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【浜辺01/少年と少女】


 シズハは戸惑いの渦中にあった。

 テンヌ――そう、あの見上げるような巨躯の女海賊だったはずのひとは、シズハの腕のなかにある。氷が小さくなるようにして少女の姿に変じたのだ。


 疲れて失神同然に眠っているその寝顔は、港で匿ってくれたあの少女と確かに同じだ。

(語らった時間は僅かだった。けど、見間違うものじゃあない)


 髪の色は白く、後頭部でひとつ結びにしてある。思えばその特徴は、はじめから合致していた。だがあまりにも体格の違う両者を結びつけることなどできようはずもない。


 身体が小さくなった今も、羽織は肩にかかるままだが、袴とサラシはほどけて身体中にゆるく絡まっている。


 少女の身体は受け止めたが……目の前で起きた変化は、疲れ切ったシズハに受け止められるものではなく。

 思考は停止していた。辛うじて働く思考は「この子を保護しなくては」「どうしても眠い」という二点であった。


 その場で眠りたいくらいだったが、シズハははたと気づいた。

 アルビノの人は強い日差しに弱いと聞いたことがある。今は夜明けで山影だが、このまま日が昇ればまともに日光を浴びることとなる。


 シズハは少女を抱え、疲れ果てた身体を引きずるようにして浜辺の大きな岩陰へと身を移した。

(これなら、日差しと海風にまともにさらされることはない……)


 最善を言うなら、ふたりとも濡れた衣服を乾かさねばならない。だが少女に意識はないし、シズハもとっくのとうに疲れ果てていた。


 白く麗しい寝顔を腕に抱いたまま、岩に背を預けてシズハは重たい睡魔に身を任せた。


 肌を撫でていく海風が冷たい。しかし近い位置にある心臓から熱が伝わり、互いの身を辛うじて温めていた……


***



 どれほどの時が経ったか。

 シズハは気づくと、砂浜から照り返す太陽の熱を肌に感じていた。


 ゆっくりとまぶたをあける。

 すると、眼が合う。

 傍らで白い髪の少女がのぞき込んでいた。

 藤の花のような紫色の瞳だ。


(あのお風呂場で出会った時と同じだ……)

 逆に言えば……港で、海賊船で、幾度となく目の合った赤い瞳とは輝きが違っている。


 疲労で頭が重たい。ぼんやりとした夢見心地で、シズハはただ少女の顔を見返していた。

 すると彼女は、ひそやかに笑う。

()()()()()()()()()()()()()……そういう約束だったな? シズハよ」


 別れ際に交わした一言だ。

 それに気づいたシズハは、急に目が覚めた。身を起こすと、少女は驚いてわずかにのけぞる。


 一呼吸ほど見つめ合い、少年はおずおずと口を開いた。


「その……なんというか……」

「なにか? わたしの顔にヒトデでもついていたかな?」

「そうじゃなくて……テンヌ、だよね?」

「無論。一晩抱き合って過ごした相手の名前を、もう忘れたか?」


 テンヌの軽口はなかば聞こえておらず、シズハは改めてまじまじとその姿を見ていた。


 彼女は衣服を整えており、羽織を前合わせの衣として着こなしていた。

 上衣として巨躯に合わせていたそれは、今の背格好では襟元から足元までを覆う服となった。胸元に巻いていたサラシを、帯の代わりにして締めている。


 港で追われるさなか、匿ってくれた少女。

 海で出会い、決闘した、見上げんばかりの女海賊。

 今、流れ着いた断島にて、まさに傍らにいる少女。


 それらが同一の人間……なにかの間違いかとも思える。

 その事実を、シズハはどうにか飲み込もうとしていた。


 だが、まぎれもなく風呂場で会った少女と、女海賊テンヌの物質的な共通項がふたつ。


 ひとつは、命綱として結んだお互いの髪だ。黒い三つ編みと、白い髪のひと房が確かに結ばれている。


 そしてもうひとつ。

 額の傷だ。

 決闘においてシズハが刻みこんだ、額の傷が確かに共通していた。巨躯であったときは、血を凍らせていたが、その下のひし形の傷口が、目の前の少女の眉間の上にあった。

 それは風呂場で出会った時にはなかったものだ。


「いや……あの……」

 シズハは言いよどんだが、混乱するなかからもっとも素直な言葉が口をついた。

「……どういうこと?」


「ふぅん? どう、と問われても……」

 テンヌは思案しているようで、口の端がゆるんでいる。面白がっているのだ。


 女海賊としての豪胆なときと比べて、今の彼女は低調で静かな物腰だ。どこか妖しい香りがある。

 しかしよくよく見れば、瞳に宿る表情は共通している。シズハを見ながら愉快そうにするときの表情は、確かに一緒なのだ。


 そう思うと、踏み込みがたい気分は薄れていった。

「はぐらかさないでよ。あの大きな身体って、偽物だったの?」


 偽物。その言葉を聞き、テンヌはまじめになって言う。

「ちがう。虚飾などではない。おぬしは我が腕に抱かれて、海を渡った。それは真実であろう?」

「それは……確かにそう」

 氷の祝福と、なにより圧倒的な膂力体力、それらに文字通りすくわれたのだ。


「だがいまの姿も、わたしの真実。そこに矛盾も偽りもない」

「真実だって言われても……ひとりの人間が、大きかったり小さかったりすることが、信じがたいというか……」


 怪訝にするシズハに、テンヌは言葉を選んで言う。

「改まってだれかに説明したことはなくてな……なんというかの。『祝福』の、作用反作用? というか……」


 テンヌは自らの胸に掌を当て、拳を握った。

 その手首にあった痣は、今ではずいぶん薄まっている。もとあったものを知らなければ気づかないほどだ。

「わたしのいつもの肉体は、生まれ持った骨肉を鍛えたのに加えて、並外れて強い『祝福』によって育まれたもの。あの身を、精霊の似姿と呼ぶ老人もいたが……とにかく普通の育ちとは違う。しかしそれは紛れもない、確たる実体。でなければ、おぬしと打ち合うことも、胸に抱くこともできまい?」


「うん……」

 シズハは海をただようさなか、胸に抱きしめられたことを思い出して曖昧な相槌を打つ。


「しかし祝福の力を使い過ぎたり、あまりにも疲れ果てたりすると……こう、一時的に祝福も休眠せねばならなくなる。するとこのように、祝福なく生きればこうなったであろう本来の身体、年齢とし相応の姿、『素態そたい』に立ち返ってしまうのだ」


「それってあの、匿ってくれたときもそうだったの?」

「うむ。といってもあの時は、骨休めのためにわざと、な。しばらく航海の疲れと塵埃じんあいがかさんだゆえに、独りきりの時間を取っていたのよ。まさか一日も持たずにこうなるとは」

 軽い調子でテンヌは言う。


 すぐすぐに理解はできずとも、シズハは受け取った情報を自らの中に落とし込もうとしていた。

 だが、ひとつの疑問が口をつく。

「え? 年齢相応? ……君、いくつなの?」

「十五だが」

「同い年じゃん……」

「そうであろうね。わたしも天変地異の前のことは伝え聞きでしか知らない」


 シズハにはもうひとつ、ひっかかることがあった。

「あのさ。祝福の姿と、今のその素態で、心がふたつあるの?」

「いや別に? 気持ちも記憶も、断絶なく連続しているよ。なぜそう思う?」


「だってほら、初めて会った時と、祝福の姿と、今とで雰囲気が違うなって」

「身体が変われば、気分もかわるさ。頭領として立つときは景気のいい振る舞いでなければならないし、それに……いや。よいか」


「よいかってなに?」

「取るに足りないこと」

 テンヌはわずかに目をそらした。シズハの勘が働き、いたずら心が湧く。


「それは僕に言ってみないとわからないんじゃない?」

「ん~~……別に」

「ねえ、教えてくれない?」

 つつかれて、テンヌは大声で言う。

「うるさいな! かわいい子の前で()()()が恥ずかしいからすこしかしこまっていたのじゃ!」

「そういうことね」


 シズハが思わず笑うと、テンヌは眉根を寄せてずいと迫ってきた。

「ところで! 口ぶりが違うと言えばそちらこそではないか? 初めて会ったあの姿も、振る舞いも、偽りだったようじゃな?」

「あ……! それは……」


 シズハが弁明するより早く、テンヌは立て続けに言う。

「何を顔を赤くしておる? 考えてみれば、わたしははじめから素顔でいた。はじめに騙したのはおぬしの方であろう! 妹に甘い、健気で可愛()ぃらしいお姉ちゃん……みたいな顔をしておいて、とんだ女狐だったではないか!」

()じゃないでしょ!」

「同じことよ! 演技だったのだからな!」

「ごめんって! 女の子のフリしてたのはそうだけど、ウソは言ってないよ!」

 テンヌは、迫るあまりに押し倒さんばかりの勢いだ。


 が……


 ぐぅ。ぐうぅ。

 腹の虫が二匹鳴いた。

 夕食を共にしてからもう半日以上が経つ。そして一晩中全員運動を続けたのだから腹も空くというものだ。

 ふたりはあっけにとられ、それから笑いあった。


「腹を割って話すには、腹を満たさねばならないか」

「そうだね。なにをするにも、今自分たちを助けることが先みたいだ」

 テンヌは立ち上がり、シズハもそれに従う。

 まずは漂流者として、生存のために周囲の確認をせねばなるまい。


 だがもうひとつ。いまこうして素性が知れたことで、シズハは訊きたいことがあった。

「ねえ、テンヌ。もうひとついいかな」

「うむ?」

「港で追手と戦ってくれたのは……つまり、知ってて助けてくれたってこと?」


「さて、はて。どうだったか……もはや忘れた。だが確たることがひとつある」

 テンヌはシズハの胸を、人差し指でとんとついた。


「わたしは二目(ふため)惚れしたのだ。はじめは、妹思いのお姉ちゃんに。そして、逆境にあっても、追手に啖呵を切る敢然たる男の子に……だから、おぬしが欲しくなった」


 岩陰だというのに。シズハは、己の頬が太陽に照らされるように火照るのを感じた。

 だれにはばかるでもなく、テンヌは彼の耳にささやく。

「諦めてはいないのだからな。覚悟するのだぞ?」



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