第13話 あの日の答え合わせ
今、思い出しても頭を抱えたくなるような珍事件だった。
しかし、あの時の出来事が、何故「ユリウスがイザベラに好意を抱いている」という話に結びつくのか。
イザベラには、未だによくわかっていなかった。
だって、あの時のユリウスはただ胸の不調を訴えて、それが治らないから不機嫌に...と、そこまで考えて、イザベラの思考が一時的に止まる。
あの時は胸の痛みに慣れたって意味わかんない、って軽く流していたけど、慣れたということはまだ治っていないということではないか。
治っていないのに、それを訴えることもせず、平然と過ごしているということは...
「...いったい、どういうことなんですかね?」
頭の中の疑問がつい口から出てしまうと、目の前のマルコーは額を手で押さえ、何度目かわからない大きなため息を吐いた。
「よく考えろ。あの時の検査では何も異常が出てこなかった。なのに胸の痛みを訴えていた」
「は、はい。それとたぶんまだ、治っていません」
「そんな慢性的な痛みを抱えてるのに、やつはまだ生きている。しかも、暴れ回れるぐらい健常な体をしている。本当に心臓に疾患がある場合、あそこまで動き回ることは難しい」
「ということは、先生に心臓の疾患はないということですか?」
「...そうなんだが、そういうことじゃなくて...あぁぁーーー、もう!!!!」
相当苛ついているのか、マルコーは髪を激しく掻きむしる。
自身の理解力の乏しさのせいでマルコーに迷惑をかけているという自覚があるイザベラはますます泣きそうになる。
「おい、アリアナ!!!!こっちこい!!!」
扉に向かってマルコーが叫ぶと、いつもマルコーの傍らにいる看護婦、アリアナが部屋に入ってきた。
「どうしました、先生?そんなピリピリして...、患者様のご迷惑になるので控えていただきたいのですが...」
「こいつにフローベルの状態について、説明しろ。俺には、もう手が付けられん」
「どのフローベル...って、あぁ!イザベラさんのことが大好きなフローベルさんですね!」
最初は怪訝な表情でマルコーの話を聞いていたアリアナだったが、イザベラを見るなり、すぐ理解したのか、納得したように大きく頷いた。
「本当にあの方を見てると、昔を思い出すというか...。あぁ、わたしにもこんな時があったなぁって胸がウズウズしてしまいます」
「お前の過去話など、どうでもいいわ!!早くこいつにもわかるように説明しろ!!なるべく簡潔にだ!!」
「はいはい、わかりましたよー。先生は本当に短気ですね」
「うるせぇ。頭が痛くなったから、暫く休む。用があったら起こしに来い」
もう付き合いきれんとばかりに立ち上がったマルコーは扉を乱暴に開き、そのまま部屋から出て行ってしまった。
普段からこういうやり取りをしているのか、ピリついているマルコーに全く怯む様子を見せなかったアリアナは入れ替わるようにイザベラの傍らのパイプ椅子に腰掛けた。
ガラが悪いマルコーとは真逆で、アリアナは物腰が柔らかく、穏やかな雰囲気を纏っていた。
「こんにちは、イザベラさん。アリアナです。何度もお会いしてるけど、名乗らせていただくのは初めてかしら?」
「は、はい!よろしくお願いいたします!」
朗らかな笑顔を向けられ、イザベラは強張った声で返事をしてしまった。
「マルコー先生ったら、あんなに怒らなくてもいいのにねぇ。でも、悪い人ではないから誤解しないであげてね」
「い、いえ、あれはわたしが悪いのであって、決してマルコー先生の責任ではありません!!」
大真面目にそう訴えると、アリアナが目を細める。
「そうね。イザベラさんは、そういう方でしたね」
アリアナは小さく息を吸って、真っ直ぐイザベラの瞳を見る。
「それじゃあ、恋の話をしましょうか」
急に具体的に『恋』という言葉が出てきて、恥ずかしくなってしまったイザベラは目を逸らしたくなった。
しかし、アリアナの黒曜石みたいな瞳から逃れることが出来ず、思わず息を呑んだ。
「イザベラさん。恋って何だと思う?」
ここ数ヶ月、惚れ薬を作製するために散々研究してきた恋について聞かれたイザベラは今まで得た知識を頭の中で陳列させる。
恋とは、特定の相手に対して通常とは異なる反応を示す感情、もしくは状態のこと。
その相手のことを無意識に目で追ったり、気付けば考えていたり、相手に喜んでほしいと思ったり、相手から特別に扱われると嬉しくなったりする。
ただし、発現の仕方には個人差がある。
胸が苦しくなる人もいれば、眠れなくなる人もいる。
距離を縮めようとする人もいれば、逆にどう接していいかわからなくなる人もいる。
なので、現時点では明確な定義づけは難しい。
つまり、簡潔に述べるとこうなる。
「人が特定の相手に対して起こす異常反応です」
理屈で説明しようとするなって怒られるかもしれないと覚悟するも、アリアナが穏やかな笑顔を崩すことはなかった。
「そうなのね。じゃあ、フローベルさん...、ユリウス先生がイザベラさんが倒れた時にここで暴れたりしたのはどうしてだと思う?」
前の質問と繋がってないし、意図もわからないが、イザベラは助手がいなくなって迷惑してるからと答えそうになるも、テオドールにそれを否定されたことを思い出し、開けかけた口を閉ざす。
釈然としないが、絶対にありえるはずのない答えを渋々口にした。
「...わたしのことが、心配だったから?」
「正解」
間髪入れずにアリアナが笑顔で返してくるも、イザベラは納得できなかった。
皆、ユリウスを誤解している。
彼は普通の人間とは違うのだ。
あの人は魔術以外の情緒が壊滅的に死んでいて、思考回路もぶっ飛びすぎてる。
何より、ユリウスは自分のことなど心配しない理由をイザベラが一番よく知っていた。
「でも...先生は、本当に人に興味がないんです...。だから、わたしのことなんて本当はどうでもいいはずなんです...」
悲しいけど、それが事実だ。
一年以上、助手を務め、一番近くで見てきたから誰よりもユリウスのことはわかっているつもりだ。
ユリウスの瞳には、いつだって魔術しか映っていないように見えた。
それは、イザベラだって例外ではないはずだ。
何故か少しだけ鼻の奥がツンとしたイザベラは視線を落とす。
「そうね。ユリウス先生は確かに、人に興味がないわね」
しかし、アリアナの言葉で恐る恐る視線を戻す。
優しい眼差しがイザベラに向けられていた。
「でもね、イザベラさん。あなた、さっき自分で言っていたでしょう。恋をすると、特定の相手だけに普段とは違う異常反応を起こすんでしょ?」
己が定義した恋について、肯定の意味を込めてイザベラはゆっくりと頷く。
「それじゃあ、人に興味はない人が、特定の相手にだけ特別な感情を抱いたらどうなるのかな?」
その問いに、イザベラはすぐ答えることが出来なかった。
何故かわからないが、ユリウスが誰かに特別な感情を抱くことを想像するのを脳が拒否するように頭が真っ白になる。
「もしね、イザベラさんではない人が助手で、その人が同じように倒れても、ユリウス先生はあそこまで取り乱さなかったとわたしは思うんだ」
静かにアリアナの言葉に耳を傾ける。
「すぐに何事もなかったように彼の日常に戻ると思うし、何なら助手なんて不要だと切り捨てられる人なんでしょ?」
それはイザベラが一番よくわかっている。
「だけど、そうならなかった。どうしてだと思う?」
そう、そこが一番わからなかった。
今までも常識の範疇を超える行動で頭を悩ませてきたが、全て変人だからと片付けることが出来た。
でも、今回はユリウスなら絶対にしないと言い切れるからこそ、イザベラには理解し難いのだ。
明らかな異常だ。
だから、もうイザベラは認めざるを得なかった。
恋は、人に異常反応を起こさせてしまう。
天才だろうが、変人だろうが、人である限り、ユリウスだって例外ではないのだ。
まさか、自ら定義した理論に首を絞められると思っていなかったイザベラは放心状態になってしまう。
そんなイザベラに微笑みながらアリアナが追い打ちをかける。
「ユリウス先生が、本当に大切なのは助手としてのイザベラさんじゃなくて、イザベラさん自身だってことに、ようやく気付いてくれたみたいね」
ユリウス・フローベルはイザベラに恋をしている。
あまりにも現実味がなく、何度頭の中で繰り返しても実感が湧かない。
けれど、否定する言葉も見つからなかった。
ようやく張り詰めていた気が緩んだイザベラは観念したかのように肩を落とし、ゆっくりと目を閉ざした。
・
次の日、もうこれ以上はお腹がはち切れそうなぐらいの量の朝食をなんとか食べ終えたイザベラは最終検査で異常なしと診断された。
昨日、アリアナとの会話でユリウスが自分に恋をしていると理解できた。
しかし、そのまま安心して休めることなどなく、むしろさらなる謎がイザベラの中で生まれてしまっていた。
ユリウスが自分に恋をしているのは、認めよう。
何故、人に興味を持たないユリウスが特別な感情を抱いたのがイザベラだったのだろう。
そんなことを考えていると次から次へと疑問が浮かんできて、気付けば一睡もしないまま、窓の外が白み始めていた。
なので、栄養失調は良くなったが、今度は寝不足になってしまい、診察しに来たマルコーに目元の隈を気付かれ、ものすごい形相で凄まれた。
「てめぇ、いい加減にしろよ。大人しく寝ることさえ出来ねぇのか」
「すいません...」
健康上は問題ないし、寝不足患者を受け入れ続けるほど病床の余裕がないため、自己責任ということで帰ることを許してもらえた。
帰り支度とはいっても、殆ど荷物はなく、身一つで連れてこられたので、使用していたベッドを整えるだけで終わってしまった。
色々な手続きを終えたイザベラは医務室の廊下を歩く。
「おい」
正面玄関へ向かおうとしたその時、後ろからマルコーに呼び止められ、パンパンに膨らんだ紙袋を雑に手渡された。
「これ、持って帰れ。栄養剤だ」
渡された袋のずっしりとした重量に、イザベラは目を瞬かせる。
「お前だけのじゃねぇよ。あの馬鹿、フローベルの分も入っている。あいつも慢性的な栄養失調状態が続いているからな、無理にでも飲ませておけ」
なるほど、それならばこの量は頷ける。
「色々と、ありがとうございました」
ぶっきらぼうだが、なんだかんだ面倒見がいいマルコーにお礼の挨拶をすると、まだ何か言いたそうな視線を感じた。
「あー...、なんだ、その、あんまり思い詰めるなよ。またあんたに倒れられてフローベルに暴れられたらたまったもんじゃねぇからな」
後頭部を掻きながら、決まりが悪そうにマルコーがイザベラから視線を逸らす。
不器用な気遣いに、イザベラは少しだけ肩の力を抜いた。
マルコーに一礼をし、今度こそ研究室に戻ろうと足を正面玄関に向ける。
すると、そこには見慣れた金髪の男性が立っていた。
「先生!!」
まさかユリウスがこんなところにいるなんて思っておらず、信じられないままイザベラはユリウスに駆け寄る。
「先生、大丈夫でしたか?お体は?どこか、痛いところとか、不調とかありませんか?」
半日だけだが、研究室から離れてしまったので、ユリウスに何もなかったか気が気ではなかったイザベラは、隅々まで視線を滑らせ、異常はないか確認する。
少し衣服にシワが目立つが、それ以外は特に問題が見られなかったので、シワに手を伸ばし、整える。
満足したところで顔を上げると、全てが気に入らなそうな顔をしたユリウスと目が合った。
「...倒れたのは、お前だろう」
「そうでしたね...」
まさかユリウスに指摘されるとは思っていなかったが、確かに今回体調を崩して医務棟まで運ばれたイザベラが、迎えに来てくれたユリウスを心配するのはおかしいと気付いた。
「おい、フローベル」
そんな二人のやり取りを後ろから見ていたマルコーが呆れ顔を隠そうともしないまま、近付いてきた。
マルコーの姿を認知した途端、露骨に嫌そうな顔を見せるユリウスに、イザベラは内心焦りを感じる。
この二人、似た者同士で、無意識に同族嫌悪し合ってるのか、相性がとてつもなく悪い。
「今回はそこまで大事に至らなかったから、多くを言うつもりはないが、これが慢性化したら生活に支障が出る。お前自身もそうだが、上司なら部下の体調ぐらい、もうちっと気を配れ」
医者としてはご尤もな言い分だが、ユリウスには火に油を注ぐ発言だ。
イザベラが倒れたのは家賃支払いのために食費を削ったせいであって、決してユリウスの責任ではない...とも言い切れなかった。
そもそもユリウスが惚れ薬作製を引き受けた際にテオドールを怒らせたのが原因で、完成するまで研究費凍結させられたから、こんな事態になっていることにイザベラは完全に忘れていた。
「わかっている」
しかし、聞こえてきた言葉に、動きを止める。
「貴様に言われなくても、わかっている。今後、貴様の世話になるつもりはない」
「...お、おう。それならそれで構わないが...」
珍しく叱責を受け入れるユリウスにマルコーは目を丸くして、戸惑いを隠せていない。
イザベラも、あまりにも予想外だったため、ユリウスを凝視してしまう。
「不愉快だ、帰る」
背中を向け、ユリウスが王宮へと繋がる道を歩き出す。
しかし、すぐに立ち止まり、仏頂面のまま振り返ってくる。
「イザベラ、お前もだ」
「あっ、は、はい!!」
名前を呼ばれ、反射的に体が動いてしまったイザベラはマルコーに改めて一礼をすると、ユリウスの後を追った。
病み上がりのせいか少し走ると息が上がってしまい、息を切らせながら追いつくと、そんなイザベラに気を遣っているのか、ユリウスがゆっくりと歩き出す。
昨日までのイザベラならユリウスにも人を気遣う気持ちがあるのかと純粋に人としての成長で感動したのかもしれない。
しかし、今のイザベラはこの気遣いがユリウスの好意から来るものだと気付いてしまい、妙なくすぐったさを感じる。
でも、それがいったいどこからかイザベラにはわからず、栄養剤が大量に入っている紙袋を胸元に強く抱き寄せた。
・
「はい、先生。これ、飲んでくださいね」
研究室に戻ると、イザベラはマルコーに渡された栄養剤の入った紙袋から自分の分を抜き出し、残りをユリウスの机の上に置いた。
机の上に置かれた紙袋を警戒するような素振りを見せたユリウスに、イザベラは中身を取り出して、見せる。
「栄養剤です。マルコー先生に処方していただきました」
「いらん」
マルコーの名前を聞いた途端、不快で顔を顰めるユリウスは即答する。
飲んでもらったほうがイザベラ的にも助かるので、どうやって飲ませようかと模索する。
「じゃあ、先生が飲んでくれないなら、わたしも飲みません」
そこでイザベラはユリウスの好意を利用することを思いついてしまった。
「...何故、そうなる。関係ないだろ」
「関係なくないです。上司は部下のお手本みたいなものですよね?わたしも先生を見倣って、栄養剤飲みません」
明らかに動揺しているユリウスに、少し罪悪感を覚えるも、これも栄養剤を飲ませるためだとイザベラは心を鬼にする。
本当に不服そうに、心底納得いかない顔で睨んでくるユリウスだったが、断固として意志を曲げる気がないイザベラを前に渋々と紙袋から栄養剤を取り出した。
ユリウスが大人しく言うことを聞いてくれることに感動したイザベラは、これはこれで扱いやすくなっていいかもしれないと思ってしまった。
しかし、好意を利用することに引け目を感じるので、本当に困ったときにだけしようと心に決めるイザベラであった。




