瞼を上げると、桜の木の下の方に何か刻まれているのが見えた。
近付いて確認すると、それは魔術陣だが、その術式にイザベラは目を見張る。
今まで見たことのない術式がそこには刻まれており、脳が解読を拒否しているのか、まったく理解ができない。
まさか、先ほどの失礼極まりないあの男性がこの魔術陣を構築したというのか。
こんな化物みたいな魔術師がいるなんて、さすが王宮直属の魔術機関、魔術省...。
イザベラはその場にへたれ込んだまま、食い入るように桜の木に刻まれた魔術陣を眺めた。
その後、その化物みたいな魔術師が天才と謳われた変人、ユリウス・フローベルということを知った。
あの出来事以来、何故かユリウスのことが気になってしまい、彼の姿を見かけては目で追ってしまう。
ある時は石につまずき、顔から噴水に飛び込んだり、またある時は廊下のど真ん中で死んだように横たわっていた。
あまりにも危なっかしすぎて、見ているこっちの心臓が保たない。
怖いのはそんなユリウスの状態を周りの人間が黙認し、誰も助けようともしないことだ。
イザベラも経験したからわかるが、きっと助けたところで暴言を吐かれるのがオチなので、誰も助けたがらないのだろう。
しかし、気になる。
このまま放っておいて、本当に死なれでもしたら、この国の魔術の発展が数百年は遅れるかもしれないほど、ユリウスは天才だ。
そんな天才を、何もしないまま見捨てることが、イザベラにはどうしてもできなかった。
散々悩んだ末に、イザベラは周囲の反対を押し切って、ユリウスの研究室の扉を自らノックしたのである。
・
......そうだった、わたしが自分から先生の助手を志願したんだった...。
ユリウスの助手になってからあまりにも毎日が忙しなく過ぎていくので、すっかり忘れてしまっていた。
皿を食堂に返し、研究室へと戻る。
しかし、ユリウスも最初の頃はこんなに生活能力が低くはなかったはずだ。
確かによく生き倒れてはいたが、イザベラが助手になった当初は自分の身の回りは自分でこなしていた。
なのに、なんで今になってこんなにもダメ人間っぷりを発揮し始めたのだろうか...。
そこで、イザベラは気付いてしまう。
......もしかして、わたしのせい?
わたしが甲斐甲斐しく、先生の世話をし続けてしまったせいなのか?
そんなはずないと言い聞かせるも、心当たりがありすぎるイザベラは顔を真っ青にさせる。
確かにユリウスの仕事の補佐の他にも、忙しいユリウスの代わりに食事を用意したり、部屋を片付けたり、研究以外のことも手伝うようにしていた。
まさか、これらの行動がユリウスを更なるダメ人間に進化させてしまったかもと考えると正直居た堪れない。
...どうしよう、わたしのせいで先生が完全なる社会不適合者になってしまう...。
重い足取りのまま研究室の前まで着いてしまい、イザベラは重たいため息を吐く。
とにかく、これ以上酷くならないように、先生との関わり方を考えなければ...!!
意を決して扉を開くと、寝起きのユリウスが自分の席に座っているのが見えた。
髪に寝癖がついているし、シャツの襟も立っていて、今すぐにでも整えにいきたい衝動に駆られたが、イザベラは必死にそれを抑える。
視界にユリウスを入れないように自身の席まで移動し、腰掛ける。
そして顔を上げることなく、そのまま作業を始めようと書類に手を伸ばそうとしたその時。
ユリウスが小さくくしゃみをする音が聞こえてきた。
イザベラは動きを止め、恐る恐る視線だけをユリウスに向ける。
まだ眠たいのか、ユリウスの頭が小さく揺れている。
そういえば、先生、寝起きにカフェインを摂取しないとずっとぼんやりしてて、使い物にならないんだよな...。
しかし、ここでユリウスを甘やかしてはいけないとイザベラは首を振る。
内心気が気でないイザベラだったが、子供ではないんだから、コーヒーぐらい自分で淹れられるだろうとそのまま放置する。
暫くすると、限界が来たのか、ユリウスが机に突っ伏す。
さすがにイザベラもこれ以上は我慢ならず、まったく進んでいない作業を中断し、ユリウスに駆け寄った。
「大丈夫ですか、先生」
「んっ...、問題ない...」
問題ないと言いながら、顔が机から上がってこない。
イザベラは急いでコーヒーを淹れ、ユリウスの元へと持っていく。
コーヒーの匂いに反応したユリウスがゆっくりと顔を上げ、体を起こす。
程よい温度になったコーヒーが入ったコップをイザベラから受け取ると、すっかり癖になっているのかユリウスは何回か息を吹きかける。
やっとのことでコーヒーを口に運んだユリウスが、小さく息をついた。
「...先生、起きましたか」
「ずっと、起きていたが」
「...そうですか、ならいいです」
そのまま席に戻ってもよかったのだが、寝癖と襟が気になってしまうイザベラはやらなきゃいいのに、それらを直してしまう。
ユリウスもそれを当然のように受け入れてしまっているため、イザベラはますます危機感を覚える。
次こそは、絶対に手を出さないと固く心に誓うも、ユリウスのポンコツ具合を目の当たりにすると、どうしても放っておけないイザベラであった。




