第17話 大きすぎる羽音
「...あの、イザベラさん」
「どうしたの?ジョシュア君」
露店通りで古本を数ページ捲っていると、隣のジョシュアが戸惑いを隠せない様子で後ろに視線を向けている。
「あの方は、何をなされているのでしょうか...?」
読んでいた古本から顔を上げ、イザベラも後ろを振り向く。
少し距離を開けた先に、腕を組み仁王立ちしているユリウスが凄まじい圧を出しながら、不機嫌極まりない形相でイザベラとジョシュアを睨んでいた。
明らかに不審人物に見えるユリウスと目が合うと、すぐに顔を逸らされる。
だから、気にせず古本に視線を戻すと、また後ろから圧が飛んでくる。
「気にしないで、ジョシュア君」
「しかし...」
「大丈夫!先生が望んで付いてきているんだから!」
今は、恋が芽生える現象を知るための、ジョシュアとのデートの最中である。
前回のデートで、大奮闘するもジョシュアがイザベラを好きになった理由を答えることが出来ず、次回に持ち越しになっていた。
予定が中々合わなかったジョシュアとやっとのことでデート日を取り決めることが出来たと思って、ユリウスにそのことを報告したら、今のような奇妙な光景が出来上がってしまったのだった。
・
「何故、それが必要になる」
久しぶりにジョシュアとのデートの日取りが決まったことを報告した途端、あからさまに不機嫌になったユリウスはイザベラを睨み上げる。
「何故って...先生が、惚れ薬を作製するためなんですが...」
最近色々とありすぎてすっかり忘れ気味になっていたテオドール王太子から依頼を受けた惚れ薬作製だったが、さすがに4ヶ月近く放置するのはまずいとイザベラは恋についての研究を再開することにした。
興味本位で依頼を受けてきたユリウス当人は、すっかりやる気を失っていたのかあまり乗り気ではないのが見て取れた。
「別にもういいだろう。飽きた」
「さすがに王太子殿下からのご依頼なので...」
「出来なくても研究費はもう凍結されないだろう」
それはそうなのだが、それを理由に王族からの依頼を蹴るという不敬行為はイザベラには出来なかった。
それに今はもう研究費凍結という非常事態ではなくなったが、いつまで経っても惚れ薬が完成しなかったら、さすがの温和なテオドールも再度声を上げるだろう。
「先生、それはあまりにも無責任すぎです」
「知らん」
車輪付きの椅子を回転させ、ユリウスは不貞腐れたようにイザベラに背中を向ける。
正直、イザベラに好意を向けている点だけだったら、ユリウスを観察しても良いのだが、ジョシュアと違いあまりにも行動が不可解すぎる。
言葉や態度で示してくれるジョシュアとは違い、ユリウスの愛情表現は非常にわかりにくく、初恋もまだなイザベラには難解すぎる。
というか本当に自分に好意を持っているのか疑いたくなるので、観察対象として役に立たない。
「とりあえず、報告はしましたからね。今度の休みにジョシュア君とデート、しますから」
「......」
「特別手当、忘れないでくださいね!!」
すっかり拗ねてしまったユリウスを放置し、イザベラは積み残っている書類を処理するために自席に戻った。
デート当日は何を着ていけばいいのだろうか、さすがに前回と同じワンピースを着ていくのはよくないとイザベラでもわかるのでなんとか服を調達しなければならない。
ただ男女で出掛けるだけなのになんとも面倒だと少しだけ億劫になっていると、目の前の書類に影が落ちる。
渋々顔を上げると、もうすっかり見慣れた不満そうな表情を浮かべるユリウスと目が合う。
「...なんでしょうか?」
「......わたしも、ついていく」
「は?」
あまりにも小さな声だったので、聞き返すと、ユリウスの表情ますます険しくなる。
「だから...、お前のそのくだらない野外観察にわたしも付き合ってやると、言っているんだ!!」
「はぁ!?なんでですか!?」
あまりにも突拍子のない発言に、イザベラが咄嗟に疑問をぶつけると、ユリウスは視線を泳がせ、一瞬言葉を詰まらせる。
しかし、すぐに腕を組み、いつもの調子で偉そうな態度でふんぞり返った。
「以前、お前が提出してきた報告書の出来があまりにも酷かったことは覚えている。今回もまた同じような結果になり得る可能性が十分にあるので、それを阻止するためについていくまでだ」
「えぇ...」
「それに報告書だけだと理解し難い部分もあったので、実際に自分の目で確かめるだけだ」
ユリウスの言い分も一理あるが、さすがにデートにまでついてこられるのはとても厄介だ。
以前の髪留めやクッキーの時だって、いつもより不機嫌丸出しで、ジョシュアに対してもかなり態度が悪い。
デートになんてついてこられたら、絶対にまたなにか揉め事を起こすに決まっている。
「別にいいですよ。前回は初めてだったからどうすればいいかわからなかっただけで、今回はその反省も踏まえて臨みますので、ご心配なく」
「信用ならん。どうせお前のことだ、すぐに相手の調子に乗せられる」
「ぐっ...」
反論できないイザベラは口を噤む。
確かにジョシュアは想像以上に強かな青年で、前回もイザベラは彼の思惑にまんまとハマってしまい、今回の再デートに至ってしまったので、そこを突かれると何も言えなくなる。
「とにかく、その日はわたしもついていく。異論は認めん」
イザベラが返事する間もなく勝手に決定事項として取り決めたユリウスは自分の席に戻っていった。
ただでさえ億劫な気分だったのに、ユリウスがついてくるということになり、ますます次のデートに気乗りしなくなるイザベラは、小さくため息をついた。
・
「なるほど、そういう事情があるんですね」
露店通りから抜けたところにあるカフェのテラス席でお茶を飲みながら、ジョシュアにユリウスが今回のデートについてきた経緯を説明した。
この間も、2席離れたテーブルに陣取っているユリウスが睨みを利かせてくるが、イザベラは気にしないようにしてお茶を含む。
「そうなの。だから、先生のことは少し大きな蠅だと思ってくれたらいいの」
今日のデートについてくることは承諾したが、外で大暴れして、問題を起こされたら非常に困るので、事前に何があっても手出し、口出ししないことを約束させた。
非常に不服だったのかありとあらゆる文句をつけてきたが、これからの昼食には全てピクルスとオリーブとパイナップルを入れると脅したら、悔しそうに黙ったので受け入れてくれたのだろう。
羽音は鬱陶しいが実害は少ないはず。だからイザベラはユリウスを蠅だと思い込むことによって、今回のデートを平常心で臨むことが出来るのだ。
「すいません、あそこまで存在感が強いとさすがに無理があると思うのですが...」
「大丈夫よ、ジョシュア君。いずれ慣れる、というか慣れないといけないの」
未だに困惑を隠しきれないジョシュアは相当ユリウスが気になるのか、何度もそちらに視線を向けてしまっている。
どうしたらジョシュアにもユリウスを気にしないようにデートに挑んでもらえるか考えた結果、イザベラはいい方法を思い浮かべた。
「ジョシュア君は騎士でしょ?」
「はい、まだ見習いの身ではありますが、王国のため誠心誠意、己の責務を果たす所存です」
「なら、今の状況は何事にも動じない精神を鍛える訓練だと思ったらいいんじゃないかな?」
真面目なジョシュアの性格だから、きっとこの案に乗ってくれると信じていたが、少し悲しそうに眉を下げる。
「ジョシュア君...?」
「いえ...。そうですね、そう考えたほうが幾分楽かもしれませんね」
なにか悲しませるようなことを言ってしまったかと焦燥するも、一瞬だけ視線を伏せたジョシュアはすぐにいつもの眩しい笑顔に戻った。
よかったと安堵すると、突然ジョシュアの手がイザベラの手に重なった。
「それじゃあ、今回も楽しい時間を共に過ごしましょう」
すると、近くの席から大きな物音が響いてきた。
音がしたほうを見ると、焦ったように表情を強張らせているユリウスが立ち上がっている。その傍らには勢いで倒れた椅子が見えた。
何か文句を言いたげに口を震わせて、今にでもこちらに突っ込んできそうだったのでイザベラはそれを制するように睨む。
すると、ぐっと口を噤み、肩を震わせ、まだ納得していない様子だったが、ユリウスは渋々倒した椅子を元に戻し、そこに座った。
本当に油断も隙もあったもんじゃない。
この調子で無事にデートを遂行することが出来るのだろうか...。
ユリウスの異常行動を憂いていたイザベラは、その横で切なげに目を伏せているジョシュアには気付くことはなかった。
・
「それでは、イザベラさん。また次回ですね」
「.........」
今回のデートは散々だった。
くっついてきたユリウスの存在のおかげで、恋愛研究どころではなかった。
時たま、ジョシュアとの距離が縮んだり、手の触れ合いがあると、今にも飛んできそうな勢いで近付いてこようとするので、イザベラが無言で睨むと、不満げに元の位置に戻るということを繰り返すので、大変煩わしくてデートに集中できなかった。
最悪だったのは、ユリウスに声を掛けてきた女性を何故かイザベラとジョシュアが慰めて回るという、意味不明な状況に何度も遭遇したことだ。
黙っているだけなら大変美形なユリウスなのだが、今日は機嫌が悪いせいか、声を掛けてきた女性を容赦なく追い払い、時には辛辣な言葉まで浴びせていた。
そして、その後始末をするのは何故かイザベラたちだった。
そんなことをしているうちに、いつの間にかデートも終わりの時間になっていた。
結局今回も、ジョシュアが何故自分に恋をしたのか答えを見つけることは出来なかった。
こんな事になってしまった原因であるユリウスはベンチに座り、後ろからイザベラとジョシュアを、仏頂面で睨んでいた。
やっとデートが終わったことに一安心したイザベラは小さく肩を落とした。
「イザベラさん」
名前を呼ばれて、見上げると、どことなく哀しげに揺れているジョシュアの琥珀色の瞳と目が合った。
「僕との、デート楽しかったですか?」
今回のデートでも、ジョシュアは常に紳士的だった。
終始不機嫌をまき散らしていたユリウスとは違い、ジョシュアはずっと笑顔で気を遣ってくれていた。
折角の休みなのに、ユリウスのせいで台無しにしてしまい、申し訳なく思っているのに、最後までイザベラの気を揉んでくれる。
「ええ、とても楽しかった」
本音を言えば、もう少し成果が欲しかった。
でも、惚れ薬作製のための研究に付き合ってくれているジョシュアに少しでも報いたくて、イザベラは笑顔で返した。
「......そうですか」
物憂げに目を伏せたジョシュアを見て、イザベラは期待通りの言葉ではなかったのかと不安になっていると、おもむろに右手を持ち上げられる。
何かを確かめるように視線を落としたジョシュアはそのままイザベラの右手の甲に口付けを落とした。
一瞬、何をされたかわからなかった。
けれど、手の甲に感じられた柔らかな感触でキスをされていると気付いたイザベラは当惑する。
後ろでユリウスが立ち上がる気配を感じたが、それに構っている余裕はなかった。
顔を上げたジョシュアはやはりどことなく哀しげだった。
またすぐにいつもの明るい笑顔に戻るも、少し無理してるように見える。
「それではイザベラさん、また次のデートで」
名残惜しそうにイザベラの手から指を放したジョシュアは軽くお辞儀をし、背中を向ける。
何か声を掛けるべきかと迷ったイザベラだったが、いったいなんて言えばいいか悩んでいるうちにジョシュアの背中が見えなくなってしまっていた。
ジョシュアの背中を見送ったイザベラが後ろを振り返ると、案の定不機嫌そうに眉をしかめているユリウスと目が合うも、すぐに逸らされる。
このままここに置き去りにして帰りたい気持ちでいっぱいだが、この状態のユリウスを一人残しておくのは大変危険なので、放っておけないイザベラはベンチへと歩み寄る。
「先生ー、終わりましたよ」
返事はなく、顔を背け、そっぽを向いたままだったので、仕方なく隣に座った。
「どうでしたか?何かわかりました?」
イザベラは、今回何も得られることはなかったが、わざわざ観察のためについてきたユリウスなら何か掴めているかもしれないと聞いてみると、何故か舌打ちをされた。
「...非常に不愉快だった」
そんなの見ればわかる。
なにが気に食わないのかわからないが、今日のユリウスはずっと気が立っている。
何にせよ、不機嫌なのは変わらないが、わざわざついてきたのだから、目的ぐらいは遂行してほしい。
「恋についてなにか、わかりましたか?」
質問の仕方が悪かったのかと思い、もう少し具体的に聞くと、ユリウスはイザベラを一瞥する。
「...不可解な行動が多すぎる。あそこまで体を密接にする必要はあったのか?」
絞り出すように出た言葉にイザベラはきょとんと目を瞬かせる。
確かに今日のジョシュアは少し積極的で、肩が触れ合う程度に距離が近かったかもしれない。
でもあのぐらいの近さならまだ許容範囲だ。
何故ならアルベルトだったらもっと至近距離まで近付いてくるし、ユリウスだって先日の異動騒動で目と鼻の先まで詰め寄ってきたばかりなので、正直フローベル家よりは常識の範囲内の接近である。
しかし、ユリウスはそれが気に食わないのか、組んでいる脚を揺らし、腕を組みながら何度も指で自身の二の腕を叩いている。
「まぁ、一応デートなので...。でもジョシュア君は紳士なので、ある程度節度ある触れ合いだったと思います」
果たしてその触れ合いが交際前の男女のものなのかはイザベラには経験がないからわからないが、少なくとも不快感はなかった。
イザベラの反応で更に機嫌を損ねたのか、ますます眉間にシワを寄せる。
すると、右手を突然掴まれる。
いったいなんのつもりだとユリウスを凝視すると、本人もよくわかっていないのか掴んだ右手に視線を落として、動きを止めている。
そして、何を思ったのかその手の甲に唇を押し当てた。
目の前で起こった信じられない出来事にイザベラは目を見張った。
あまりにも驚きすぎて思考が止まる。
それと同時に、手の甲から伝わってくる唇の感触がこそばゆくて体が固まる。
何の反応もできないままでいると、ユリウスが顔を上げ、面白くなさそうにイザベラを睨んだ。
「...これが、いったいなんだと言うのだ。何故、あいつは去り際にこんな事をした」
ジョシュアの行動が理解できなかったユリウスによる反復行動だと把握したイザベラだったが、それどころではなかった。
むしろユリウスに掴まれている右手に意識を持っていかれすぎて、他のことがあまり深く考えられない状態に陥っていた。
口付けをされた場所に無意識に視線を向けてしまう。
何故かその場所がじんわりと熱を帯びていくように感じた。
先ほどジョシュアにも同じことをされたはずなのに、あの時はこんな風に意識することはなかった。
自身の不可解な反応に首を傾げると、それを奇妙に思ったユリウスが怪訝な表情を見せる。
「...どうかしたか?」
「...いえ、なんでもないです」
症状を具体的に説明できる自信がないためイザベラが言葉を濁す。
いつまで掴んでいるつもりだろうと手を見つめていると、その視線に気付いたユリウスの手がゆっくりと離れていく。
温度がなくなった右手が急に寂しく感じるも、理由がわからなかったイザベラは誤魔化すように拳を握った。
「...それで、先生も結局デートを観察しても、何もわからなかった、ということでよろしいですね」
「......」
図星を突かれたのか、ユリウスは口を閉ざし、イザベラから視線を背ける。
しかし、デートをしたイザベラ当人も最大の目的である人が恋をする理由がわかっていないため、ユリウスを強く責めることができない。
「それじゃあ、やっぱり次のデートに持ち越しですねー」
「......何だと?」
低い声にイザベラが振り向くと、ユリウスは眉間に深い皺を刻んだまま固まっていた。
「何故、また行く必要がある」
ユリウスの反応を見た瞬間、言わなければよかったとイザベラは激しく後悔した。
こうなるとまた次のデートにもユリウスがついてくる可能性が高い。
そうなると今回の二の舞になりかねないので、何としてもそれは阻止したかった。
「今回は大きすぎる羽音があって、集中できなかっただけです。だから、次こそは問題ありません」
「信用ならん。そもそも本当にこんなことが薬の作製の役に立つのかさえ疑わしい」
ユリウスが何もしないからイザベラが貴重な休日を使ってまで奮闘しているというのに、あまりにも酷すぎる。
しかも、今回はユリウスの邪魔さえなければ、ジョシュアがイザベラを好きになった理由が判明し、恋が芽生える事象を解明するヒントを得られたのかもしれなかったというのに。
さすがのイザベラも少し機嫌を損ね、ユリウスから顔を背け、行儀が悪いが両肘を膝につき、顎を手に乗せて、唇を尖らせる。
「先生が後ろから見てるだけだから、わからないんじゃないですか?」
「...なに?」
「先生も誰かとデートでもすれば、恋というものがわかるんじゃないですかねー。なにせ、先生は天才ですから、わたしが何度デートしてもわからないこと、先生なら一度でわかるんじゃないですか?」
半ばヤケクソになったイザベラは、人に興味がないユリウスが出来るわけないと知っていながら、つい意地悪を言ってしまった。
これでますます不機嫌になって、また面倒事が増えるんだろうなとユリウスの反論を覚悟して待っていたが、中々返事が返ってこない。
視線だけを隣に向けると、神妙な面持ちのユリウスが顎に手を当て、考え込んでいた。
そして、何か納得したように強く頷くと、とんでもないことを言い出したのである。
「確かにそれは、妙案だ。なら、次の休日、お前が付き合え」
「はぁ!?なんでですか!?」
何故そんな事になるんだと、つい声を荒げてしまったイザベラにユリウスは冷静に答える。
「発案したのはお前だろう。なら、付き合うのは当然だ。それに今から相手を探すほどわたしは暇ではない」
「わたしだって、暇じゃないんですけど...」
少なくとも休日が連続で潰れるかもとは想定していなかったため、家の用事が溜まっていってしまう。
「つべこべ言うな。手当は弾ませる。業務上必要なことだ」
「ぐっ」
仕事で、しかも手当が出るとなると、イザベラは強く言えなくなってしまう。
「...わ、わかりました...」
次の休みの用事とこれからの面倒事を天秤にかけた結果、イザベラは次の休日にユリウスとデートすることを承諾してしまった。
貴重な休日がまた犠牲になると嘆くイザベラの目に、満足そうに口元を緩めるユリウスの姿は映っていなかった。




