第18話 わたしには、わからない
間もなく冬の終わりを告げるような暖かな日差しが優しく降り注ぐ中、何故かイザベラはぐったりとしているユリウスに膝枕をしていた。
どうして、こんなことになってしまっているのだろう...。
先日のジョシュアとのデート後に、ユリウスの発言に腹を立て、要らぬことを口にしてしまったせいで次の休日に何故かデートすることになってしまった。
そして、今日がその日なのだが、初恋もまだな恋愛ど素人のイザベラと、恋はしているらしいが、人の心がわからないユリウスが正しいデートの仕方などわかるはずなかった。
とりあえずジョシュアとのデートの真似事をしてみようと提案するも、あいつと同じことをしても意味がないと即却下されたので、ユリウスに代替案を聞くも、特に思いつかなかったのか不機嫌そうに顔を背けられてしまった。
そのせいで険悪な空気になりかけたが、こうなることを予想していたイザベラはユリウスを連れて、ある場所に赴いた。
そこは王都の外れにある大きな公園で、娯楽施設が多数あり、ピクニックができる草原なども有名なので、多くの家族連れや年若い男女で賑わっていた。
感情年齢が赤ちゃん並みに幼いユリウスなら、この場所でも十分に楽しめるはずと連れてきたのだが、期待以上の反応を見せてくれた。
片っ端から目に入る、丸くて回る乗り物に興味を示し、次々と乗り回していく。
茶器を模した回転遊具を限界まで回転させたかと思えば、鎖で吊るされた椅子が空中を旋回する遊具に何度も乗り込み、今度はそれより速い遊具はないのかと係員に尋ねていた。
終いには幾つもの円形回転を繰り返す高速軌道車に乗り込み、乗り物から降りた瞬間に三半規管に限界が来たのか、ふらついて地面に倒れてしまった。
はしゃぎすぎた子供かと突っ込みたくなるも、イザベラは慣れたようにユリウスの片腕を自身の肩に回し、同じ公園内の草原まで運んだ。
大判の敷布を地面に敷き、ユリウスをその上に転がすも、固くて寝心地が悪いだの、頭が痛いだのと我儘を言い出したため、結局イザベラが膝を貸す羽目になった。
完全に遊び過ぎて疲れ果てた子供の面倒を見る親の気持ちになっているイザベラは早くも今回のデートは失敗しそうだなと危惧していた。
これだと何のために貴重な休日を無駄にしたのかわからなくなると、ため息を吐きそうになるのを堪えながら、イザベラが視線を落とす。
すると、膝の上にあるユリウスの透き通るような金色の髪が目に入る。
薄暗い研究室でばかり目にしているから気付かなかったが、太陽の光に照らされるとキラキラと輝いて見える。
つい無意識で手に触れると、いつもの猫みたいにフワフワな手触りではなく、サラサラと指通りがよかったので、思わず何回も指で髪を梳いてしまった。
夢中になって手を動かしていると、寝ていると思っていたユリウスが突然起き上がった。
耳を押さえ、とても不服そうにイザベラを睨んでいる。
「...くすぐったい」
「す、すいません...」
さすがに触りすぎたかと反省したイザベラが素直に謝るも、ユリウスのふくれっ面は治ることはなかった。
梳かれたところが気になるのか、何度も耳を手で触り、落ち着かない様子のユリウスを尻目にイザベラは持ってきた手提げ鞄から用意してきた昼食を取り出した。
辺りを見渡すと自分たちと同じように敷布を草原に敷き、昼食を食べ始めている家族や友人同士の集まりが見られる。
休日にも昼食を用意しなければならないのかと正直面倒ではあったが、偏食のユリウスが外で食事をすると食べられないものが多そうなので、仕方なくイザベラが準備することにした。
しかも、人目のあるところで食べるとなると、いつものような質素で、栄養が取れれば問題ないとまったく見栄えを気にしない物を持ってくるわけにもいかず、いつもより早起きをしてイザベラなりに頑張って作ったのだ。
ランチボックスいっぱいに敷き詰めた、色んな種類の具材を挟んだサンドイッチは全てユリウスが食べられるものを厳選している。
おかずだって、ただ切っただけの野菜ではなく、調理本を読み込んで、チーズとじゃがいものオムレツを見様見真似で作ってみた。
初めて作ってみたが、手先が器用なおかげで割と上手にできた。
悪いことばかりでもないんだなと思うも、ユリウスが食べてくれなかった全てが水の泡になるのだが、当の本人はそれらを凝視して、手に取ろうとしない。
「先生が苦手なものは入れてないはずです」
苦手なものが入ってるかもしれないという警戒を和らげても、ユリウスは動かない。
最近ようやく文句言わずに用意した昼食を食べてくれるようになったのに、何故食べないのだろうか。
折角朝早く起きて、ユリウスが食べられるものを作ったのだから、食べて欲しいと思ったイザベラはランチボックスからサンドイッチを一つ掴む。
「ほら、先生の好きなパストラミのサンドイッチです!食べてください」
そして、いつもの調子でユリウスの口元まで近付けた。
しかし、食べない。
「お腹、空いてないんですか?」
それだったら食べないのも納得だが、先ほどあれだけ遊び回ったのだ、多少空腹ではあるだろう。
それでもユリウスは頑なに口を開けない。
さすがに苛ついてきたイザベラが閉ざしたまま開かないユリウスの口元にサンドイッチを押し付けようとする。
その時、遠くの方から子供の笑い声が聞こえてきた。
そこでイザベラは、今いるのは二人きりの研究室ではなく、人が大勢いる公園だということを思い出した。
...あれっ、わたし何してるんだろう。
公園のド真ん中で、成人男性に無理やり自分の作ったものを食べさせようとしている姿は周囲から見るといったいどのように映っているのだろう。
自分の行動を客観視したイザベラが急に恥ずかしくなり、サンドイッチを押し付けていた手を引っ込めようとする。
サンドイッチが離れていこうとした瞬間、 ユリウスの眉がぴくりと動く。
すると、先ほどまで微動だにしなかったユリウスがイザベラの手首を掴み、そのままサンドイッチを口に含む。
突然の行動に唖然としたイザベラをよそに、ユリウスは黙々と食べ進めていく。
「.......食べるんじゃないですか」
「誰も、食べないとは言っていない」
そんな屁理屈を聞いているわけではないと文句が出そうになるも、食べてくれているのでイザベラはぐっと飲み込む。
サンドイッチを全て食べ終えたユリウスが、他のものをじっと見下ろしている。
自分から手を出さないので、まさかと思い、冗談半分でイザベラがサンドイッチを掴み、再度ユリウスの口元まで寄せると、何の疑問も持たずに口を開ける。
嘘だろとイザベラが思わず固まると、ユリウスは特に気にすることもなく、イザベラの手の中にあるサンドイッチを食べ始めた。
「あの、先生...」
「なんだ」
「自分で、食べてほしいんですけど...」
さすがにこのまま全て食べさせる流れは避けたいイザベラが提案すると、ユリウスは不満気に睨んできた。
「何故」
「何故って...」
まさかこんな当たり前なことに疑問を問われるとは想定しておらず、すぐに反論の言葉が出てこない。
「わたしは、疲れている。お前が持てば、それでいいだろう」
平気な顔で意味不明なことを口にするユリウスに、イザベラは開いた口が塞がらない。
そんなに疲れているなら今すぐ横になって、寝ろと心の底から思うも、本当にそうなったら持って帰るのが面倒くさくなる。
そうなるぐらいだったら餌付けするほうがマシだと判断し、黙って食べさせることにした。
「...先生、美味しいですか?」
それだとあまりにも自分が不憫だと感じたイザベラはせめてユリウスのために作った昼食の感想を求めた。
すると、口に含んでいたものをゆっくりと飲み込んだユリウスがイザベラから視線を逸らす。
「...悪くはない」
消え入りそうなその呟きに、イザベラは胸を撫で下ろす。
それだけの言葉で、頑張って作ってきた甲斐があったと少しだけ報われた気がしたイザベラであった。
・
さて、どうしたものか...。
奇妙な昼食も一段落つき、遠くの方で子供たちが笑い声を上げて楽しそうに遊んでいる姿を眺めながらイザベラは困っていた。
これから、何をすればいいのだろうかと。
もう一度、娯楽施設に赴いて、ユリウスを遊ばせてもいいのだが、それだとデートではなく完全に子供の引率になってしまう。
しかし、これといってやることもない。
ユリウスはというと、昼食を食べたら眠くなったのか、イザベラの膝の上に頭を預け、寝息を立てている。
このデートは、惚れ薬作製のために必要なデータを取るための活動のはずなのに、蓋を開けたらただのユリウスの珍行動に振り回されるいつものイザベラの図になっている。
よし、起こそう。
そう決意したイザベラは膝の上からユリウスの頭を地面に退けると、鈍い音がした。
暫く動かなくなったユリウスだが、少しすると額を押さえながらゆっくりと上体を起こす。
「...何のつもりだ」
額を赤くしたユリウスが恨みがましくイザベラを睨み据える。
「先生は、公園に来るのは初めてですか?」
「は...?」
何を聞かれたのか理解していないのか、紫水晶の瞳が何度も瞬く。
ジョシュアとのデート時、彼はずっとイザベラに質問を投げかけてきてくれていた。
答えていくうちにジョシュアがイザベラのことを知りたいのだと理解していった。
恋をすると、相手のことをより強く把握したくなるという反応も見られるのは知っている。
だから、イザベラはまだ恋をするということはわからないが、ユリウスを知ることによってそれに近い感覚が得られるかも知れないと試みることにした。
そんなイザベラの意図を知る由もないユリウスは怪訝な表情を向けてくる。
「何故、そんなことを答える必要がある」
普通の人なら、ここで素直に答えてくれるのだが、ユリウスは基本的に拒絶から入る。
人に興味のないユリウスは相手を深く理解しようとしない、ということは他人に自分を理解されることにも無意識に拒否反応が出ているのだとイザベラは推測した。
だから、アプローチの仕方を変えてみることにする。
「わたしは、父が亡くなる前に父と母、三人で一回だけ訪れたことがあります」
まず自分のことを話してみることにした。
「かなり幼い頃だったのであまり覚えていませんが、楽しかったということは薄っすら記憶しています」
そこまで言って、ユリウスの反応を確認すると、無表情で何を考えているのかわからなかった。
眉がぴくりと動いたと思ったら、珍しく躊躇いがちに口を開く。
「...父親がいないのか?」
「はい。でも母が生命力溢れる人なので、一人で二人分みたいな人です」
「そうか...」
ユリウスが反応したなと手応えを感じたが、すぐに口を閉ざしてしまったので、イザベラはまた別の話題を考える。
「...覚えていない」
しかし、ユリウスがぽつりと小さく、言葉を口にする。
「わたしは、幼い頃から魔術以外興味がなかった。故に、連れてこられたとしても覚えていない」
初めて耳にするユリウス自身の話に、イザベラは僅かに目を見開いた。
「先生は、どうしてそこまで魔術にご執心なされるのですか?」
この流れを止めたくなかったイザベラは、ユリウスが唯一興味を示す魔術で話を繋げようとした。
ユリウスは一瞬、言葉を詰まらせる。
僅かに眉を寄せると、自らの記憶を掘り起こすようにゆっくりと語り始めた。
「曽祖父...、カイアス・フローベルが亡くなった時、偶然彼の手記を手にした」
自分の話をするのに慣れていないのか、不自然なところで言葉が切られる。
そして、次の言葉を探しながら、整理するようにゆっくりと言葉が紡がれていく。
「乱雑に書き殴られたいくつもの魔術陣を見た瞬間の衝撃を今でも忘れることはない。抽象的な言い方は好かんが、初めて心が震えた」
当時のことを思い出しているのか、ユリウスの紫水晶の瞳に薄っすらと光が宿った気がする。
「その衝撃は自分の人生は魔術のためにあるものだと理解させた。その日から、全ての時間を魔術に費やしてきた」
魔術に対する熱を語るユリウスの表情はいつになく真剣で、イザベラは思わず言葉を失う。
ユリウスが天才たる所以が少しわかった気がする。
偉大なる大魔術師、カイアス・フローベルの影響は大きいが、ユリウス自身魔術に取り憑かれているのかもしれない。
そして、そのことにユリウスは少しの疑問を抱いていない。
「...先生は、昔から魔術以外、頭の中になかったのですね」
絞り出すように出てきた言葉が少し震えていたことにイザベラは驚く。
「無論だ。それ以外、考える必要があるのか。魔術以外のものは全て蛇足に過ぎない」
ユリウスは気にすることなく、静かにその言葉を肯定した。
あまりにもユリウスらしい回答にイザベラは思わず笑いそうになる。
しかし、その答えを口にした瞬間、ユリウスの動きが止まったのが見えた。
眉間にシワを寄せ、考え込むように口元に手を当て、腕を組む。
脈絡のない行動に疑問を感じたイザベラが首を傾げる。
「...どうしました?」
「...あの時は...、いや、何でもない」
意味深な言葉を言い残すユリウスにますます違和感を禁じ得ないイザベラはユリウスへとにじり寄る。
「あの時は、何ですか?」
紫水晶の瞳を見据え、問い詰めるように聞き返すと、ユリウスが狼狽えるように視線を逸らす。
逃がすものかとその瞳を追うと、また逸らされる。
そんな攻防を何度も繰り返していると、耐えかねたユリウスが観念したように声を上げた。
「不可解だ」
「はい?」
「お前が、倒れた時、...頭の中はお前のことばかり考えていた」
「えっ...」
予想だにしなかった告白に、イザベラの思考が一瞬真っ白になる。
ユリウスも自身の不可解な感情に首を傾げながらも続ける。
「わたしは自分が魔術以外興味を示さないことは自覚しているし、それが当然だと思っている。なのに、あの時は何故かお前のことが頭から離れず、何も手につかなかった」
紫水晶の瞳がイザベラに向けられる。
「何故だ。わたしには、わからない」
本気で答えを求めるような紫水晶の瞳が、真っ直ぐイザベラを見据えていた。
"君はユリウス・フローベルにとって特別だ"
その瞬間、イザベラは忘れかけていた事実を思い出し、息を呑んだ。
ユリウス・フローベルはイザベラに恋をしている。
けれど、その恋を当の本人が理解していないことを、イザベラはこの時初めて、はっきりと思い知った。
そして、イザベラはユリウスの問いに答えることが出来ず、口を閉ざし、紫水晶の瞳を見つめ返すことしか出来なかった。




