第21話 植え付けられた恋
昨日惚れ薬を飲んだというのに、イザベラは普段と変わらずユリウスの研究室で日々の業務をこなしていた。
一日経過しても昨日と同じく、体に目立った変化はないが、やはりユリウスを見ると、少し落ち着かない。
いつもはユリウスが突拍子もない行動をしないか心配で、気にかけてしまうのだが、今日は何もなくとも無意識に目で追ってしまう。
これが、惚れ薬の効果なのか、イザベラにはわからなかった。
薬を飲む前にはなかった変化なので、一応ユリウスに報告する必要がある。
イザベラは立ち上がり、自分の席で黙々と作業をしているユリウスの元へと向かう。
話しかけようとするだけなのに、妙に緊張してしまう。
こんなこと、今までなかったのにと戸惑いながらも、イザベラは口を開いた。
「あの、先生...」
ユリウスが顔を上げ、紫水晶の瞳と視線がぶつかる。
なんだか、目が合わせづらいが、気にしないように続ける。
「その...、昨日から先生のことを見ていると、ソワソワしてしまうのですが...、これって惚れ薬の効果なのでしょうか...?」
口にしてから、何故か恥ずかしくなり、不自然にユリウスから視線を逸らすように、目を伏せる。
「だろうな」
緊張気味のイザベラとは裏腹に、ユリウスからの返答は淡々としたものだった。
「ということは、わたし、先生にこ、恋をしてしまったのですか...?」
なんだか想像していたものと違うなと感じるも、初恋をまだ知らないイザベラにはこの感情が正しいものなのかはわからなかった。
「いや、薬によって新たな感情が芽生えたわけではない」
しかし、ユリウスがすぐに否定する。
「昨日、薬を飲んだ後の反応があまりにも乏しかったので、考えてみたのだが、どうやら今回わたしが作り上げたものには、対象へ元々抱いていた感情を増幅させる効果があるらしい」
「感情の...増幅ですか?」
「あぁ、ある程度対象に何かしらの感情を抱いていないと発動しないと、わたしは仮定している」
つまり、何の感情を抱いていない相手を対象にしても効果はないということなのか。
そうなると、イザベラに無自覚ながら恋をしているはずのユリウスには何故、何の反応も出なかったのだろうか。
やはり、魔力耐性が高すぎて、ユリウスには効かないようになっているのだろうか。
「...それじゃあ、わたしのこの落ち着かなさはいったい何の感情を表しているのでしょうか...?」
ユリウスの仮定を仮に信じるとして、惚れ薬が反応しているということは、イザベラもユリウスに対して何らかの感情を抱いているということになる。
だが、イザベラにはこれが何の感情なのか見当もつかない。
「知るか。わたしが、お前の感情を知る由もなかろう」
眉間を寄せ、イザベラを睨むユリウスを見て、イザベラは聞く相手を間違えたと後悔した。
というか、人への興味がないユリウスが他人の感情を汲み取ることが、出来ないということをすっかり念頭から忘れてしまっていた。
「しかし、効果が見られたということはわたしの作ったものに問題はなかったということになる」
自分の魔術に問題がなかったとわかった途端、すっかりいつもの調子に戻っているユリウスだが、感情を芽生えさせることが出来ない時点で惚れ薬としては失敗なのではとイザベラは密かに思ったが、面倒くさくなりそうなので口を噤む。
いつまで薬の効果が持続するかは、これから経過観察していく予定だが、慣れるまで時間がかかりそうだなとイザベラは胸のざわつきを抑えるように小さく息を吐いた。
「それで、薬を作製する際に用いた魔術陣を少しばかり弄って、改良版を作ってみた」
自分でも理解不能な感情に悶々とするイザベラをよそに、ユリウスは得意げに机の引き出しから小瓶を取り出し、見せつけるように机の上に置いた。
前回の増幅系惚れ薬よりも赤みが濃い色の液体が小瓶の中で揺らめいていた。
「魔術による感情への干渉は可能と証明された。だから、今回はそれを応用して感情そのものを植え付けられるようにした」
本人はものすごく軽く言っているが、ユリウスが行っていることはとんでもないことだと理解しているイザベラは開いた口が塞がらなかった。
つい先日まで恋が何なのか分からなかったユリウスが、魔術理論も曖昧なまま作った惚れ薬の上位互換品を一晩にして作り上げてしまったのだ。
だが、まだ信用ならない。
「...当然、効果の確認は」
「していない。だが、問題ない」
「いや、ありますから」
一連の流れを全てもう一度行うのは骨が折れるので、イザベラは仕方なく小瓶に手を伸ばそうとした。
すんでのところでユリウスが小瓶を奪い取るように自身の手中に収めた。
「...何のつもりだ」
「いや、こっちの台詞なんですけど。検証、する必要ありますよね?」
どうせ最終的にイザベラが被験者にならないと進まないんだったら、最初から覚悟を決めてしまえば、無駄な労力をかけずに済む。
昨日、惚れ薬を飲んだ時点で、イザベラのそれに対する恐怖心はだいぶ薄れているのである。
惚れ薬をイザベラから隠すように持っているユリウスが眉を吊り上げて、イザベラを睨みあげてくる。
「...誰に試すつもりだ」
「もちろん、ジョシュア君ですけど...」
ジョシュアの名前に反応したのか、ユリウスの吊り上がった眉がぴくりと動いた。
「ならん!!お前で薬の検証はもうやらん!!」
「なんでですか!?この間と言ってること、違いませんか!?」
「うるさい!ダメなものはダメだ!!!」
理解不能なことを言い出したユリウスは惚れ薬を元あった机の引き出しへと仕舞い、椅子を回転させ、イザベラに背を向ける。
さっきまで上機嫌だったのに、ジョシュアの名前を聞いた途端機嫌を損ねてしまった。
そんなにジョシュアのことが気に食わないのだろうか。
あんな好青年、中々いないのに。
本当にユリウスの思考回路が読めなくなる時があるので、まだ助手として未熟だなとイザベラは肩を落とす。
「...それじゃあ、どうやって薬の効果を確認するんですか」
「効果はもうわかっているので、確認する必要はない」
「それだけしかわかっていないじゃないですか!!副作用の有無や、持続性についても確認する必要があります!」
「なら、お前以外の人間が飲めばいい!!」
さすがに我儘が過ぎるので、イザベラも少々苛ついてきた。
感情に作用する惚れ薬の危険性について散々説明したはずなのに、まだそれを理解していないというのか。
理解していないだけならまだしも、今回はかなり私的な感情に支配されている気がする。
それまで胸の奥に押し込めていた苛立ちが、すっと冷たい怒りへ変わった。
「...先生、こっち向いてください」
いつもより少し低めな声で呼びかけるも、ユリウスは反応しない。
「先生」
やはり、反応がない。
少し強引だが、椅子の背もたれを掴み、椅子ごとイザベラの方へ向ける。
「先生、わたし何度もお話しましたよね。関係のない人間をこんな危険な事に巻き込みたくないと」
ユリウスはそっぽを向いたまま、イザベラを見ようとしないが、気にせず続ける。
「しかも、今回は前回のものと違い、本来あるはずのない感情を無理やり植え付けるものです。非道徳的です。他人に飲ませるなんて容認できません」
普段のイザベラの説教とは違うことにユリウスも感じ取っているのか、組んでいる腕からのぞく指が僅かに反応している。
「昨日、無理やり薬を飲ませたことだって、わたしだから今まで黙っていただけです。本来なら、だいぶ問題のある行為なんですよ」
飲まされた直後は色々混乱して流してしまったが、あの行為に納得しているわけではないのだ。
「このような非人道的なことを続けるのであれば、さすがに付き合いきれません。本気で今後のことについて考えなければいけなくなってしまいます」
真っ直ぐユリウスの瞳を見つめると、さすがにここまで言えば事の重大さをわかってくれたのか、唇を噛み締めながらも、イザベラを見つめ返す。
それともイザベラが助手を辞めるかもしれないことに反応したのか。
どっちにしろイザベラが本気で怒っていることに気付いてくれれば、それでいい。
少しの間、二人の間に沈黙が流れる。
先に動いたのはユリウスの方だった。
「...なら、どうすればいい」
怒られた子供のように少しだけ拗ねた感じで聞いてくる様子にイザベラはやっと伝わったかと胸を撫で下ろす。
しかし、問題はまだまだ山積みである。
イザベラがジョシュアで惚れ薬の効果を試すことに、異常な拒否反応を見せるユリウスにこれ以上そのことを提案しても、色々な理由を並び立てられ、何としても却下されるだろう。
「先生が飲むのは駄目なんですか?」
「...前回も言ったが、わたしは魔力耐性が高すぎるため、効かない可能性が高い」
頑なにそう主張してくるも、前回の惚れ薬は増幅型でもしかしたらイザベラへの感情が限界突破しているため効かなかったという可能性だって捨てきれない。
しかし、自惚れもいいところなのでイザベラは早々にその可能性を頭の隅へと追いやった。
滅茶苦茶な言い分だが、ユリウスの主張もそうであると受け入れることにしよう。
そうなると、ユリウスにも薬は試せない。
やはり考えれば考えるほど、この方法しか残されていないのかとイザベラは静かに覚悟を決める。
「わたしが飲んで、先生で効果を確認します」
決意が籠もった眼差しを向けると、ユリウスが息を呑んだことがわかった。
昨日飲んだ薬の効果が残っている可能性はあるが、いつ消えるかも分からないものを待ち続けるわけにもいかない。
無関係な人間を巻き込むくらいなら、危険を承知で自分が引き受ける方がましだった。
まさかイザベラから提案されると想定していなかったのか、ユリウスが視線を彷徨わせ、少しだけ挙動がおかしくなる。
「そ、それはお、お前が望むことではないだろう...」
「はい。本当は嫌ですが、これ以外に最善の方法を見つけられませんでした」
本心は嫌ということに反応したのか、ユリウスの眉間が僅かに寄る。
初恋をまだ知らないイザベラとしては自分が人を好きになるとどんな風になるか想像がつかなかったため、そんな状態の自分をユリウスに見られるのに少しだけ抵抗がある。
しかし、先日何故だかわからないが、ユリウス本人からイザベラになら好意を向けられても問題ないという発言を聞いている。
だったらここまで散々惚れ薬の件で迷惑を被ってきたのだから、最後まで責任を取ってもらおうじゃないか。
「先生なら何かあってもすぐに対処できますし、すでに好意を向けても構わないと了承を得ています。それに四六時中一緒にいるので経過観察もしやすいです。総合的に見て、検証対象として最も都合がいいです」
反論されると面倒なので、その隙を与えないよう、これ以上の最善策はないと思わせるほどの圧で、イザベラは合理性を並べ立てた。
最初は戸惑いを見せていたユリウスも徐々に冷静になってきたのか、表情が抜け落ちて、真顔になっていく。
「...本当に、お前の意思で、それでも構わないと判断したんだな」
「は、はい!勿論です!!」
いつになく真剣な眼差しを向けてくるので、一瞬怯みそうになったが、イザベラは力強く頷いた。
深く息を吐いたユリウスが、少しだけ考え込む。
そして、机の引き出しを開き、惚れ薬で満たされた小瓶をイザベラへと差し出す。
「...受け取れ」
「あ、ありがとうございます!」
惚れ薬を渡してくれたということは、イザベラの提案に承諾してくれたということだ。
ついにここまで来たかと嬉しくなる反面、これから何が起こるかわからない不安が同時に湧き上がってきた。
感情を植え付けるという効果がわかっているとはいえ、それがどのような結果をもたらすのかは飲んでみるまでわからない。
もしかしたらユリウスとの関係にも何かしら影響が出てしまうかもしれない。
そう考えると、やはりユリウスを対象にするべきではなかったという後悔が胸をよぎったが、イザベラは必死にその考えを振り払った。
しかも、ユリウスは真顔のままイザベラが惚れ薬を飲むのをじっと見つめている。
その視線を意識した途端、妙に緊張してしまった。
もう色々と考えるのはやめようと雑念を飛ばそうと、頭を振り、意を決して小瓶の蓋を開けた。
突き刺さるような視線が痛いが、イザベラは気にしないように小瓶を口元まで運んで、中の液体を口に含んだ。
口の中が形容しがたい不快感で満たされる。
手に持っていた小瓶が手から滑り落ち、大きな音を立て、床に破片が散らばっていく。
体が拒否しているのか、飲み込むことができない。
吐き出さないように必死に手で口元を押さえ込んでいると、背後から勢いよく扉が開く音が聞こえてきた。
「大丈夫ですか!?」
振り向くと、慌てた様子のジョシュアが部屋へと入ってくる。
その反動で咄嗟に口の中の液体を飲み込んでしまった。
「...あっ」
どうしよう、このままだとジョシュアが対象になってしまう。
ジョシュアから視線を逸らそうとするも、力強く肩を掴まれる。
「お怪我はありませんか?」
心配するようにイザベラの顔を覗き込むジョシュアの顔が目の前にある。
琥珀色の瞳にイザベラが映る。
その瞬間、イザベラの胸が大きく脈を打つのがわかった。
胸の鼓動が消えることなく、静かに脈を打ち続ける。
「...イザベラさん?」
「えっ!?あっ、へあっ」
ジョシュアの顔がすぐ目の前にあることを意識した途端、恥ずかしさが込み上げ、不自然に視線を逸らしてしまう。
胸が痛い、頬が熱い、頭がぼうっとする。
掴まれている肩も変に意識してしまう。
これまでジョシュアを前にして起こらなかった反応が一気に現れ、イザベラは混乱してしまう。
ジョシュアの顔が見れなくて、縋るようにユリウスへ視線を向けると、今まで見たことのないような表情で呆然と立ち尽くしていた。
苦しげに眉を寄せ、唇をきつく結び、イザベラと目が合うと、何かに堪えるように目を伏せる。
その顔には、動揺と苦悩が入り混じったような色が浮かんでいた。
そんな表情のユリウスを目の当たりにし、ジョシュアへ向けて規則正しく脈打っていたはずの鼓動が、不意に一拍だけ乱れた。
イザベラの中で何かが小さくひび割れたような音がした。




