第12話 病名未定、異常なし
「あの、何かの御冗談ですよね?」
ユリウスが自分に好意を抱いているという衝撃的な発言を受けたイザベラはマルコーに聞き返した。
あの天才魔術師が、魔術以外興味を持たないユリウスが人を好きになることなんてありえないとまでは言わない。
けど、自分がその相手だということはにわかには信じがたい。それこそ、ありえない話だ。
イザベラはユリウスにとって、ただの世話焼きの助手でそれ以上でもそれ以下でもないはずなのだ。
マルコーはイザベラに対し相当苛立っているのか、盛大に舌打ちをする。
「んなくだらねぇ冗談いうほど、暇じゃねぇんだよ!!!お前らの恋愛ごっこに巻き込まれるこっちの身になってみろ!!!いい加減にしろってんだ!!!」
本気で憤っているマルコーに思わず怯んでしまいそうになるイザベラだったが、さすがにここで引くわけにはいかなかった。
もし、ユリウスが自分に好意を持っているなどと勘違いして、それが周囲に知られでもしたら。
ユリウスの名誉に関わるし、何より迷惑をかけてしまう。
そんなことになったら、イザベラはユリウスの助手を辞めさせられるかもしれない。
それだけはなんとしても避けたかった。
「でも...でも...」
追い詰められて、今にも泣き出しそうなイザベラに、マルコーは面倒くさそうにため息を吐いた。
「...少し前になるか。あの男が胸の不調を訴えてここに来た時のこと覚えているか?」
呆れ気味のマルコーの言葉にイザベラは小さく頷いた。
あれは確か、ユリウスの助手になって半年経ったぐらいの時だったとイザベラは記憶している。
突然、胸が痛いと騒ぎ出したので、マルコーに診てもらおうと医務棟に連れ出したのはいいが、診断結果に納得いかないユリウスが暴れて、追い出されたのを覚えている。
「あの時、不調の原因を聞いたら、いつも口うるさいあいつが急に口籠って黙ったと思ったら、しきりに後ろに控えていたお前を気にしていた」
「...そうでしたっけ?」
細かいところまではすぐに思い出せず、イザベラは考え込むように首を傾げる。
「その時のことを、よく思い出してみろ。当時のお前が気付けなかったことが、今ならわかるかもしれない」
半信半疑のイザベラだったが、マルコーに言われた通り、素直に当時のことを思い出してみることにした。
・
「体調が芳しくない」
朝、研究室に入るなり、仏頂面のユリウスが不機嫌そうに声を上げたので、イザベラは耳を塞ぎたくなった。
助手になってから半年が経過し、そろそろ職場に慣れてもいいはずなのだが、ユリウスが想像を絶する変人であることでイザベラは毎日頭を悩ませていた。
何かしらの不調や文句を訴えることは日常茶飯時だ。
姿が見えない時などもっと最悪で、どこかしらで倒れていたり、埋もれていたりするので、救出するとこから一日が始まる。
おかげで仕事の大半がユリウスのお世話になりつつある現状にイザベラは助手になったことを後悔し始めていた頃だった。
しかし、自分から志願したイザベラは途中で逃げ出すことに抵抗がある。
最後まで責任をもってこの変人に付き合い、職務を全うしようと気合を入れ直すためにイザベラは自身の頬を叩いて、ユリウスに向き直った。
「どこが悪いんですか?」
「...胸のあたりが痛い」
動悸が乱れているということなのかと解釈したイザベラは救急箱から体温計を取り出し、ユリウスに差し出した。
「風邪ですかね、一応体温を測ってください」
「体温は正常だ」
「測るだけでも測ってください」
「断る」
何故そこまで頑なに拒否するのかはわからない。
しかし、それを理解しようとすること自体が間違いなのだと、この数か月で学んだ。
イザベラは諦めて、体温計を元の場所に戻した。
それでも正常な判断が出来ないぐらいの高熱に侵されているという可能性は捨てきれないため、イザベラは自席に座っているユリウスの傍らに近付いた。
警戒するように体を逸らすユリウスをよそに、イザベラはその額に手を当て、もう片方の手を自分の額に当てた。
小さく息を呑む音が聞こえたが、イザベラは気にせずそれぞれの手に伝わってくる温度を比べる。
「うーん、本当に平熱ですね。むしろ、わたしより低いぐらいです」
視線をユリウスに向けると、どこか緊張しているような面持ちのまま固まっている。
「...先生?」
反応が返ってこないので、呼びかけると大袈裟なぐらい体を揺らしたユリウスは我に返ったのかイザベラを鋭く睨んだ。
「体温は問題ないと言ったはずだ。いつまで触れてるつもりだ、離れろ」
乱暴に額に当てていた手を払い除けられ、イザベラは一歩後ろに下がる。
どことなく落ち着かなそうにそわそわしているユリウスを眺めながら、イザベラは顎に手を当て考え込む。
不調を口に出すということは、少なくともユリウスはそれを改善したいのだと思われる。
しかし、イザベラは医者ではないので症状を聞かされても何が原因なのかわかるわけない。
よし、医務棟に連れて行こう。
「マルコー先生に診てもらいましょう」
至極真っ当な判断だと提案するも、ユリウスは不服そうに眉をひそめる。
「あの男が出てくるまでもない」
「じゃあ、なんで胸が痛いんですか?」
「......」
途端にユリウスがイザベラから視線を逸らし、口を噤む。
「ほら、やっぱりわかんないじゃないですか!!わがまま言わずに行きますよ!!」
椅子から立ち上がらせようと腕を掴もうとすると、イザベラから逃げるように椅子の車輪を動かし、後ろに避ける。
「触るな」
「じゃあ、一緒に行ってくれますか?」
「断る」
放置しても面倒くさいので、なんとか医務棟に連れて行きたいイザベラは策を考える。
普通に説得しても一緒に来てなんてくれないし、どこかしら掴んで引っ張って行くにも、避けられて触ることもできない。
そこである方法が頭に浮かぶも、あまりにも非現実すぎる。
しかし、試す価値はあるかもしれない。
そう意気込んだイザベラはユリウスへにじり寄る。
イザベラに対しての警戒態勢を崩さないユリウスは車輪付きの椅子を器用に動かして、横に移動する。
逃がすものかとイザベラはその後を追う。
くるりと部屋の中を一周し、イザベラが意図的に扉まで追い詰めると、ユリウスは車輪を動かし、椅子に座ったまま部屋の外に出た。
よしっ、かかった!
イザベラが近付くと、同じ極同士の磁石みたいにユリウスが離れていく。
まさか成功するとは思わなかったが、ユリウスはイザベラから逃げることに必死で自分が外に連れ出されていることに気付いていない。
このまま医務棟までなんとか連れて行こうと、イザベラは車輪付きの椅子で廊下を全力疾走するユリウスを追いかけるのであった。
・
「それで、そのままここまで連れてきたと...」
「はい、頑張りました!!」
拳を握りしめ、力強くイザベラが答えると、マルコーは眉間を手でつまみ、大きくため息を吐いた。
「...何年もここで医者をやってきたが、そうやって病人を連れてきたのはお前が初めてだよ...」
「そう、ですよね...」
嫌がるユリウスをここまで連れてきた達成感で感覚がおかしくなっていたが、車輪付き椅子のまま移動する成人男性は絵面的に中々ヤバいのではないのかと今更ながらその異常性に気付いてしまった。
恐る恐るユリウスに振り向くと、研究室からずっと座っている車輪付きの椅子の上で足と腕を組み、今にも人を射殺せそうな視線をイザベラに向けていた。
かなりご立腹の様だ。
しかし、せっかくここまで来たのだから、診察はしてほしい。
飛んでくる視線を無視して、イザベラはユリウスの椅子の背もたれ部分を後ろから掴み、マルコーの前まで押していく。
「それじゃあ、マルコー先生。お願いします」
「勝手に進めるな」
「この状態で押し付けてくるのか...」
二人から抗議にも聞こえる不満の声に一切耳を貸さず、イザベラはユリウスの後ろに控え、医務室の壁になることに徹した。
「...とりあえず、お前の助手から話を聞いたが、胸のあたりが痛い、ということだったな」
目の前に患者がいるということで、渋々と診察を始めるマルコーに、ユリウスは不満そうに唇を尖らせる。
「そうだが、貴様の世話になるつもりはない」
「うるせぇな、聞かれたことだけ答えてろ。一応、検査をしてやるから、隣の部屋で準備してろ」
「必要ない」
「必要かどうか決めるのはてめぇじゃねぇんだよ。おい、こいつを連れてけ」
マルコーが合図をすると、隣にいた看護婦がユリウスの椅子の背もたれを押し、部屋の外まで連れて行こうとする。
「おい、やめろ!!触るな!!」
「はい、フローベルさん。暴れないでくださいねー」
必死に抵抗しようとするユリウスだったが、日々の業務で患者が暴れることに慣れているのか、看護婦は笑顔であしらっていた。
・
「脈拍、体温、心音、全て異常なしだな」
全ての検査結果を読み上げたマルコーは訝しげな視線をユリウスに向ける。
「逆に栄養不足による体重減少、睡眠不足による疲労が見られる。この状態でよく倒れないなお前」
「貴様には関係ない」
勝手に検査をさせられて、虫の居所が悪いのかユリウスの声がだいぶ刺々しく感じた。
そんなことよりも、イザベラはマルコーのよく倒れないなお前という言葉に激しく突っ込みを入れたい衝動に駆られていた。
毎日のように倒れているユリウスを介抱しているイザベラは今すぐにでも声を上げて、事実を伝えたくなるもややこしくなりそうになるため、口をぎゅっと噛み締める。
「一応確認するが、胸の痛みはいつからだ」
「...数日前からだ」
「痛みは常にあるのか」
「いや」
「どういう時に痛む」
「......」
ユリウスがイザベラに視線を送ってくる。
一人で答えられるか不安なのかなと思い、安心させるためにイザベラが微笑むと、すぐに逸らされる。
「...症状が出始めた時に、変わったことはあったか?」
「......」
もう一度、ユリウスから視線を感じたイザベラは、もっと安心させるために力強く頷いた。
そして、またすぐに逸らされる。
噛み合わない二人の様子を見ていたマルコーは額に手を当て、これまでにないぐらい大きなため息を吐いた。
「...帰れ」
「は?」
ユリウスが不機嫌そうに聞き返すと、マルコーは持っていたペンを力の限り握りしめ、拳の中でペキッと折れる音が聞こえた。
「異常なしだ、とっとと帰れ!!!」
突然怒り出したと思ったら、マルコーは折れたペンとバインダーを机の上に叩きつける。
「お前のくだらん質問に答えてやったのに、なんだその態度は!?しかも、異常なしだと!?納得がいかん!!」
マルコーの診断結果に納得がいかないユリウスも声を張り上げ、とうとう怒りを露わにし始めた。
目の前の二人が険悪な雰囲気になっていて驚きを隠せないイザベラはどうしたらいいのかわからずオロオロと視線を泳がせる。
「うるせぇ!!お前らに付き合っていられるほど、暇じゃねぇんだよ!!!おい!!!こいつをとっとと追い出せ、業務の邪魔だ!!!」
憤っているマルコーに気に留めることなく、先ほどの看護婦が言われた通りにユリウスを部屋から追い出そうと椅子の背もたれを押し始める。
「はい、フローベルさん。終わりましたよー」
「ふざけるな!!中途半端な結果を出しおって...!!おい、止まれ!!!」
「はいはい、お大事にー」
ユリウスも相当怒っており、椅子の上で暴れ、怒鳴りつけるも、抵抗虚しく笑顔の看護婦によって部屋の外へと追い出されていく。
目の前で疾風のように起こった出来事に唖然としていると、マルコーが隣に立った気配がした。
「...フローベルの助手になってから、長いのか?」
「えっ、は、半年ぐらいになりますが...」
唐突に質問されたので咄嗟に答えてしまったが、何故今そのような質問をしてくるのかイザベラは疑問に感じる。
「ここ最近、やつの言動におかしなところはなかったか?」
「おかしなところ...?」
最近のユリウスの奇行を思い出してみる。
「...確かに、ここ数日は変に視線を感じることがありました。でも、目を合わせようとするとすぐ逸らされます。あと近付こうとすると拒否反応が出るようになりました。やっと慣れてくださったと思ったのですが...」
他にも返事が一拍遅れたり、自分から離れていくくせに、いざイザベラが距離を取ろうとするとなんだか不機嫌になる。
しかし、半年間ユリウスの助手を務めているイザベラにとって、それらの奇行は特段珍しいことではなかった。
「先生が変なのはいつものことなので、むしろおかしな行動をしていない時がないです」
「.......そうか。まぁ、頑張れよ...」
「はい、ありがとうございます!」
どこか遠くを眺め、何かを諦めたようなマルコーにイザベラは今回の診察を含め、力強くお礼をする。
一礼をしてから医務室を出ると、先ほど追い出されたユリウスが椅子に座った状態で待機していた。
部屋から出てきたイザベラを一瞥するなり、仏頂面のまま顔を背ける。
「特に問題なかったみたいなので、戻りましょうか」
もちろん、ユリウスからの反応はない。
このぐらいじゃ動じなくなってしまったイザベラは、そっぽを向き続けるユリウスを置いて、歩き出す。
すると、後ろから車輪が滑る音が聞こえてきたので足を止め、後ろを振り返ると少し距離はあるがユリウスが椅子を使って移動しているのが見えた。
イザベラからの視線に気付くと、動きを止め、またそっぽ向く。
試しにもう一度歩き出すと、また車輪の音が聞こえてくる。
そして、イザベラが足を止めると、その音も止まる。
近付こうとすると離れていくくせに、離れると近付いてくる。
もう考えるのはやめようと、イザベラは研究室に向かって真っ直ぐ前だけ見て、歩き出した。
その後しばらく、イザベラはユリウスの不可解な言動に振り回され続けた。
ところが数日後、彼は何事もなかったかのように接してきたので、本当に何なんだこの人はと、さすがにキレそうになった。
胸の不調にも慣れたらしく、慣れるとはどういうことなのだろうと、イザベラは首を傾げるしかなかった。




