第26話 零れ落ちてしまった願い
グロリアと、これから起こり得る未来の話をしてから数日が経った。
その数日間もイザベラはあっちこっちの研究室に赴き、仕事の依頼やユリウスへの苦情を受け付けていた。
ユリウスが誰かと一緒になる未来を想像すると、涙が溢れ出そうになるため、なるべく考えないように、より一層仕事に励んでいた。
でも、ふと一人になると、一気に不安が押し寄せてきて立ち止まりそうになるため、いつも以上に王宮敷地内を駆け回っていた。
そして、体力をほぼ使い切った状態で研究室に戻ると、ユリウスの姿を見て、また胸が締め付けられる。
こういう時に限って行方不明になることなく、大人しくユリウスが待っているので、お願いだからどこかで生き倒れていてくれと数え切れないぐらい願った。
「イザベラさん!!すごいですよ!!」
仕事の依頼を受けに、サミュエルの研究室を訪ねると、助手であるエリスが目を輝かせ、迫ってきた。
「以前ユリウス先生に再構築を依頼した感染症の治療魔術なのですが、効果が絶大です!感染症を治療するだけではなく、患者の体力を回復までさせてくれるなんて素晴らしいです!!」
相当興奮しているのか、小さな身体をぴょこぴょこと跳ねさせ、全身で感情を表現していた。
「そ、そうなんですね...」
この案件は、ユリウスがサミュエルから依頼を受けてからだいぶ時間が経ち、その間に国の最重要案件へと指定されていた未知の感染症への治療魔術の構築である。
一番最初に渋々構築した際は副作用で、とんでもない悪夢に見舞われるという、人の心がわからないユリウスらしい魔術になってしまい、サミュエルが頭を悩ませていた。
再依頼されるも興味がないものにはとことん時間を割かないユリウスのおかげで長い間放置されていた。
だが、この間イザベラが惚れ薬の効果をジョシュアに発動させていた期間中、何かに取り憑かれたように今まで放置してきた依頼を一気に片付けていたのだ。
その中にこの案件が入っていたのだが、まさかそんなに大絶賛されるほどすごい魔術を作り上げていたなんて知らなかった。
「これはもしかしたら、国王から直々に褒賞をいただけるぐらいの功績ですよ!!」
鼻息を荒くするエリスに若干引きつつ、やはりユリウスは天才なんだなと改めて認識した。
こんな状態じゃなかったら助手としてもう少し喜べたのだが、今はそれどころではなかったので無難に返事をして、サミュエルの研究室を後にした。
全ての用事を済ませ、研究室に戻ると、やはり今日もユリウスがそこにいて、気を抜かないように背筋を伸ばした。
「ただいま、戻りました」
いつものように帰ってきたことを知らせると、作業中のユリウスが顔を上げる。
紫水晶の瞳を見ていられなくて、不自然にならないように視線を逸らし、扉付近のイザベラの席に書類を置いた。
サミュエルの研究室で受けたユリウスへの賞賛を報告しようと、イザベラは平静を装ってユリウスの席へ向かう。
国王から褒賞をいただけるかもしれないという内容にも、ユリウスはつまらなそうに頬杖をつきながら耳を傾けていた。
そして、全て聞き終えたあとに一言だけ短く言い放つ。
「興味ない」
本来なら自身の功績が更に輝かしいものになるというのに、他人からの評価にまるで興味のないユリウスらしい反応だった。
話も終わり、そのまま作業に戻るものだと思っていたのだが、何故かユリウスがイザベラを睨むように見てくる。
向けられてくる視線に耐えられず、イザベラは顔を俯かせ、ユリウスに背を向けた。
自分の席へと座り、何も考えないようにするために、書類に手を伸ばす。
すると、その書類に影が落ちるのが見えた。
俯いたままなのも不自然なのでイザベラは恐る恐る顔を上げた。
すぐそこに紫水晶の瞳があり、思わず息が詰まる。
見ていられなくなり、咄嗟に視線を逸らしてしまった。
「......どうかしました?」
視線を合わせないまま尋ねると、ユリウスからの返事がない。
不思議に思い、ゆっくりと視線を戻すと、紫水晶の瞳がイザベラを真っ直ぐ捉えたままだった。
全てを見透かしているようなその瞳から逃げるように、イザベラが立ち上がる。
「こ、コーヒー淹れますね」
身を翻し、誤魔化すように給湯スペースに向かおうとすると、突然手首を掴まれる。
反射的に顔を向けると、ユリウスが無表情のままイザベラを見つめていた。
息が止まりそうになる。
すぐに顔を背けようとするも、ユリウスがそれを許さないようにイザベラの腕を引く。
「.....何があった」
低い声にイザベラの体が震える。
気付かれないように必死にいつものイザベラを装っていたのに、ユリウスに気づかれてしまっていた。
その事実にイザベラの頭が真っ白になる。
「な、何がですか?なんでもないですよ!」
誤魔化すように笑顔でそう答えるも、ユリウスの表情が変わることがなかった。
「イザベラ」
名前を呼ばれ、イザベラの心臓が大きく脈打つ。
目を合わせることができず、視線だけ伏せる。
「わたしを、見ろ」
いつもと変わらない声色だった。
それでも、有無を言わせない響きがイザベラの耳に届く。
イザベラはその言葉に応えることが出来なかった。
今、ユリウスの瞳を見てしまったらきっともう逃げられない。
胸の内でずっと燻り続けるこの感情に向き合わなければいけなくなる。
イザベラには、それが堪らなく怖かった。
「イザベラ」
ユリウスの低い声が静かに落ちる。
「わたしを、見るんだ」
強い意思を宿したその声に、イザベラはついに抗うことができなくなり、視線を上げる。
紫水晶の瞳は逸らされることなく、イザベラを見つめていた。
「何があった」
もう逃げることができないと悟ったイザベラは唇を噛み締め、諦めたように小さく息を吐いた。
「......先生、わたし以前先生にたとえわたしが誰と一緒になろうと、助手として先生のお世話は続けていくという話、覚えていますか?」
惚れ薬の検証をする際にもし薬の効果が永遠に続き、ジョシュアにずっと恋することになったらどうするというユリウスからの問いに、イザベラはそう答えたと記憶している。
一瞬、何のことか分からなかったのか、僅かに眉を寄せるユリウスだったが、少しして理解したのか紫水晶の瞳が焦ったように揺れた。
「そ、それはまさか誰かとそういうことになる予定なのか!?」
その問いにイザベラが首を振ると、強張っていたユリウスの表情が緩んだが、すぐに唇を引き結んだのが見えた。
次の言葉を口にするのが怖いイザベラは口を開くも、また閉じ、躊躇いがちにもう一度開く。
その間、ユリウスは黙ってイザベラの言葉を待っていた。
「...それは」
やっとの思いで声が出てきたが、とてもか細くて震えていて、今にも泣き出しそうになる。
「先生が、将来誰かと、...結婚しても、同じです」
辿々しく出てきた言葉をイザベラは脳内でゆっくり反芻させる。
目の前のユリウスがどんな表情をしているのか見ていられず、目を伏せる。
「わたしは、この先、どんなことがあっても、助手として先生のお世話を続けていく予定です」
呼吸が浅くなり、手が震える。
これ以上取り繕う余裕はイザベラにはもう残されていなかった。
「...ずっと、こんな風に先生の隣で毎日を過ごしていきたいと思うのは、おかしなことなのでしょうか...?」
そして、秘めたる胸の内をイザベラは初めて口にしてしまった。
その先にある本心は、あまりにも強欲で、自分勝手すぎて、言葉にすることが出来なかった。
だから、せめてイザベラにとって何よりも失いたくない、ユリウスと共に過ごす日常が変わってほしくないと告白することにした。
暫くの間、ユリウスからの反応がなかった。
その時間がイザベラにはとても長く感じられ、胸の鼓動がやけに大きく聞こえてきた。
微かにユリウスが息を吸った音がして、イザベラは咄嗟に身構える。
「何を、馬鹿なことを言っているんだ?」
ユリウスの口から呆れたようなため息が漏れた。
「...なっ!?」
一大決心して口にした言葉を馬鹿にされ、頭にきたイザベラが顔を上げる。
いつになく真剣な表情で、瞳だけは真っ直ぐイザベラを見据えている。
そんな表情にイザベラの瞳が囚われ、目が離せなかった。
「いったい、何の話をしている。誰と誰が、結婚するんだ」
表情を変えず、淡々とした口調でユリウスは続ける。
その声には微かに呆れが滲んでいる。
「大方、グロリアが口にしていたのだろう。まったく、馬鹿らしい」
ぼやくように呟くと、ユリウスは小さく肩を竦めた。
姉のことを思い出したのか、露骨に嫌そうに顔を顰める。
「で、でも...そんなのわかんないじゃないですか...。先生だって、いつか結婚したい人が現れるかもしれないじゃないですか...」
想像したくない最悪の結果が頭に過ぎり、涙が溢れそうになるのをイザベラはぐっと堪える。
「そんなことはありえない」
声色を変えずにきっぱりと言い切るユリウスに、イザベラは疑いの目を向けてしまう。
誰にもわからない未来の話なのに何故断言できるのだろうか。
掴まれている手首に力が込められる。
「もし、そうなるとしても、お前以外の相手とはありえない」
頭の中が、真っ白になる。
信じられない言葉がユリウスの口から零れ落ち、一瞬何を言われているのかわからなかった。
しかし、言い終えても表情を変えず、イザベラから視線を外さない紫水晶の瞳に呼吸が止まる。
二人の間に、沈黙が流れる。
時が止まったような感覚に陥り、お互い瞳を逸らすことなく、静かに見つめ合った。




