【泉02/発見】
次なる探索に向かうべく、シズハたちは枯れ沢とは逆の方向へと歩みを進めた。
地殻変動で水の流れが変わり、小川が形成されている方面である。
平坦で開けた細道があるのだ。地面には丈の低い草ばかり。かつて山道の痕跡だったようだ。
身体ごと周囲を見回しながらシズハは視線を巡らせていた。
昨晩、あわや鉢合わせになりかけたあの蹄の獣のことでひとつ気づいたのだ。
「たぶんだけど、僕らにも食べられるような柔らかくて無毒な植物は、ああいう獣にほとんど先をこされているんだ。でもあの四足で蹄となれば、木登りはまったく不得意なはず」
「さすれば探すべきは上、樹上の果実か! なるほど一理あるのう」
シズハに倣い、テンヌは上を向いて周囲の木々に眼を配る。だが、急に首が上向いたことで、彼女はふらふらっと足取りが怪しくなった。
「テンヌ、調子悪い?」
「うぅむ……いくらなんでも、水ばかりではどうにもならぬ! 丸一日なにも食べねばへこたれるわ」
昨日の昼間と比べればよくなったが、絶食による栄養不足はどうしようもない。
それはシズハも同じだ。寝不足と相まって、いまいち力は入らない。だというのに、なにか動こうという衝動ばかりが逸る変な気分だった。
「おとといの夕飯、もうすこしもらっておけばよかったな……テーブルに残ってたのに」
「残らなかったぞ」
「え、あれが? まだ結構あったよね」
「……意中の相手にフられて、自棄食いをしたものがひとり」
冗談めかしているが、誰のことかとは言わずと知れたことだ。
(自棄食いか……なんだ、かわいいところあるじゃない)とシズハは他人事めいた気持ちで、なにやら可笑しくなった。
ついつい頬が緩む――かと思うと、次の瞬間には右手首が掴まれて身体の後ろに回っていた。関節が捻じられ、シズハは思わずのけぞる。背後からテンヌがいやに明るい声で言った。
「な、に、か? 愉快なことでも?」
「なんっ……でも、ありません」
「ほう。あのときの物言い、なんでもないようなものでしかなかったと?」
「いやそうじゃなくって! その……あの時の言い方は、よくなかったな……って」
テンヌはまだすこし怒りながらも、シズハの腕の戒めを解いた。
「ならばよい……まったく、人を宝物目当てで尻の毛までむしる悪党のように言うのだから」
(そこまで言ったっけ?)
歩いていくうちに、ふたりはこの断島に流れついて初めて、この地の人工物にであった。
「これは? 廃屋にしても無骨な……」
「恐らく……本来は山小屋だね。木こりかあるいは猟師のものか」
彼らの目に映るは、緑に浸食された丸太屋根だった。蔦や草が生い茂り、日の差さない辺りにはキノコの姿がある。
地殻変動による打撃を受けたのであろう。壁を横から見ると、傾いてわずかに平行四辺形だ。扉も歪んでいる。
人が絶えてから十と余年。誰の手も入らずにいた丸太小屋は、軒先にいるのもためらわれるほど負の気配に満ちている。いっそ昨晩に身を寄せていた木陰の方がましとまで思える。
「ふぅむ……これでは身を預ける屋根にはなりえぬか」
「いや、このまま捨て置くには惜しい。人がいたってことは生きるための道具があったはずだ。失敬していこう」
シズハは蛮刀を手にすると、扉と枠のわずかな隙間に突き立てた。しばらく格闘したすえ、刃で材木を削り取ってこじ入れ、隙間を作り出す。そこへテンヌが拾ってきた太い棒切れをさらに差しこみ、体重をかけてテコの原理でどうにかこじ開けた。
やっとのことで解放され、シズハは塵を避けて口元を押えながら、中を覗き込む。
が……その表情は歪んだ。
戸口へと倒れた大きな棚が斜めにもたれかかり、行く手をふさいでいる。シズハの体格なら、床を這えば隙間を通り抜けることも無理ではなかったが、木片や割れた陶器の破片が散らばっているのだ。
内部の荒れ方は想像以上だ。そのくせ怪我の危険を冒して踏み込んでも、食べ物を得られる可能性は皆無である。
シズハは己の判断を悔いた。
「しまったな、ここまでとは……くそっ」
腕は疲れて力が抜ける。塵で目がずいぶんとざらつく。衝動的に、壁を拳で打っていた。
さほど大きな衝撃ではないが、材木という材木が軋んだ。その響きは、嗤われているようでもあり、誘い込まれているようでもある。
(いや、どっちも錯覚だ。落ち着くんだ。僕が独り、無様にイラついたってなんにもならない。テンヌに負担をかけるだけ……)
と、その時。彼の視界を白いものがよぎった。テンヌが身をかがめて、戸口へと入っていくのだ。
「ちょっと、危ないよ!」
「心得ておる。それより、これを見つけたのでの」
床の破片を払って片膝をつき、棚の下へ手を伸ばしたかと思うと、彼女の手には籠が握られていた。
取っ手がついていて、すこし深みがある。まさにこの一帯で木の実や野草を採取するのに使われていたであろう大きさだ。
埃がついて黒ずんでいたが、小川ですすげばきれいになった。網目を軽く伸び縮みさせても、朽ちて崩れる様子はない。
「あったな、成果が。これひとつで果実集めもはかどるというもの。のう?」
「うん……ありがとね」
「腹を満たしてから、打つべき手段を考えてみようではないか。棚があるならば、解体すれば寝床の部材となるかもしれぬな?」
テンヌがさきを歩き、再び食糧となる果実を探しに木々の間へ分け入る。シズハが手掛けた赤い脚絆により、彼女の足は守られていた。
「あの山小屋の様子……やはり人が絶えて久しい地と見るべきか。浜で動き始めたときこそ、だれにかかずらうこともない自由……かとも思ったが。こうも行き過ぎると不自由かの」
「どう生きるかと心配しておいて、裏手を見れば漁村……だなんて、空回りは起きそうにないね」
「幸か不幸か、のう」
「幸でないことは確かだよ」
「そうか? では果たして不幸か?」
「人がいるならそれに越したことはない」
「……わからぬやつよ」
「わからぬって? なにさ」
「今この瞬間、おぬしは不幸か?」
テンヌがじっと見てきていた。
シズハは思う。こんなにお腹が空いたのは、人生で初めてだ。腕も疲れているし、温かな風呂にも入れていないし、ずいぶん楽しい思いをしていない。親しい人の顔を見ることさえできていない。
しかし。
ふっ……と笑い、シズハは言う。
「そうでもないね」
「で、あろう?」
テンヌと気持ちが通じているのが分かる。
どこまで歩いても苦しみがついて回る。死の恐怖がよぎる瞬間も一度や二度ではない。それでも、ふたりで今を生きるこの瞬間を、不幸せとは感じないのだ。
力が抜けて、不意に空を見上げる。
するとシズハは、一点、鮮やかな色彩に目を奪われた。
その正体を悟り、彼は思わず言った。
「あったかも。幸が」
「なに?」
シズハが指さした先を、テンヌも見る。
そこにあったのはひとつの樹木だ。細い枝に添って葉が並んでいる。
その先端に生る赤い果実が見えた。
「ザクロだよ」




