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第24話 消えない鼓動




惚れ薬を飲んでから、数日が経った。


あれからジョシュアとは度々会うことはあったのだが、その度にユリウスが不機嫌になるため、観察どころではなかった。


おかげで中和剤など出来るはずもなく、イザベラの中でまだ惚れ薬の効果は続いているはずだ。


そもそも対象人物のジョシュアが近くにいないと、効果が発動しないため、惚れ薬が効いているのかわからないのが難点だ。


そのため、ジョシュアを目にして、初めて今日もまだ惚れ薬の効果は消えていないんだなと自覚することが出来る。


問題なのはユリウスの機嫌が毎日ちょっとずつ悪くなっているということだ。


機嫌が悪いというか、常に空気がピリピリしているというのが正しいのかもしれない。


案の定、肝心のジョシュアに会った時も、ただ睨みを利かせてくるだけで、後々観察結果を聞いても曖昧な答えしか返ってこない。


本当に中和剤を作るつもりあるのかと疑いたくなってしまう。


そんなこんなで、何も進展がないある日の朝。



「イザベラさん」



職場であるユリウスの研究室に向かう途中、聞き慣れた声で呼ばれ、体が先に反応する。



「ジョシュア君」



振り向くと、太陽のように輝く笑顔を振りまくジョシュアがそこにいた。


不自然に引き起こされる動悸にもすっかり慣れてしまい、イザベラはジョシュアとの遭遇に取り乱すことはなくなってしまった。


頭にすーっと靄がかかるが、これもいつもの反応だ。


頭がぼやっとした状態でイザベラは自らジョシュアへと近付いていく。



「おはよう、珍しいね。朝から会うなんて」


「今日は備品の買い出しのために外出するんです」


「それもジョシュア君の仕事なの?」


「はい、まだまだ見習いの身なので」



だから、いつもより少し軽装なのか。


そういえば、最近色々と忙しくて、ユリウスの研究室の備品もそろそろ補充しなければならない。



「わたしも、一緒に行ってもいい?」



無意識に出てしまった言葉にイザベラは驚く。


今までのイザベラなら、こんなにも唐突に誰かを自分から誘うことなどなかった。


しかも、私的用事ではなく、仕事の外出に便乗しようだなんて信じられない。


これも惚れ薬の効果なのか。



「はい、勿論です。是非」



イザベラが慌てて先ほどの発言を取り消そうとする間もなく、ジョシュアが笑顔で頷いてしまった。


その笑顔を見て、何も考えられなくなってしまったイザベラは本能的にこのままだと危険だと感じた。


このままだと、自分の意思に関係なく、ジョシュアの姿を見た途端、強引に接触を図ろうとするかもしれない。


でも、それと同時にジョシュアと外出が出来て嬉しいという気持ちも湧き上がってきた。


どちらが本当の気持ちか、イザベラにはわからなくなってきてしまう。


このままわけもわからず感情に呑み込まれると恐れたイザベラの視界の端に桃色の花びらが飛び込んできた。


その瞬間、紫水晶の瞳が、靄のかかった脳裏を過った。



「...先生」


「えっ...?」


「ごめん、ジョシュア君。先生も一緒に行ってもいい?」



突然、ユリウスの名前を出され、一瞬だけ悲しげに眉尻を下げたものの、ジョシュアはすぐに笑顔に戻る。



「...勿論です、イザベラさん」


「ありがとう!すぐ連れてくるから、待ってて!!」



その場にジョシュアを残し、イザベラは研究室に向かって走り出した。


ジョシュアと距離が離れていくにつれ、段々と靄が晴れていく。


息を切らしながら廊下を走っていたイザベラは落ち着きを取り戻し、ゆっくりと速度を落としていく。


冷静さを取り戻したイザベラはやはり先ほどの発言は軽率だったと思い直した。


早急にユリウスに中和剤を作ってもらわないと、これからも同じようなことが起きてしまうかもしれない。


どんどん自分が制御できなくなり、思わぬ言動を繰り返してしまうかもしれない。



「ジョシュア君と、買い物に行くことになりました!!」



研究室に着いて早々、イザベラは勢いよく扉を開けるなり、中にいるであろうユリウスに向かって叫んだ。


自席で作業を進めていたユリウスが不機嫌そうに顔を上げる。


返事がないのはいつものことなので気に留めずにいると、イザベラの視界に扉近くの鏡が映り込んだ。


先ほど息を切らすほどの速度で走ってきたせいか、自宅で整えてきたばかりの髪が盛大に逆立っている。


さすがにこの姿のまま外出するのは憚れるので、髪留めを外し、机の引き出しから櫛を取り出す。


乱れた髪を梳かし、再度髪を結い直していると、背後にユリウスが近付いてくる姿が鏡に映った。



「先生も早く用意を...」


「何故」


「えっ」


「何故、行く必要がある」



聞いたことのない低い声に振り向くと、無表情のユリウスと目が合った。


その紫水晶の瞳に温度は感じられず、イザベラの背筋が強張る。



「せんせっ...」


「何故、あいつと行く必要がある」



威圧感にたじろぎ、言葉を失ってしまう。


その隙に、ユリウスが少しずつイザベラに詰め寄ってくる。



「そんなにも、あいつと行きたいのか?」



無表情で、ユリウスが何を考えているのかわからないが、明らかに様子がおかしい。


いつもの不機嫌とは違う気迫に押され、イザベラは後ずさる。


しかし、すぐ背中が扉にぶつかる。



「...何故、あいつなんだ」



咄嗟に横へ逃れようとした瞬間、ユリウスの腕が行く手を塞ぐように伸び、イザベラの両脇に手をついた。



「あいつの、どこがいいんだ?」



紫水晶の瞳が責めるように、イザベラを射抜く。


その視線に耐えられなくなり、イザベラは扉に体を預け、ゆっくりと床へとへたり込む。


それを追うようにユリウスが膝を折り、イザベラを逃そうとはしない。



「身長か、目つきか、......それとも、笑顔か?」



無表情だったユリウスの顔が段々と崩れていく。


何かがひび割れるような音が、脳内に微かに響く。



「......行かないでくれ」



縋るような声で言葉が紡がれていく。



「お願いだ、イザベラ」



懇願するような瞳に、息が詰まる。


ひび割れが広がり、音が大きくなっていく。



「...わたしを、見てくれ...」



苦悶で眉間を寄せ、眉尻を下げるユリウスの表情はまるで今にも泣き出してしまいそうにも見えた。


初めて見るユリウスの表情にイザベラは息を呑んだ。


すぐに、その言葉の意味を理解することはできなかった。


ただ、今にも壊れそうなユリウスの表情から目を離すことができなかった。


煩わしいぐらいのひびが割れる音が響き、頭が痛くなってくる。


そんな中、無意識にイザベラの手がユリウスの頬へと伸びる。


あと少しで指先が触れそうになった時、イザベラの中でひび割れていた何かが、大きな音を立てて砕けた気がした。


その瞬間、イザベラの気持ちが嘘みたいに軽くなっていく。


さっきまでジョシュアへ勝手に惹かれていくことへの戸惑いや、惚れ薬によって自分を制御できなくなることへの焦燥感。


全てが綺麗さっぱりなくなっていた。



「......イザベラ?」



反応が返ってこないことに耐えかねたように、ユリウスは弱々しくイザベラの名を呼んだ。



「先生...、もしかしたら惚れ薬の効果が消えたかもしれません...」



自分でも信じられないことをイザベラが口にすると、ユリウスは一瞬目を見開いた。


何度か瞬きを繰り返したあと、静かに息を吐く。



「...そうか」



だが、すぐに唇を引き結び、表情が険しくなった。



「何故、消えた?」


「そんなこと、わたしに聞かれましても...あっ!」



そこでイザベラは長い間、待たせているであろうジョシュアの存在を思い出した。


惚れ薬の効果が切れた今なら、問題ないかもしれない。


それに本当に惚れ薬が効かなくなったのかも、ジョシュア本人の前で確かめてみたかった。



「先生、わたしちょっと行ってきますね!!」


「行くとは、まさか...おい!!」



引き止めようとするユリウスの腕の下から素早く抜け出し、イザベラは扉をこじ開ける。



「すぐ、戻ってきますからー!!!」



研究室から出ると、ユリウスが追いつけないであろう速さで廊下を駆け抜ける。


走っていくうちに、心臓が静かに脈を打ち始める。


植え付け型の惚れ薬はユリウスを対象とはしていないはずだ。



『...わたしを、見てくれ...』



それなのに何故、縋るように揺れる紫水晶の瞳が脳裏に焼き付いて離れないのだろうか。


何故、胸の鼓動が収まらないのだろうか。


鼓動の意味を誤魔化すように、イザベラは必死に走り続けた。



・



長い間待たせてしまっていたジョシュアの元へ戻ると、やはり惚れ薬の効果が切れていたのか、体に何の反応も起こらなくなっていた。


相変わらず笑顔が眩しくて、目を瞑りたくなるが、それ以外は特に感じられない。


効果が切れたことに安堵する反面、申し訳ない気持ちでいっぱいになったイザベラが今回起こった出来事を説明しようと口を開くも、何故かジョシュアの笑顔で喉がつっかえてしまった。


もし、イザベラが惚れ薬の効果によるものでも一時の間、ジョシュアに好意を抱いていたと知ったら、彼はどんな顔をするのだろう。それを想像するだけで胸の奥がぎゅっと縮こまった。


終わったら全て話すつもりだったのに、いざその時になると口にできない己の弱さに腹が立つも、結局イザベラは何も言えなかった。


この状態で一緒に買い出しなど行ける気持ちではなかったため、ユリウスが自分で作った簡易ブラックホールに体の半分を飲み込まれてしまっていて、買い出しに行ける状況ではないと苦し紛れな嘘を吐いてしまった。


ジョシュアは少しだけ目を伏せるも、すぐに穏やかに笑って、それなら仕方ないですねと承諾してくれた。


その笑顔にも胸を痛めるも、イザベラは小さく微笑み返すことしか出来なかった。


ジョシュアと別れた後、イザベラは何故惚れ薬の効果が突然消えたのかと思考を巡らせながら、研究室まで足を進める。


直前までは確かにジョシュアに惚れ薬の効果として身体的反応はあった、しかしその直後にユリウスに詰め寄られた時に何かが砕けた感覚があった。


あれはもしかしたら、惚れ薬によってイザベラの中に植え付けられたジョシュアへの恋心だったのかもしれない。


だが、何故それが突然砕けたのかイザベラにはわからなかった。


あの時のことを思い出そうとすると、ユリウスの瞳や声が脳裏に浮かび、イザベラの鼓動が速くなり、思考を乱していく。


頭に靄がかかったわけでもないのに、何も考えられなくなってしまう。


悶々としているうちに研究室の近くまで辿り着くと、部屋の扉が開けっ放しになっているのが真っ先にイザベラの目に入った。


もしかしたら、イザベラがいないことでユリウスが脱走しているかもと恐れ、扉の隙間からそーっと中を確認する。


部屋の中では、ユリウスが落ち着かない様子でそこら中を行ったり来たりしている。


どことなく切羽詰まったような表情をしているが、どこにも行っていないことにイザベラは胸を撫で下ろす。


だが、先ほどの出来事を思い出し、また胸がざわつき出す。


落ち着かせるように小さく深呼吸をして、イザベラは意を決して扉に手をかけた。



「ただいま、戻りました」



なるべくいつも通りを心がけて声を出すと、ユリウスの体が大きく跳ねるのが見えた。


すぐにイザベラに顔を向けると、一瞬だけ、強張っていた表情が緩んだ気がするも、すぐに唇を固く引き結び、イザベラを半目で睨んできた。


怒鳴られる覚悟をしたイザベラが肩をすくませるも、ユリウスは暫く睨み続けるが、何も言わず自分の席に座る。


お前などもう知らんという勢いで、椅子を大きく回転させ、イザベラに背を向けてしまった。


完全に拗ねた子供状態になってしまったユリウスにため息をつきそうになってしまうも、どこかその光景に安堵してしまう自分がいることにイザベラは気付いた。


やはりユリウスはこのぐらい適度に不機嫌なぐらいが丁度いい。


先ほどみたいな勢いで迫られてしまうと、イザベラはどうしていいかわからなくなってしまう。


今は向き合わなければならないことが山積みで、どれから答えを出すべきかと思うだけで頭が痛くなってくる。


少しだけ気分を紛らわせようと、イザベラはコーヒーを淹れるために立ち上がる。


自分のコップと一緒に無意識にユリウスのコップも取り出してしまうあたり、だいぶ体に染み付いてしまっているなと苦笑いするも、いつも通り少しだけぬるいコーヒーを淹れるのであった。




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