第28話 選択し続けた結果
胸の内に秘めたるささやかな望みを吐露したら、想像以上に重たいものが返ってきてしまった。
動揺が隠せないイザベラは口を開けたまま、固まってしまっていた。
「あの...わたし、わたし...」
何か言わなければと頭でわかっていても、口から出てくるのは意味を持たない言葉ばかりだった。
そんなイザベラの様子を見兼ねてなのか、ユリウスは小さく肩を落とした。
「......まぁ、よい。とりあえず、くだらないことで頭を悩ますな。時間の無駄だ」
イザベラの手を包んでいた指を名残惜しそうにゆっくり離すと、ユリウスは自分の席へと戻っていった。
そして、何事もなかったかのように作業を再開させる。
先ほどの出来事がまるで夢だったかのようなユリウスの落ち着きようにイザベラは自分の認識がおかしかったのかとその場に立ち尽くす。
何度頭の中でユリウスが綴った言葉を反芻しても、イザベラの動悸は収まらなかった。
ついこの間まで自分の感情すら理解できなかった男が、自分の感情を分析し、理解し、言葉にまでしている。
あまりの急成長ぶりについていけないイザベラは、胸の中で燻っていた途方もない不安が薄れてしまっていたことに暫くの間気付くことが出来なかった。
放心状態だったイザベラが我に返ったのは、山積みの魔術書から目当ての一冊を無理に引き抜こうとしたユリウスが、本の雪崩に埋もれる音を聞いた時だった。
反射的に体が動き、ユリウスを救出すると、不思議と張り詰めていた緊張の糸が解けた気がした。
救出したユリウスを来客用ソファに寝かせ、イザベラは空になっていたコーヒーカップを持って、給湯スペースでコーヒーを淹れる。
立ち昇ってくるコーヒーの香りに、イザベラの思考が徐々にはっきりと戻ってくる。
とりあえずユリウスから差し出された重たい言葉の数々を思い起こすのをやめて、仕事をしよう。
そう決意したイザベラがコーヒーカップを片手に戻ると、額が赤くなったユリウスがのっそりとソファから起き上がってきていた。
コーヒーカップを手渡すと、もう適温だというのに相変わらず熱さにだけ用心深いユリウスが念入りに息を吹きかける。
いつもの光景を見下ろしていると、イザベラの視線に気付いたユリウスが落ち着かない様子で睨み上げてくる。
「......なんだ?」
「別に、なんでもないです」
不服げに瞳を細めるも、それ以上ユリウスは深く追求することはなく、すっかりぬるくなってしまったコーヒーを口に含んだ。
それだけでイザベラの気持ちが穏やかになり、ゆっくりと満たされていく。
・
「それじゃあ先生。わたし帰りますけど、先生もちゃんとベッドで寝てくださいね!!」
本日の業務も終わり、帰り支度をしながら、イザベラはいつもの声がけを作業に没頭中のユリウスに投げた。
聞こえていないのか、無視しているのかユリウスが顔を上げない。
毎度のことながら、明日床で気絶していても絶対に介抱してやらんぞと憤りを感じる。
だが、結局世話を焼いてしまう自分の姿が容易に目に浮かぶイザベラは諦めたようにドアノブに手をかけた。
「イザベラ」
珍しく呼び止められ、振り向くと、ユリウスが不機嫌そうにイザベラを睨んできている。
「なんですか?」
睨まれるようなことをした覚えのないイザベラは強気に聞き返す。
「...明日、あれが食べたい」
「あれ...?」
居心地が悪そうに視線を泳がせると、少し間を置き、記憶を確かめるように口を開いた。
「あの、薄くて桃色の、何枚も重なっているやつだ」
「もしかして、ハムのことですか...?」
なんで食材の名称すら覚えていないのだろうと突っ込みたくなるも、初めてユリウスから昼食の注文をされたことにイザベラは素直に驚いてしまった。
しかし、同時に嬉しさが込み上げてきて、自然と口角が上がっていた。
「わかりました。明日はハムを挟んだサンドイッチにしますね。楽しみにしててください」
声を弾ませて了承すると、照れくさいのかユリウスに顔を背けられる。
そんな些細なことが気にならないぐらい気分が高揚していたイザベラは軽やかな足取りで研究室を後にした。
・
王宮からの帰り道にある商店通りで明日の昼食に必要なハムとパンを買ったイザベラが次に向かったのは青果店だった。
ユリウスの偏食を思い浮かべながら品定めをしていると、隣の雑貨屋に大きめのコーヒーカップが並んでいるのが目に入った。
コーヒーが主食と言っても過言ではないユリウスはとにかく常にコーヒーを飲んでいる。
作業に没頭しすぎている時は特に消費が早く、都度淹れるのがめんどくさすぎて、一気に三杯分用意した時もあった。
このぐらいの大きさなら、コーヒーを淹れなおす回数も少なくなるかもしれないと効率向上のためにイザベラは購入を検討しようとする。
しかし、研究室には大量のコーヒーカップが常備されているためすでに飽和状態である。
これ以上あの雑多とした研究室に物を増やすのはいかがなものかと手を取るのを躊躇ってしまう。
それでもユリウスが使用する姿が脳裏に思い浮かぶと、イザベラは自然とそのコーヒーカップを手に取り、会計へと向かった。
惚れ薬騒動の時に溜まってた仕事を一気に片付けていたから、そのお礼としてささやかながらイザベラからの贈り物としよう。
国王からの褒賞にも興味がないユリウスが喜ぶとはとても思えないが、イザベラがただ贈りたいだけなのだ。
明日、ユリウスがどんな反応をしてくれるのか少しだけ不安が胸を掠めるも、それよりもこのコーヒーカップでコーヒーを飲むユリウスの姿を見れることが楽しみだった。
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次の日、イザベラは昨日購入したユリウスへの贈り物と、注文を受けて作った昼食が入った鞄を胸に抱え、魔術省内の研究室へと足早に向かった。
「おはようございます!!」
勢いよく扉を開け、挨拶するも、いつもの場所にユリウスの姿は見られなかった。
また徹夜で魔術の研究に没頭して気絶しているなと呆れ気味になるも、イザベラは鞄を自分の机に置き、床に寝転がっているはずのユリウスを探し始めた。
しかし、研究室の床のどこにもユリウスの姿は見られなかった。
そこら中に山積みになっている魔術書や書類に埋もれていないかも念入りに確認したが、どこにもいない。
「先生、どこですか?」
声を出すも、返事がない。
朝早くからは珍しいがまたどこかで行方不明になっているユリウスに少しだけ落胆してしまう。
いつものことなのに、今日は妙に落ち着かない。
自分の机へ戻り、イザベラは鞄の中からユリウスに贈るはずのコーヒーカップが入った箱を取り出した。
早く、渡したかったな...。
箱を持つ手に自然と力が入ったその時、研究室に併設されている休憩室の扉が開いた。
寝癖でぼさぼさになった髪のまま、眠たそうに目を擦るユリウスが姿を現した。
その姿を目にした瞬間、自分でも驚くぐらいイザベラは安堵してしまい、すぐにユリウスへと駆け寄る。
「先生!」
起きたばかりで寝ぼけているのかユリウスから反応はない。
けれども、何故か今のイザベラはユリウスがそこにいるだけで、とても満足だった。
「んーっ」
ようやく目が覚めてきたのか、ユリウスが背伸びをし、ゆっくりと瞼を開く。
紫水晶の瞳がイザベラの姿を捉える。
その瞳を見た瞬間、胸の奥にあった落ち着かなさが、静かにほどけていった。
昼食を考える時も、コーヒーを淹れる時も、明日のことを思う時も。
気がつけば、イザベラは何をする時もユリウスを選んでいた。
それが恋なのだと、今になってようやくわかった。
だから、ユリウスがいない日常を想像するだけで涙が出てしまうほど怖かったのだ。
そして、イザベラは自分の恋を自覚すると同時に、ユリウスが「恋という感情は定義できない」と口にした理由も、ようやく理解した。
以前、イザベラが仮で定義したのは恋によって引き起こされる反応の一部だった。
だから惚れ薬で感情を植え付けられた時もわかりやすい身体の反応が顕著に見られたのだ。
しかし、それだけではなかったと今になってわかった。
それを言葉にするにはあまりにも複雑で、難しすぎたということに。
ようやく肩の荷が下りたような気がしたイザベラは小さく息を吐く。
「......イザベラ?」
まだ頭が冴え切っていないのか、ユリウスが目を細め、ぼんやりとした表情でイザベラを見つめている。
そんなユリウスに、イザベラは自然と笑みが零れる。
「先生ー、おはようございます。今日も寝癖すごいですね」
頭に向かって手を伸ばすと、ユリウスが小さく身を屈める。
寝癖を直しながら、今日もいつもの日常が始まることにイザベラは心の底から喜んでいる。
これからもユリウスの隣にいる。
それは決して助手としての義務ではなく、イザベラ自身がそうしたいからだ。
それが、イザベラにとっての恋だった。




