第19話 完成したのに、わからない
ユリウスとのデートから数日経ったある日、用事を済ませ、イザベラが研究室に戻ると、ユリウスが珍しく自分の席に座っていた。
イザベラの姿を確認すると、自信ありげに口元を緩め、声を上げた。
「出来たぞ」
主語がないその言葉に、イザベラは一瞬何のことかわからなかった。
なので、すぐに返事はしなかった。
腕に抱えていた書類を自分の机に置き、コーヒーを淹れに給湯スペースへと向かう。
魔術狂いのユリウスのことだから新しい魔術陣を構築したことの報告ということまで推理できるが、いったい何に対する魔術なのかは今の時点ではわかりかねない。
山積みになっている他の研究室からの依頼なのか、はたまた自分の興味本位のものなのか。
出来れば、国から指定された最重要案件である、未知なる感染症の治療魔術であって欲しいと心から願いながら、イザベラはユリウスの机にコーヒーカップを置いた。
もちろん、ユリウス好みのぬるめのコーヒーを入れて。
「で、なにが出来たんですか?」
すぐに反応しなかったイザベラが気に障ったのか、ユリウスが面白くなさそうな顔で睨んでくる。
「そんなの、決まっているだろ。惚れ薬だ」
「なんだ、惚れ薬ですか...」
やはり期待していた案件ではなく、一瞬肩を落としかけるイザベラ。
しかし、すぐに違和感を覚える。
「...ん?すいません、先生さっきなんて言いました?」
「だから、惚れ薬が完成したと言っている」
物分かりの悪いイザベラに苛立ったのか、ユリウスが不満気に声を荒げる。
ーーーーはっ?
けれども、やはりイザベラはユリウスが言ったことをすぐには飲み込めなかった。
結局、先日のデートで判明したのは、ユリウスが自分の感情をまるで理解していないということだった。
ユリウスの恋心を、しかもその相手であるイザベラ自身の口から説明するのは憚られる。
そのため、ユリウスに自らの恋心を自覚させることは早々に諦めたイザベラは、やはり客観的な分析が必要だと判断し、ジョシュアを観察対象として研究を続けようとしていた。
しかし、何故かそれを良しとしないユリウスに散々いちゃもんを付けられ、終いにはデートは許可しない、手当も出さんと言い出したのである。
さすがに横暴すぎたので、腹が立ってしまい、喧嘩腰であらぬ発言をしてしまった。
『だったら、早く惚れ薬作ってくださいよ!!!そしたら、もうデートしにいきますなんて二度と言わないですよ!!!』
それがつい二日前の出来事だ。
まさか、本当に作り上げてしまうなんて思いもよらなかったイザベラが呆然と立ち尽くしていると、ユリウスは薄い桃色の液体が入った小瓶を机の上に置いた。
「わたしが、本気を出せばこの程度の物、すぐ出来る」
自信満々にふんぞり返るユリウスに、だったらもっと早く完成させろよと噛みつきたくなる。
しかし、それよりもイザベラには気になることがあった。
「...どうやって、完成させたんですか?」
当初、恋という感情がわからないと薬が出来ないと騒ぎ立てたおかげで始まった恋愛研究だったが、ついぞユリウスが恋を理解することはなかった。
それにもかかわらず、目の前にそれが出来上がっている。
つまり、ユリウスが恋について何らかの答えを見出したということになる。
「...先生は、恋についてなにかわかったんですか?」
何故か緊張してしまい、イザベラの声が強張る。
しかし、ユリウスの答えはあっさりとしたものだった。
「いや、わからん。気付いたら、出来ていた」
「......は?」
予想外なその言葉にイザベラは、ユリウスに詰め寄った。
「気付いたら出来ていた、なんてそんなこと、あるはずないです。絶対にそれを作るために、何か特別な処理を施したはずです。何をしたんですか?説明を求めます」
ここ数ヶ月、惚れ薬を完成させるべく、ユリウスに振り回されながらも、恋を解明するための研究にイザベラは奔走してきた。
それなのに、たった一言、気付いたら出来ていたと片付けられても納得できるわけがない。
だったら、せめて惚れ薬生成のために構築した魔術理論を把握したいと問い詰めているのだが、珍しくユリウスが困ったような表情を見せてくる。
いつもなら魔術の話になると饒舌になるのに、何故か視線を落としたまま口を開こうとしない。
「...お前が、」
やっと声を発したと思ったら、歯切れが悪く、またすぐに口を閉ざす。
ほんの一瞬だけ、苦々しげな表情が過ったと思ったら、顔を露骨に背けられる。
「うるさい!出来ていたものは出来ていた!!それ以上の言及は聞き入れん!!」
これ以上踏み込ませまいとするように、ユリウスは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
しかし、イザベラも簡単に引き下がるつもりはなく、反論を口にしかけたその時、ユリウスの鋭い視線が突き刺さる。
「とにかく、薬は出来たんだ!これでお前も二度とあの男と外出など、くだらんことを考えるな」
最後にそう言い放つと、ユリウスは勢いよく椅子を回転させ、背中を向けたまま押し黙る。
こうなってしまったら何を言っても無駄だと知っているイザベラは悔しくて何度も口を開けたり閉ざしたりするも、結局諦めるしかなく、小さく肩を落とした。
イザベラは、ユリウスの机の上に置かれている小瓶に視線を移す。
恋という現象を理解しないままユリウスは、本当に惚れ薬を完成させてしまった。
しかし、先ほど暴論を耳にしたイザベラの中で新たな疑問が浮上してきた。
「...先生、この薬の効能、きちんと検証しましたか?」
果たして、この薬は本当に惚れ薬として機能しているのであろうか。
感情を芽生えさせるはずの薬だが、その原理を作製者本人がよくわかっていない。
なら、何をもってしてこれが惚れ薬だと断言できるのだろうか。
研究者として純粋な疑問をぶつけると、背中を向けていたユリウスが椅子を回転させ振り向くと、さも当然かのように首を振る。
「いや、していない」
またこの流れか。
既視感のある展開にイザベラは頭を抱えたくなった。
爆破部屋を発動させた時もそうだったのだが、ユリウスは自身の魔術を過信しすぎている節がある。
天才故に魔術理論を完全に把握しないまま、なんとなくで魔術を完成させてしまう。
しかし、それ故に出来上がってしまった魔術は不完全なものも多いし、困ったことにそれを検証もせずに躊躇いなく発動してしまうので、失敗だって少なくはない。
現に爆破部屋では死にかけたし、今だって未知なる感染症に有効な治療魔術を構築したはいいが、副作用で悪夢に魘されるという最悪なものを作り出して、依頼者のサミュエルの頭を悩ませている。
だから、目の前の惚れ薬も恋を芽生えさせる代わりにとんでもない副作用を発生させる可能性がないとは言い切れない。
そんなものを王太子殿下に献上するなど、想像するだけで胃が痛くなってきた。
「わたしの、作ったものが欠陥品だと言うのか?」
「今まで散々迷惑被ってきたんですから、少しは学習してください」
自分の魔術に絶対的な自信を持つユリウスが不服を訴えてくるも、イザベラも研究者として、助手としてこんな危険な代物を送り出すわけにはいかないので、強めの口調で反論する。
意見の食い違いで二人の間の空気がひりつくも、お互い引く気がなく、暫しの間、睨み合う。
沈黙が続く中、先に音を上げたのはユリウスの方だった。
「......そんなに、気になるのならお前が飲んでみればいい」
面白くなさそうに唇を尖らせるユリウスから出たその言葉は、己の魔術への絶対的自信を揺るがすものなので、実質、敗北宣言に近いものだった。
しかし、そんなことよりも気にするべきことがあったイザベラは力強く首を振る。
「えっ、嫌ですよ。そんな得体の知れない、飲みたくないです」
至極真っ当な判断だと思った。
何故なら、惚れ薬とは感情を意図的に植え付ける倫理的に危険な代物であり、しかも作製者本人ですら何故完成したのか説明できない。
それを簡単に受け入れるほど、イザベラは単純ではなかった。
まさか拒絶されるとは思っておらず、ユリウスが眉間にシワを寄せ、唇を引きつらせている。
「お前...、わたしの魔術が信用できないというのか」
「先生の魔術は何より信用していますが、人としては誰よりも信用していません」
むしろ誰よりもユリウスの魔術師としての腕を評価しているからこそ、尚更手を出したくなかった。
ますます機嫌を損ねたユリウスは、イザベラを恨みがましく睨みつける。
「ご自身が作り上げたものなんですよね?だったら、先生が自分で試すのが一番合理的な判断だと思います」
普通の感覚を持つ魔術師なら、まず自分で効果を確認するのが筋であろう。
誰かに恋をしてしまう惚れ薬という倫理的に危険な代物なら尚更のことである。
「......なるほど」
イザベラに指摘され、ユリウスは初めてその可能性に思い至ったのか、僅かに目を瞬かせた。
そんな当たり前なこともすぐに思いつかないとは、やはりユリウスは人として色々なものが欠落しすぎている。
とりあえず、試すにしてもユリウスに恋されても問題にならない対象を用意する必要がある。
人間はあまりにも気の毒すぎるので、それ以外の生物がいいのかもしれない。
もういっそのこと無機物でもいいかと、イザベラは研究室内で対象になり得そうなものを探しに行こうと、その場から離れようと、一瞬だけユリウスから目を離した。
すると、その隙にユリウスが惚れ薬の入った小瓶の蓋を開け、あろうことかそのまま、なんの躊躇いもなく口に含んだのである。
「ちょっ...!!!」
確かに、自分で試せとは言ったが、今すぐ飲めとは一言も言っていない。イザベラは慌てて制止の声を上げた。
しかし、制止する間もなく小瓶の中の液体を全て飲み干したユリウスの紫水晶の瞳がゆっくりとイザベラを捉える。
見慣れているはずのその瞳に何故かイザベラの胸が前触れもなくざわつく。
「......どうですか?」
胸に違和感が生じたせいなのか、ユリウスに確認する声が妙に上ずっていた。
この違和感は惚れ薬の効果への不安なのか、それとも別のものなのかわからないイザベラは息を呑みながら、ユリウスの反応を待った。
すると、ユリウスはイザベラを見つめたまま不思議そうに首を傾げる。
「何も、感じられない」
緊張の糸が切れたようにイザベラは胸を撫で下ろす。
しかし、効果が見られないのは妙だなと質問を続けることにした。
「飲む前と後で、何か変化はありますか?」
「いや、特には。口の中に嫌な甘さが残る程度だ」
「身体的に、感情的に何か違和感は感じられますか?」
「...それも、ない」
「...何か、体に不調は出ていますか?」
「.........それは、いつものことだ」
最後の質問だけ、歯切れが悪そうに答えたユリウスがイザベラから視線を逸らす。
惚れ薬を飲んだというのにこれといった反応が見られないとはどういうことだろうか。
というか、そもそもユリウスは既にイザベラに恋愛感情を抱いているのだから惚れ薬の効果が出るものなのかという疑問も出てくる。
この結果を踏まえると、やはり薬の効果を試すのにもきちんと複数の仮定を立て、事前に準備をする必要があるなと改めて検証の必要性を実感するイザベラなのであった。
「結果を見る限り、失敗ですかね...?」
「わたしが魔術で失敗するなどありえん!!」
自分で薬の効果が何もなかったと証明したくせに、結果に納得いかないユリウスが声を荒げる。
「じゃあ、なんで何も起きないんですか?」
「ぐっ...、それは...」
答えられないユリウスが悔しそうに唇を噛み締める。
また振り出しに戻ってしまったのかと、イザベラが落胆するその隣で、ユリウスは考え込むように腕を組んだ。
暫く頭を捻らせていると、何か閃いたのか、勢いよく顔を上げる。
「...わかったぞ。わたしに薬が効かなかったのは、やはりわたしの魔術に不具合が見られたからではない」
「と、いうと?」
「わたしは常人よりも魔力耐性が高い。それによって、魔術の効能が薄れて、効果が発揮されていないのだと思われる」
なんてぶっ飛んだ理屈を大真面目な顔で言ってるんだとユリウスに冷ややかな視線を向けるも、一概に否定することが出来ないイザベラは口を閉ざす。
確かにユリウスは魔石の魔力を直接体内に取り込むという普通の魔術師なら絶対にやらない、常軌を逸した所業を平気な顔してやってのけている。
魔力を人体に直接取り込んだ影響として、魔術への反応が鈍くなったというのはあながち的外れではないのだが、実例が少なすぎてそれが正しいのか判断がつかない。
しかし、それは同時に完全にその説を否定するだけの判断材料もないということにもなってしまう。
現状を簡単にまとめるとこうだ。
作製者であるユリウス本人には惚れ薬は効かなかった。
それは薬が原因なのか、ユリウスに問題があるのかわからない状態である。
そうなると、次に取るべき手段はいったいなんだろうとイザベラが頭を悩ませる。
すると、ユリウスが続けざまに声を上げる。
「やはり、お前が試すべきだ」
それは、イザベラが真っ先に思い付いたが、すぐに頭の隅に追いやった最悪な提案だった。




