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【夜の海02/悪計の口火】


 無道丸の後方、船腹へと小舟がぶつかったその時――


 炎が噴き上がった。

 シズハとロウギが見つめる中、小舟は轟音とともに爆ぜたのだ。


 ふたりは船縁から身を乗り出して注視していたため、目と耳を一瞬やられた。

 暗く静かな夜の海にあって、激しい炎を突如直視したまぶしさと、爆発音のせいだ。


「うわあっ!?」

 五感に刺激を受けたシズハは、生き物としての本能でその場に伏せていた。

 ふた呼吸ほどの間はなにもできなかったが、パニックのなかでも無道丸全体が大きく揺さぶられていることは確かに分かった。

 感覚が働きを取り戻すうちに、次第に船じゅうから悲鳴や叫び声が聞こえてくる。


 無道丸は盛大な混乱の渦中にあった。文字通りに船全体が動揺している。


「誰か来てくれ、船窓が割れて破片を浴びたやつらがいる!」

「逆だ、運べ! クォーレ先生んとこだよ、おい!」

「当番してたやつらは消火に当たれ! 動けるやつは海水汲んでぶっかけろ!」


 シズハはやっと立ち上がり小舟のあった方を見る。異臭のする煙が上がり、無道丸の船体に火が燃え移っていた。

「なんだよあれ、なんであんな……炎が!?」

 ロウギは茫然自失で船縁にもたれかかり、腰を抜かしていた。驚きで大きく開かれた目と口が戻らずにいる。


 船内からエイラが息を切って駆けあがってきた。

 ロウギ以上に酒に酔っている顔で、日焼けがちな顔がなお赤いのがわかる。

「オメーらぼさっとしてねえで動け! 汲み上げるんだよ、水を!」

 言いながら水汲みのための縄付きのバケツをとろうとしたが、その時、船の傾きが大きくなった。

 しらふならば足腰で持ちこたえただろうが、エイラは揺れを受けてもろに平衡を崩した。シズハたちの真横にまでつんのめってきて、船縁によりかかってやっとのことで身体を留めた。バツが悪そうにへらっと笑う。


 テンヌの声が響いた。

「わしは外に備える。船内の回復は副長の指示で動け!」

 頭領に伴われ、船員たちが続々と甲板に上がってくる。


 テンヌとシズハは一瞬、視線を交わした。

 シズハは何か彼女に言いたかったが、喉の奥まで出かかって形にならなかった。

(それどころじゃない。僕の気持ちのために、切羽詰まった『今』を貰うわけにはないかない……)


 テンヌは厳しい顔のまま視線を横に滑らせて、ロウギに問う。

「何が起きたか?」

「海流でちいせえ舟が流れてきて、見張りが見つけて! この船にぶつかったかと思ったら、こ、これだ!」

 ロウギは焦りで乾いた舌をもつれさせながら言った。


 テンヌの表情の固さを見て、シズハの腹の奥の後悔は一段と重くなった。


「小舟……? 周囲に異物はまだ見えるか!?」

 テンヌは胸を反らせ、櫓の見張りへ訊いた。あわてて今一度索敵した見張り番が、声を上げた。

「五時の方角、小舟が流れてきた方に灯りが見えた! 大きな船みたいだ!」


 甲板の者たちが一斉に後方に視線を走らせる。

 爆発を受けた船尾のさらに向こう側、確かに海上に松明らしき火が見えた。先ほどまでは、その火は間違いなく見えなかった。夜に紛れて密かに接近してきていたのだ。


「なんだってんだあの船は!」

「なんであろうと構わぬ。敵であることは間違いが無かろう! 総員戦闘態勢!」

 テンヌが声を張り上げた。


 海上の火は、はじめは一点だけだったが、燃え広がって船の形を浮き上がらせるように、燈火とうかが増えた。

 影響の弱い海域とはいえ、このあたりも銀海流のうちだ。たくさんの燈火は海面で猛烈な乱反射を起こしている。

 得体の知れない敵船に、シズハは思う。

(意味もなく明々(あかあか)として、まるで奇怪なシャンデリア……『火』そのものを誇示しているみたいだ)

 船の自体は、柳葉のような細身をした新型ものであり、余計にその装飾が異様であった。


 そして、その怪船はみるみるうちに無道丸へと接近してきていた。

 小舟の軌道とほとんど同じだ。海流の勢いを乗せて突っ込んでくるのである。船首をぶつける気だ。


 シズハは船縁で体を支えながら、ただただ目の前に起きることを見ていることしかできなかった。


 テンヌが錨をあげるよう指示する。回避運動を取らせるためだ。あわただしく動く船員たち。船尾の火はいまだ消し止められていない。喧騒に混じって怪我人のうめき声も聞こえてくる。


 頭領の指示も空しく。動揺から脱する間もなく。

 無道丸は怪船の体当たりを受けた。小舟の爆発以上に、大きな衝撃と横揺れに見舞われる。


「ひゃあ!」

 背後からの悲鳴に、シズハは振り向いた。

 その時、まさにエイラが船縁から身を投げ出された瞬間だった。

 船縁に一瞬手がかかったが、船の揺れで振り落とされる。


「危ない!」

 シズハの身体は動いていた。身を乗り出して、落ちかけたエイラの手を掴む。

 しかし体格が大きいのは相手の方なのだ。重みでバランスを崩したシズハは引きずられるようにして船縁の一線を越えていた。

 気づけばシズハは、右腕一本でふたり分の体重を支えて宙づりとなっていた。船縁に指はかかっているが、一瞬でも気を抜けばすぐにもろとも滑り落ちることだろう。


 腕の痛みと焦燥がシズハを支配する。

(ああ、くそっ! なんてザマだ。ばかをやった! 衝動で動くんじゃなかった! 助けるならもっと手段があったはずだ――)

 これまで必死にフィシーのために動いてきたことが、まさに水の泡になろうとしているのだ。


 彼は必死に思考と視線を巡らせた。

 下を見れば、エイラが赤かった顔を真っ青にして、両手でシズハの左手を握っている。口を動かしているが、あわあわと言葉らしい言葉にはなっていない。とにかく落下の恐怖に頭が真っ白になっていることだけはわかった。

 助けた相手は、よりによって一番いやな奴。だが、シズハは両手の力を緩めることはなかった。

(ああ、ちくしょう……そんな顔をされたら、手を抜こうなんて気になれないだろ)


 上を見上げるが、人の顔は見えない。そばにいたロウギは気づくだろうが、この動乱のなかどれだけ対応できるか?

 ふと、シズハの顔に火の粉がかかった。襲撃してきた船の燈火から散ったものだ。顔を向けると目に痛いほどに明るい。


 シズハが見ていないうちに、敵船から無道丸に向けて格子状に編まれた縄が投げかけられている。襲撃者たちが足掛かりにして渡ってこようというのだ。


 長らしき男の声が、甲高く響いた。

「さあさあ海賊船から見つけ出せ! 逃げたガキを引きずり出して秘宝を我らが手に取り戻せ!」


(こいつら、エリオンを探す追手か!)

 シズハは歯を食いしばった。今の自身の窮地もエリオンのせいだと思うと余計に呪わしい。秘宝のためなら手段を選ばない連中は数知れないが、海賊に襲撃をしかけるなどとは思ってもいなかった。


 気勢を上げて曲剣を手にした襲撃者が迫る。その先鋒が、無道丸の船縁に片足をかけたその時――

「痴れ者めが……この無道丸、やすやす攻め込めるとでも思うたか!」


 直後、先鋒の男が吹っ飛んだ。高く宙へ跳ね飛ばされ、遠くの方で水柱を立てた。

 テンヌの怒りに任せた蹴りをまともに受けたのだ。空中にいた時点で、大量の火に照らされて真っ赤な飛沫しぶきが軌跡を描いていた。

 そして立て続けに、もうひとり接近していた男のノドに、テンヌの貫手がはいった。二番手の男は声すら上げることができず、海へ崩れ落ちる。


 船に渡ろうとしても、経路がひとつでは守備は容易だ。なにしろ今、最強の頭領がその唯一の路に陣取ったのだから。


 先頭を走ったものたち無惨な様を見て、襲撃者たちの士気は一気に鈍ったようだ。縄で体を支えたまま立ち往生している。

 敵の長がしきりにけしかけようと号令を出す声が聞こえるが、テンヌの威圧感の前に完全に膠着している。また、テンヌの脇に控える兵長トウローたちが、渡し縄に蛮刀を当ててちらつかせている。まだ近づこうとすればすぐさま断つ、と示威しているのだ。


「大丈夫かシズハ! もうすこしふんばってろ、な!」

 ロウギの声がした。気づけばシズハの手首を大きな手が握っている。船守のダカツも来てくれているのだ。

 前線に立つテンヌに、敵の眼が引きつけられているおかげだった。


 シズハは、焦りを隠して言う。

「まずは()()を持っていってくれないかな、肩が限界だ」

 ダカツがシズハを支えているうちに、ひとりの身軽な女が身体にロープを結んでするりと降りてきた。女がエイラを背中から抱えると、上のものたちが引き上げた。

「よし。掴まっていろ」

 ダカツの腕に力がこもると、シズハの細身はゆっくり持ち上がっていく。


 しかしその時、襲撃者のなかに叫ぶ者があった。

「おい、あのガキだ! あのクレーンから逃げおおせた三つ編みのやつが、あんなところにいるぞ!」

 シズハはぞっとした。敵船から一斉に視線が投げかけられる。欲と敵意にぎらついた無数の眼だ。


 敵の長が喜ばしげに言う。

「矢を撃て! あのガキを落とすんだ!」

「へ? いやしかし……」

「いいから今だ! 離間の好機を逃すな!」

 長に怒鳴られ、敵船で後ろに控えていた者たちが、一斉に弓を引いた。


「まずい……!」

 ダカツはとっさにシズハを引き上げようとしたが、それよりも速く彼の上腕に一本の矢が刺さった。ダカツの肘が伸びきって、がくんとシズハの身体が下がった。

 ダカツはうめき声を押し殺し、少年を支える右腕に一層の力をこめる。

 無道丸の射手たちがとっさに応戦するが、火事の対処に追われてそもそも戦闘員の手が足りないのだ。

 シズハの身体は大きく揺れる。ずるずると重力に引かれ、海面がわずかずつ近くなる。そのうちに、もう一本の矢がダカツの肩を襲った。

 その一矢が限界だった。ダカツは満身の力でシズハを掴んでいたが、両者の肌の間へと血液がすべりこんだのだ。

「しまっ……!」

「ああっ!」


 ぬるりとした手触りを残し、シズハは支えを失って海に落ちた。


(まずい、落ち着かなくては! 今一番恐れるべきは、落ち着けないこと、僕自身が慌てて溺れること――)

 冷たい水の中で彼は懸命に考える。

 幸い、敵船の火があるので方向感覚を失うことはない。

 海面へ浮上して力を抜き、仰向けで海に浮かぶべく懸命に体勢を整えようとした。


 通常、人体は水に浮く。人間は力を抜いて仰向けになっていれば、いくぶんか呼吸を確保するだけのことはできる。助けが来る可能性があるなら、大切なのは無駄な体力を使わないこと。

 師父からそう教わったのだ。泳ぎだって充分な練習をして、木の葉が流れるように泳げる。

 無道丸から木材や浮きでも投げ渡されれば、それだけでかなり持ちこたえられる。


 だというのに。

 シズハの身に起きたのは、まったく違うことだった。

(なんだ!? 沈んでしまう! 流れに引っ張られるみたいに!)

 石が沈むように、シズハの身は沈んでいく。自ら水を掻いて浮上に努めないと、海の中へ引きずり込まれそうだった。身に着けているものといえば薄手の服ばかりなのにもかかわらず。


 必死に抗ううちに、いつしか海流に囚われていた。空気を求めて海面へと顔を出すたびに、無道丸が遠ざかっていく。ロープや材木を投げても届かないであろうほどに。


 銀海流がシズハを攫うのだ。

 迫る死を予感したシズハの脳裏に様々な思念が浮かんでは消える。


(エリオンを届けられない)

(もうフィシーに会えない)

(図書館の本を読みそこなった)

 後悔することばかりだ。

 だがこの時、彼の中にあったなにより重たい後悔は……

(テンヌと話せない)



 ――不意に、なんとなくすべての力を抜いてみた。

 ゆっくりと海の深みへ近づいていく。

 どんどん落ち込んでいく。


(間違いない、僕はこのまま――)

 再び抗って水を掻こうにも、気が遠くなって体の動かし方がわからなくなっていた。

 なんとなく、冷たい海水を飲んでみる。

 自分がそれと、変わらない温度になっていくのを感じた――




 だが。

 シズハの身体に熱源が触れた。

 柔らかく温かなそれは、シズハを急速に海面へと浮上させる。


 久々の空気に触れると、シズハは大きくせき込んで少し海水を吐いた。

 思考が回りだす感覚を覚えて、顔をぬぐって周囲を見る。

 はるか遠くに、船の灯りが見えた。


 何が起きたのかと考えたその時気づく。

 力強く厚い腕に、自分が抱かれていること。

 自分の頭の真後ろで、助け出したそのひとの息遣いが聞こえること。


 そしてそのひととは、まぎれもなくテンヌであった。

 シズハを抱いて泳ぎ、波に抗っているのだ。

 無道丸から離れて海原にふたりぽっち。

 彼女は船を率いる頭領の身でありながら、()()()()()()にいる。シズハはその意味を知る。


「テ、テンヌ……まさか、僕のためにここまで……!?」

 彼女は息を吐くように小さく笑うと、腕に抱く力を強めた。

「約束したはずだ。おぬしの使命を果たさせる! 誇りを賭けて故郷まで送り届けると!」



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