第22話 最善という名の地獄
「これで、破片は全てでしょうか」
床に散らばった小瓶の破片を箒と塵取りで回収したジョシュアが、確認するようにイザベラを振り返る。
「ふえっ!?あっ、うん。そうね、ありがとう」
惚けた頭でその姿を眺めていたので、突然話しかけられ、驚くほど胸が大きく跳ねたイザベラは動揺を隠しながらも平然を装った。
植え付け型の惚れ薬をユリウスを対象にして試そうとしたら、偶然部屋に入ってきたジョシュアが対象になってしまうという事態になってしまった。
どうやら惚れ薬は口に含んだ時点で意識した人物ではなく、全て飲み込んだあとに一番最初に瞳に映した人物に発動されると仮定してもいいかもしれない。
当初の予定ではジョシュアで検証する予定だったイザベラにとっては計画が元に戻っただけだ。
だが、ジョシュアに惚れ薬の効果が発動したと思われる時のユリウスの表情が忘れられず、なんだか複雑な気分である。
今は椅子に座り、腕と足を組み、しかめっ面でジョシュアを静かに睨んでいる。
そして、肝心のジョシュアには惚れ薬の検証の対象になってくれと許可も取っていない。
なのに、こんな事態になってしまったのは大変心苦しい。
「...ジョシュア君は、どうして魔術省に?なにか用事でもあったの?」
慣れない動悸に戸惑いながら、とりあえず状況整理しようと、イザベラが小瓶の破片を処分するジョシュアの背中に問いかける。
ジョシュアが所属する騎士団の本部は魔術省から王宮を挟んで反対の場所に位置している。
余程のことがない限り、騎士見習いであるジョシュアがわざわざ魔術省に足を運ぶことはないはずだ。
イザベラの問いに、ジョシュアが振り向く。
琥珀色の瞳に捉えられると胸がより一層跳ねるので、正直こっちを見ないでほしい。
「えっ、イザベラさんが僕に用事があるんじゃないですか?」
「えっ...?」
まさかの返答にイザベラは目を瞬かせる。
「一昨日...、イザベラさんの姿をお見かけしたので声をかけたら、ものすごく思い詰めたような表情をされていたので、何かあったかとお聞きしたら、大丈夫だと、でも近々検証をするのでそれに協力してもらうことになるかもしれないと仰っていたではないですか」
困惑気味のジョシュアの表情を見て、イザベラはそこで全てを思い出し、一人頭を抱えたくなった。
そうだった。
あの日、惚れ薬の被験体になることを承諾したのはいいが、気が重すぎて、なるべく何も考えないように頭の中を空っぽにしていた。
その時に、ジョシュアと偶然顔を合わせ、ちゃっかり検証の協力を仰いでいたことを今の今まですっかり忘れていた。
背後からユリウスの責めるような視線が痛いぐらい突き刺さってくる。
そして、目の前のジョシュアに見つめられると、鼓動が高鳴って困るので、イザベラにとっては最悪の板挟み状態なのであった。
「あまりにも思い詰めていたので、イザベラさんから改めてお声がけいただく前に訪ねてきてしまいました...すいません...」
「う、ううん!!大丈夫だよ、心配してくれてありがとう」
相変わらず誠実で、礼儀正しいジョシュアが申し訳なさそうに目を伏せるので、イザベラは全力で腕を振り回し、問題ないことを証明してみせた。
現状の整理はついたが、何も解決していない。
ここは、ジョシュアに事情を全て説明して、本当に協力してもらったほうがいいのかもしれないと、イザベラが一歩踏み出そうとした。
「本当に、大丈夫でしょうか?」
だが、イザベラよりも先に、ジョシュアが距離を詰めてきて、心配そうにイザベラの顔を覗き込んできた。
「ふえっ...」
すぐ目の前にジョシュアの顔があり、激しく動揺してしまったイザベラの口から変な声が漏れてしまった。
見られていると意識しただけで、頬に熱が溜まっていく。
以前、ジョシュアが同じ距離まで近付いてきても現れなかった体の反応についていけないイザベラはその場で固まってしまう。
「顔が赤く、呼吸も乱れています。やはり、どこか具合が悪いのでは...」
目に見える不調が体の不具合だと勘違いしているジョシュアがイザベラに触れようと手を伸ばしてくる。
これ以上は胸が破裂しそうなのでやめてくれ、とイザベラが堪らず声を上げようとした。
そこで、何かを叩きつけるような大きな衝撃音が部屋中に響いた。
音がしたほうを見ると、ユリウスがいつの間にか手にしていた分厚い魔術書を、無表情のまま机へ叩きつけていた。
「部外者はとっとと、帰れ」
氷のように冷たく、低い声を落とすと、ジョシュアを睨んだ。
「でも、イザベラさんが...」
「聞こえなかったのか。帰れ、とわたしが言っている。ここは、わたしの研究室だ」
いつものユリウスとは違う気迫に圧倒されたのか、ジョシュアが一瞬だけたじろぐ。
しかし、不調に見えるイザベラを放っておけないジョシュアが、ユリウスに反論しようとしたところで、イザベラが慌てて二人の間に割って入った。
「ジョシュア君、大丈夫だから!!」
「しかし...」
「大丈夫だから!!ねっ!!!」
これ以上、二人を同じ空間に留まらせたら、どんな修羅場が繰り広げられるか想像したくないイザベラは全力でそれを阻止しようとした。
声からして相当ご立腹のユリウスは後回しにして、まだ話が通じるジョシュアからイザベラは説得を試みる。
「お願い、ジョシュア君。ここは大人しく帰ってくれると助かるかな。先生の機嫌が直ったら、絶対に医務棟に行くから」
「それでは、イザベラさんの負担が大きすぎます」
「ジョシュア君!!!お願い、ねっ!?」
説得ではなくて、懇願に近いイザベラの叫びにジョシュアは眉間を寄せる。
しかし、見るからに必死なイザベラの願いを無下にできないのか、ジョシュアは納得していない様子だったが、渋々首を縦に振ってくれた。
「...わかりました。それでは、失礼します...」
部屋を後にするジョシュアの背中へ全力で手を振っていると、彼はふと足を止め、心配そうにイザベラを振り返った。
手を振りながら、イザベラが笑顔でそれに応えると、ジョシュアは諦めたように肩を落とし、部屋から出て行った。
申し訳なさと同時に安堵したイザベラの口から自然とため息が漏れた。
ジョシュアがいなくなったことによって、惚れ薬による体の反応も自然に消えていた。
これでやっとまともな思考回路に戻ると安堵したのも束の間、ジョシュアよりも厄介な問題が残っていたことをイザベラは思い出してしまった。
突き刺さるような視線を感じて振り向くと、案の定、不機嫌を体現したようなユリウスが今にも射抜いてきそうな鋭い眼差しを向けてくる。
「......どうする、つもりだ」
「す、すいません...」
責めるような冷たい声に、イザベラは咄嗟に謝ることしかできなかった。
数日前の、無意識なイザベラの言動がまさかこんな事態を招くとは思いもよらなかった。
しかし、起こってしまったものはどうしようもない。
次、考えるべきはこの状況を如何に脱するか、もしくは利用するかである。
「ちなみに、この薬に関して、中和剤を作ることは出来ない」
「何故ですか」
「この薬の核である恋という感情をわたしが理解できていない。どこまでが植え付けられた感情なのかわからない以上、その状態で作った中和剤が正常に機能する可能性は極めて低い」
思った以上に、厄介なことになってしまった。
「ということは、結局先生には恋を理解してもらう必要があるということですね」
「そうなるな」
しかし、むしろこれは絶好の機会ではないだろうか。
体の反応的に、ジョシュアに恋をしている状態なのは確実なので、このまま検証を続ければ実体験によるデータが取れるかもしれない。
更に、それを間近で観察してもらえば、ユリウス自身の感情とも比較でき、それを自覚してもらえれば、さすがのユリウスも恋について理解できるはずだ。
それに惚れ薬の効果と持続時間も同時に記録できるし、一石二鳥、いや三鳥である。
とても合理的かつ最善な案が閃き、イザベラの頬が自然と緩む。
「先生、このままジョシュア君を対象に検証を続けましょう!」
イザベラの提案が相当嫌なのか、眉間にシワを寄せていたユリウスの表情がますます歪む。
「何のために?」
「色んなことのためにです!!」
頭の中で閃いた案を、ユリウスに一から説明する。
もちろん、ユリウスがイザベラに恋しているという部分は伏せている。
「...つまり、中和剤を作製するために必要な恋という感情を理解するために、薬が作用しているお前を観察する必要があると」
「その通りです!!」
話の内容は納得しているはずなのに、それが受け入れ難いものだったのか、ユリウスが複雑そうに瞳を細める。
暫く考え込み、やっと結論が出たと思ったら、苦虫を噛み潰したような顔で、絞り出すかのように言葉を吐き出した。
「......承諾、しよう」
よし。
思わず握りしめてしまった拳をユリウスに見せないようにイザベラは背中に隠した。
「それじゃあ、ジョシュア君にも事情を話しておいたほうがいいですよね」
善は急げと先ほど部屋から出て行ったジョシュアを追いかけようと、イザベラが身を翻そうとする。
「いや、待て」
ユリウスの低い声がそれを制した。
体は扉へ向けたまま、顔だけを振り返ると、ユリウスは気まずそうに視線を逸らした。
「あの男に、全て話す必要はない」
「何故ですか?」
「……自分が惚れ薬の対象になったと知れば、あの男が調子に乗るかもしれないだろう。それは癪に障る」
「そんな理由で黙っておくなんて、ジョシュア君に悪いですよ」
あまりにも私情に満ちた理由に、イザベラは眉を寄せる。
しかし、ユリウスは何かを思いついたように顔を上げた。
「そもそも、対象に惚れ薬のことを知らせた状態で、正確な反応を記録できるのか?」
「えっ?」
「あの男が、お前が薬で自分に恋していると知れば、今までと同じように接するとは思えん。お前も、全てを知られている相手の前で普段どおりに振る舞えるのか?」
確かに、事情を知ればジョシュアもイザベラも普段どおりには振る舞えないだろう。
「......確かに、そうですね」
不服ではあるが、ユリウスの言い分にも一理ある。
ジョシュアには申し訳ないが、検証が終わるまでは惚れ薬のことを伏せておくことにした。
「全てが終わったら、きちんと事情を説明して謝ります」
「好きにしろ」
イザベラが渋々納得すると、ユリウスは安堵したように椅子の背もたれへ深く体を預けた。
いつまでも思い悩んでいる場合ではないと、イザベラは軽く頬を叩き、自分を鼓舞する。
「それじゃあ、先生、明日から四六時中わたしと共に行動しましょうね!!」
「それは常にしているだろう」
「いえ、研究室内だけではなく、外に行くときもです!!」
「ーーーーは?」
背もたれに沈み込んでいたユリウスが僅かに体を起こし、紫水晶の瞳を瞬かせた。




