第14話 楽しい食事の時間です
魔術省の事務局で2カ月の間、凍結されていた研究費の受け取り手続きを済ませたイザベラは少しだけ上機嫌に廊下を歩いていた。
栄養失調で倒れたあの日の約束通り、テオドール王太子殿下は未払分の研究費をすぐに支給してくれた。
これでようやく困窮生活から抜け出せると思うと自然に機嫌も良くなるものだと、誰もいないのをいいことに小さく鼻歌を口ずさむ。
「やぁ、イザベラ君。珍しくご機嫌だね」
後ろから声をかけられ、不意を突かれたイザベラは慌てて後ろを振り返る。
真っ先に金髪と紫水晶の瞳が視界に入ってくる。
魔術師の証である紺色のローブを羽織った、温和な笑顔の男性がイザベラに向かって手を振ってくる。
「アルベルト先生」
男性の名前を口にすると、アルベルトは瞬く間に距離を詰めてきて、気付いたらイザベラの目の前まで迫ってきていた。
相変わらず距離感がおかしいと思いながら、イザベラは一歩後退る。
「ユリウスは元気にしているかい?相変わらずイザベラ君に迷惑をかけているんじゃないかと考えるだけで、僕は胸がいっぱいになってしまうよ」
ユリウスと同じ紫水晶の瞳をこれでもかと瞬かせ、イザベラの手を今にでも握りそうな勢いのアルベルトに圧倒される。
「先生、近いです」
「おっと、失礼。つい、いつもの癖で」
しかし、イザベラが動じることなく注意すると、アルベルトは反射的に一歩下がる。
アルベルト・フローベル。
医療魔術特化研究室の免疫部門の主任魔術師である彼は、ユリウスほどではないがフローベル家出身なだけあって大変優秀な魔術師である。
ユリウスの叔父というだけではなく、イザベラが魔術省に入省したての頃、数多ある研究室から勧誘を受けていた中で、一番熱心に口説き落としに来ていた人物だったので、よく覚えている。
そして、ユリウスの助手になった今でもそれは変わらなかった。
「イザベラ君、君が卒業論文で書いた人体の免疫機能に対する魔術の構築理論を読むたびにやはり、君は僕の下で働くべきだと今でも心の底から思うよ。やはり、今からでも遅くない。ユリウスなんかやめて、僕のもとに...」
「先生、近いです」
熱弁している内にまた段々と迫ってくるアルベルトを淡々と制すると、彼は慣れたようにまた一歩下がる。
「何度お誘いしていただいても、わたしはユリウス先生の助手を辞めるつもりはありません」
「そうか...、残念だ。でも、僕は諦めないよ!」
「諦めてください。あとこれ以上、近付かないでください」
気付いたら距離を詰めようとしてくるアルベルトにこれ以上近付かれないためにイザベラもさすがに臨戦態勢を取るように手を前へと伸ばす。
アルベルトの諦めの悪さと、人との距離感の曖昧さが、人に興味のないユリウスとは違う意味でとても厄介である。
距離を取られ、寂しそうに目尻を下げるアルベルトだったが、次の瞬間イザベラの忠告を忘れたのか、ギリギリまで距離を詰めてくる。
「ところで、栄養失調で倒れたと聞いたよ。今は大丈夫なのかい?」
「おかげさまで、順調に回復しております」
マルコーに処方された栄養剤と健康的な食事でイザベラの体調は日々回復中である。
好意を人質にされたユリウスも渋々毎日処方された栄養剤を飲んでいるため、二人とも体調面の問題はそれほど深刻になっていない。
「それはよかった。でも、またイザベラ君が倒れでもしたら心配だな。やっぱり、今すぐにでも僕のところに」
「手を掴まないでください。行きませんから」
隙あらば勧誘してくるアルベルトが若干億劫になってきたイザベラは、伸びてくる手を払いのけながら、どうやってこの距離感バグ男から逃げられるか考え始めた。
「...いつも思うけど、イザベラ君は僕を前にしても毅然としているよね。まったく靡く気がないのがより一層、君への興味を唆られる」
「やめてください、意味がわかりません」
「この美貌を前にして、何も思わないのかい?少なくとも他のご婦人方は僕に詰め寄られるだけで頬を染め上げてくれるのに、君にはその兆候がまるで見られない!」
何を大真面目に言っているんだ、この人は。
確かにユリウスやグロリアと同じフローベルの血筋なだけあって、アルベルトもかなりの美形だ。
それだからって、イザベラがアルベルトの勧誘を素直に受け取る理由にはなりえない。
「ユリウス先生で耐性を身につけたからではありませんか」
「それもあると思うが、君は初対面の頃からこんな感じだったよ」
適当に流したつもりなのに、大真面目に返ってくるから本当に困る。
だから、早く逃げたい。
暫くの間、魔術省の廊下にて押すアルベルトと引くイザベラというわけのわからない攻防が繰り広げられるのであった。
・
奮闘の末、なんとかアルベルトから逃れることが出来たイザベラは研究室の扉を開ける。
扉が開くのと同時に、自席で作業していたユリウスが顔を上げ、紫水晶の瞳でイザベラを睨むと、また作業に戻っていった。
今までは帰ってきたぐらいじゃ反応しなかったのに、イザベラが倒れた日からユリウスも少しずつ変わりつつある。
相変わらず行方不明になることはあるが、前より頻度は少なくなった気がするので、イザベラとしては非常に助かる。
だが、思い返してみればユリウスはイザベラが研究室にいるときに突然姿を晦ますことはない。
いなくなるのは決まって、イザベラが用事で部屋を留守にするときなのだ。
目を離した隙にいなくなるなんて当たり前のことなのだが、ユリウスに好意を抱かれていると認識した今、改めて考えてみると、もしかしたらイザベラを探しに行っているのではないのかと自惚れたことを思いついてしまう。
本当にユリウスといい、アルベルトといい、どうなってるんだフローベル家はと、濃すぎる個性の一族に振り回され続け、気が休まることのないイザベラはコーヒーを淹れながら肩を落とした。
「食事はとったのか?」
もうすでにお馴染みのユリウス好みの温度のコーヒーが入ったコップを机に置くと、ここ数日、毎日のように聞かれている質問が飛んできた。
「...まだ、食べてないですけど」
「なら、早く食べろ」
イザベラが倒れたことが相当応えたのか、食事の時間になるたびに食べることを強制されるのでさすがにイザベラも辟易してきた。
「先生は、どうなんですか。食べましたか?」
「栄養剤は毎日飲んでるので、問題はない」
そういうことではないのだが、普段から食事を最低限しか摂らないからといって、栄養満点な栄養剤を飲んだら、食事を摂らなくてもいいなんてユリウスが本気で思ってそうで、イザベラは栄養剤を渡したことを後悔し始めていた。
栄養剤はあくまで日々の食事の補強のために摂取するのであって、食事にはならないと何度説明しても聞く耳を持たない。
しかし、イザベラだって成長していないわけではない。
ここ数日の食事を摂る摂らないの押し問答に解決策を見いだしつつある。
自分の席に戻り、鞄から小さな包みを2つ取り出し、そのうちの1つをユリウスの前へと置いた。
「...なんだ、これは」
「今日はバゲットサンドイッチにしてみました」
そんなことを聞いているのではないと、視線で訴えられるも、イザベラは目を細め、それを躱す。
最初はわざわざ人がごった返している食堂まで赴いて、ユリウスの食事を調達していたのだが、正直効率が悪い。
なので、もう自分で用意してしまおう。
そう結論づけたイザベラは、ここ数日、自分の昼食と一緒にユリウスの分も準備するようになった。
上司の食事の準備は助手の仕事の範疇を超え過ぎだとも思ったが、そもそも生存してくれないと仕事もなくなるので、色々と深く考えることを諦めた。
父親を早くに亡くし、母親が仕事で家にあまりいなかったため、幼い頃から食事の準備は自分でしていたので、簡単なものぐらいならイザベラでも作れる。
ただ、本当にサンドイッチとか野菜を洗って切ったものなど必要最低限な調理方法しか知らないイザベラの作った食事など、伯爵家で育ったユリウスの口に合うのかはじめは不安だった。
しかし、それ以前の問題でユリウスは目の前に出されたものをすぐに食べようとはしなかったのだ。
今だって、包みを開けずに、イザベラをずっと凝視している。
「なんですか、今日は先生の嫌いなマスタードもピクルスも、オリーブも入っていませんよ。バゲットだって、口の中を切らないように今日の朝、焼きたてのものをパン屋から調達しましたので大丈夫のはずです」
「何故、わたしがお前の作ったものを食べなければならないんだ」
またその質問かと、イザベラはため息が出そうになる。
用意されたものを大人しく食べてくれればいいのに、毎回何故と聞かれる身にもなって欲しい。
逆に食堂から持ってきた食事や、ジョシュアが作ったクッキーなどは躊躇わず口にするくせに、何故イザベラが作ったものだけにそんな拒否反応を起こすのか聞きたいぐらいだ。
本当に自分に好意を持っているのか疑いたくなってしまう。
しかし、こういう事態に慣れているイザベラは、こんな時に必要なのはやり続ける根気と少しの図々しさだと知っている。
「つべこべ言わずに食べてください。また無理やり口に押し込みますよ」
まだ文句が出そうな口がぴしゃりと閉じられる。
つい先日、実際にやってのけたのでそれが効いているのであろう。
「先生が食べるのを確認したら、わたしも食べますので、どうぞお食べください」
さぁさぁと言わんばかりの圧をかけ続けると、不満そうに唇を尖らせるユリウスは観念したかのようにゆっくりと包みを広げた。
具材が挟まれているバゲットを手にすると、イザベラをちらりと見てくるので、はよ食えと笑顔で返す。
おそるおそる口を開け、警戒するように小さな一口を口に含み、ゆっくりと咀嚼する。
とにかくユリウスがようやく食べてくれたので、イザベラもやっと昼食にありつける。
自分の席に戻ったイザベラは包みを開け、ユリウスと同じようにバゲットサンドイッチに齧り付いた。
うん、食べられる。不味くはないはずだ。
味に問題はないはずと頷きながら咀嚼していると、イザベラを見てくるユリウスと目が合った。
すぐに逸らされ、また小さくバケットを口にするユリウスを不思議に思いながら、イザベラも食事を進める。
「あっ、先生。トマト、避けないでください!!それだと野菜なしになっちゃいます」
「うるさい。口に付けたのだから、文句言うな」
トマトも苦手、と、イザベラの頭の中で新たにユリウスの嫌いな食べ物リストが追加される。
しかし、本当に偏食で、食べれないものが多すぎるので、明日はいったい何を作ればいいのだろうと頭を悩ませるイザベラであった。




