第20話 わたしでは、駄目なのか?
「絶対に、嫌です」
ユリウスから出された提案に、イザベラはきっぱりと拒絶を声に出す。
睨むように目を細めたユリウスが、苛ついたように指で机を叩いた。
「何故、そこまで異を唱える。なにが、そんなに不服なのだ」
「あまりにも得体が知れなすぎだからです。全てにおいて未知数が過ぎます」
常識のある普通の魔術師が作った惚れ薬だったら、躊躇いはするがここまで拒否反応は出なかっただろう。
しかし、作製者が魔術師としては天才的才能を発揮するが、誰よりも人間離れしているユリウスだからこそ、イザベラはこんなにも警戒しているのだ。
作製工程も曖昧で、効能もわからず、副作用が出るかもしれないそんな代物をそう安々と飲んでたまるか。
何より、作製者であるユリウスが先ほど飲んで何の変化も見られなかったので、そもそも魔術が正常に発動しているのかさえわからない。
「わたしが魔力耐性が高すぎる故に、惚れ薬の効果が見られなかったんだ。凡人のお前になら、それが見られるはずだ」
本人は薬が効かなかった理由をそう述べているが、それさえも疑わしい。
しかも、ユリウスは無自覚だがイザベラに恋をしているので、最初から効果が見込めなかった可能性だって捨てきれない。
完成しなかったら困るが、完成したらしたで厄介事が増えるなんて、本当になんてものに手を出してくれたんだ。
この天才以上人間未満の異端児め!
「極論すぎます。まず順を追って、薬について情報を整理する必要があります。そこから仮説を立てて...」
「ええい、うるさい!そんなまどろっこしいことしなくても、わたしが作ったものが不完全なはずない!!被験者が例外的過ぎたのだ!!」
暴論が過ぎるユリウスに呆れて何も言えず、イザベラは静かに睨み返す。
本日二度目となる睨み合いが勃発するも、今回もどちらも引く気がなく、中々終わりが見えない。
先ほどは検証の必要性を巡る意見の相違だった。
しかし今回は、自らの失敗を前提に話を進められたことが、天才魔術師として受け入れ難かったのだろう。
非常に往生際が悪い。
イザベラだって引く気はない。
ユリウスの魔術を何よりも信じているからこそ、こんな不完全な結果で満足してほしくないのだ。
だが、それで自分がこの薬の被害者になりたいかと言われれば、それはまた別の話である。
どうにかしてユリウスを説得して、一緒に検証方法を検討する流れにしたいイザベラは睨み合いの最中も必死に脳内で考え続ける。
しかし、ユリウスがとんでもないことを言い出したせいで、思考が止まった。
「それなら、お前以外の人間で試すまでだ」
大真面目な顔で非常識なことを口にするユリウスにイザベラは眉を吊り上げる。
「そんなこと認められません」
「何故だ。お前が拒否した以上、わたし以外の人間に試すなら誰だってよい」
「無関係な人間を巻き込むわけにはいきません!!」
「なら、どうする!?」
声を荒げ、苛立ったように机に拳を叩きつけるユリウスに、イザベラは思わず肩を震わせる。
「具体的な案も提案せず、ただ否定するだけならお前の意見を聞く必要はない」
「そ、それは...、今から仮説を立てて...」
いつもと違う気迫に押されてしまい、つい口籠る。
「仮説を立てたところでどうなる。それを踏まえたところで、お前は他人に危険を及ぼすわけにはいかないと結論づけるつもりだろ」
そんなわけないと口を開きかけるも、完全に否定することが出来ず、イザベラは押し黙ってしまう。
「その上、自分でも試したくないと駄々をこねよって...いい加減にしろ」
何故自分が怒られているのか、理不尽極まりないが、ユリウスの言い分もわかる。
こんな倫理的に危ない代物を人畜無害な赤の他人に試すのは忍びないし、他の生物に試しても人間と同じ思考回路、感情形成をしていない限りそれも難しい。
だから、どんなに仮説を立てようがイザベラが一番の被験者として変わりはないのだ。
どうしてもそれが受け入れ難かったため、何としてでも抜け道を探し出そうとした。
なのに、ユリウスに先に核心を突かれてしまったので、イザベラにはもう反論の余地が残されていなかった。
「...わかり、ました...」
何も言い返せないイザベラは唇を噛み締め、絞り出すように惚れ薬を飲むことを承諾した。
本当に、心底嫌なのだが、考えれば考えるほど、これ以上の最善案を見つけることが難しいと判断した。
「......検証時はわたしも立ち会う。何かあったら、すぐに対処できるようにする」
「......はい」
本当に嫌なのが顔にも出ていたのか、珍しくユリウスから折衷案が示された。
それなら少しだけ救いがあるのかもしれないが、やはり怖いものは怖いので、イザベラの心が晴れることはなかった。
「明日までにもう一度、作っておく」
それだけ言い残し、ユリウスは車輪付きの椅子で魔術書が山積みになっている部屋の奥へと移動していった。
...明日か。
完成をあんなに待ち望んだ惚れ薬だというのに、いざそれを試さなければいけないとなると、気持ちが沈んでいく。
気合いを入れなければと、イザベラは自身の頬を強めに叩く。
とりあえず、明日何が起こるかわからないので、今日は帰りにケーキでも買って帰ろう。
そうやって自分を鼓舞したイザベラは席へと戻り、すっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。
そして、出来るだけ明日のことを考えないように作業へと没頭しようとする。
けれど、どれだけ手元の作業に集中しようとしても、先ほどまで机の上にあった薄桃色の液体のことだけは、頭の隅から離れてくれなかった。
・
次の日、イザベラの目の前、ユリウスの机の上に昨日と同じ小瓶に入った薄桃色の液体が置かれており、存在感を放っていた。
「受け取れ」
静かに声を落とすユリウスのせいで、やけに重々しい空気を感じた。
小瓶に手を伸ばすイザベラの指が緊張のせいもあるのか、少しだけ震えている。
ついに、このときが来てしまった。
昨日、惚れ薬の被験体になることを承諾した時から、明日なんて来なければいいのにと心の底から願っていた。
朝、浅い眠りから覚め、今日が来てしまったことに軽く絶望した。
なにかの拍子でユリウスごと研究室が爆発とかしててくれないかなと考えてしまうほどイザベラにとって、この瞬間が訪れてしまうことが憂鬱だった。
しかし、ここまで来たら、もう逃げられないとイザベラもいい加減、腹を括ることにした。
「それで、対象人物なのだが、お前が関係ない人間を巻き込みたくないというくだらない意向を汲み取り、仕方がないのでわたーー」
「あ、それはジョシュア君にお願いする予定なので、大丈夫です」
「ーーーはっ?」
何に驚いたのか、ユリウスが紫水晶の瞳を見開かせる。
「だから、ジョシュア君に薬の効果を確認するための対象人物として協力してもらおうと思っています」
「な、何故そうなる!?」
ジョシュアのことになると途端に理解力が落ちるので、もう一度丁寧に説明すると、ユリウスは焦ったように声を上げた。
何故と聞かれても、逆にジョシュア以外に今回の惚れ薬の検証に最適な人物はいないとさえイザベラは考えている。
前提条件として、ジョシュアはイザベラに好意を抱いている。
そして、確証はないが、イザベラはジョシュアに良い印象を抱いている。
けれど、それは恋という感情までには至っていないはず。
そのため、服用前後の変化が非常に観察しやすく、効果を確認するための人物としてイザベラの中では一番の有力者なのである。
「効果が一番分かりやすく観察出来るので、最善の選択かと」
「関係ない人間は巻き込みたくないと言っていただろ」
「はい。でも、ジョシュア君は今まで何回か研究に協力してくれたので、完全に無関係とは言い難いです」
しかし、ユリウスは納得していないのか、まだ何か言いたげに口を開きかけては閉じる。
そんなユリウスを説得するために、イザベラは続ける。
「それに、ジョシュア君は少なからずわたしに好意を抱いています。もし惚れ薬が正常に機能した場合、わたしは対象人物に恋をするということですよね?好きでもない相手に突然好意を抱かれても迷惑ですが、彼なら既にわたしに好意を抱いてるので、迷惑は最小限になるはずです」
もちろん、ジョシュアにも同意を得てから、検証は行うつもりである。
さすがのジョシュアだって効果が未知数の惚れ薬を飲んだイザベラに意味もわからず好かれることは望まないだろう。
それでも、彼の好意を都合よく扱おうとしていることに変わりはない。
そう思うと、胸の奥に小さな罪悪感が沈んだ。
さすがにここまで言えば、ユリウスだって納得してくれるだろうと思ったが、何故かますます不機嫌そうに顔を歪める。
「...それは、本気で言っているのか?」
「はい」
「...もし、薬の効果が一過性ではなく、持続性のものだったらどうする。たとえ持続性のものだと判明したとしても、いつまで効果が続くかはわたしにもわからないんだぞ」
確かに薬の効果が永続的に続くのであれば、イザベラはずっとジョシュアに恋することになる。
しかし、それも仕方のないことだ。
惚れ薬の被験者になると腹を括った時点で、イザベラは薬によって起こるであろう全ての結果を受け入れる覚悟をしている。
「そうなったら、大変申し訳ないですが、ジョシュア君に貰っていただこうと思います。尤も、彼に承諾していただけたらの話なんですけどね」
「なっーー!?」
ユリウスが顔を引きつらせて、唇を震わせている。
何か気に障るようなことを言っただろうかと首を傾げるも、イザベラの中ですぐにその答えに辿り着く。
もしかしてイザベラがジョシュアに恋することによって、ユリウスの助手を辞めてしまうかもと懸念しているのではないのだろうか。
それとこれとは、話が別だと考えればすぐわかるようなものだが、感情が赤ちゃん未満のユリウスにはきちんと説明しないと伝わらないのだろう。
「大丈夫ですよ、先生!例えジョシュア君と一緒になったとしても、先生の助手は辞めるつもりはありませんし、お世話も続けるつもりです!!安心してください!!」
「そ、そういう問題ではない!!」
突然大きな声を上げて、ユリウスが立ち上がるので、勢いに押されイザベラの体が一歩後ろへと下がる。
どこか切羽詰まったような表情で唇を噛み締め、イザベラを睨む。
「...わたしでは、駄目なのか?」
吐き出されるようにユリウスから出たその言葉に、イザベラは目を瞬かせる。
それはユリウスを対象に惚れ薬の検証をしろということなのだろうか。
しかし、イザベラは最初からユリウスを対象にするつもりはなかった。
「だって、先生、他人から好意を向けられるのが迷惑なんですよね?」
「そ、それは......」
言葉を詰まらせたユリウスが瞳を伏せる。
黙っていれば美形のユリウスは今までも何人もの女性に好意を寄せられてきていた。
だが、人に興味がないユリウスはそれらを鬱陶しく感じ、全て邪険に扱っていたところをイザベラは何度も目撃している。
感情を向けることと、受け入れることは同等ではない。
ユリウスが無自覚な恋をイザベラに向けていると知った今でも、彼は他人の感情を受け入れることに拒絶反応を示すのではないかと思っている。
正直言って、何故だかわからないが、イザベラはユリウスに拒絶されることが少し怖いのだ。
だから、ユリウスを惚れ薬の対象人物から除外した。
言葉を失ったユリウスが瞳を伏せたまま、微動だにしない。
やっと納得してくれたのかと肩の力を抜いた次の瞬間、ユリウスは紫水晶の瞳をイザベラへ向け、静かに口を開いた。
「......お前になら、構わない」
「............はい?」
あまりにも信じ難い言葉だったので、思わず聞き返してしまう。
すると、ユリウスの眉が吊り上がり、表情がみるみるうちに怒りへと変わっていく。
「お前になら、好意を向けられても構わないと言ったんだ!!!!」
「な、なんでですか!?」
突然理不尽に怒鳴られたので、勢いで聞いてしまうと、ユリウスがますます機嫌を損ねたように眉間のシワを深く刻む。
「うるさい!!!!とにかく、つべこべ言わずに早く飲め!!!」
ユリウスの腕が、イザベラの手中にある惚れ薬が入った小瓶へと伸びる。
不意打ちだったため、それは呆気なくユリウスに奪われ、小瓶の蓋を開けられる。
「ちょっ...!?」
驚きで面食らっているうちに、小瓶の口を無理やり口の中へと押し込まれる。
むせ返るような甘さが口の中を覆い尽くしたため、反射的に喉が動き、流れてくる液体を全て飲み込んでしまった。
小瓶が口から離れたので、咄嗟に口元を押さえる。
惚れ薬の後味なのか、不快なぐらいの甘ったるさが舌に残る。
「ーーどうだ?」
すると、低く抑えられた声が耳に入ってくる。
声をしたほうに視線を向けると、緊張したように表情を強張らせているユリウスと目が合った。
その瞬間、イザベラの胸が大きく脈を打ったような気がした。
だが、それは一瞬で終わった。
その後も、特に胸に何かが起こることはなく、それどころか、体のどこにも大きな変化を感じられない。
強いて言うなら、ユリウスを見ていると何だか落ち着かないというか、妙にこそばゆい感覚が強く感じるようになった。
「...なんか、少し落ち着かないです」
「他に、変化はあるか?」
「これといって目立ったものは...」
本当にさっき飲んだのは惚れ薬だったのだろうかと疑わしくなるほど、異常な変化が見受けられない。
「失敗、したのでしょうか?」
あまりその言葉を口にしたくはないが、前回と今回の結果だけ踏まえると、そう結論づけるしかない。
そうなると、癇癪を起こしそうだなと恐る恐るユリウスの様子を確認するも、意外にも落ち着いているように見える。
椅子に座り、腕を組み、呪文のようにぶつぶつと何かを呟いている。
「せ、先生...?」
イザベラが話しかけても、返事はない。
ということは、いつもの没頭状態に入ってしまっているため、何をしても反応が返ってこないだろうとイザベラはユリウスを眺める。
いつもの光景のはずなのに、何だか妙に落ち着かない。
不自然な居心地の悪さを感じるも、ずっとユリウスを見ていたいと思うのは何故なのだろう。
初めての感覚に戸惑うイザベラは、それが惚れ薬の効果だとは思いもしなかった。
そして、ユリウスからそれを伝えられたのはイザベラが惚れ薬を飲んだ次の日のことだった。




