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【船長室03/逆巻く舌】


 テンヌの言う『楽土』、そんなものがあるだろうかとシズハは考える。


 もともと大陸があった土地はほとんどが断島となり、住みよい環境と呼べる土地など残っていない。

 大陸とその外との交流もないことはないが、天変地異のあとはどこだって環境の激変により被害を受けている。街が荒んだり村が飢えたりとたいへんな様子だったとも聞く。


 そんなことは、実際に海を渡っている彼ら北蛮海賊は承知していることだろう。

(つまり、楽土ってのは結局、銀海流の源のエルプラタのことだ……エリオン捜索に手を貸していたのもそのためか……)


 急に、つまらない気持ちになった。

(このひとだって、結局は、秘宝エリオンだの白銀郷エルプラタだのと、野望を見ているだけなのか……)


 そういう気持ちの時に限って、口をつくのは強い言葉だった。

「楽土だなんて……そんな都合のいい土地あるわけがないよ。夢幻ゆめまぼろしだ。大陸も砕け散って、土地らしい土地なんて残ってない。今も生きてる島なんて、誰かのために使われているに決まってるんだ」


 テンヌは、シズハの強い語気に少し驚いたようだった。だがすぐに、泰然と言う。

「決まっているとは? 妙なことを言うのぅ。お主は見たか? それとも誰かが目にして、それを認めたか?」


「それは……」

「なかろう? もとより、北のはずれよりやってきた身よ。探す先を、旧大陸の及ぶ海域に限ろうとは思っておらぬ。探した果てに……あるいは余人のたどり着いたことなき地にまみえるやもしれぬな?」


「人の手が入ってない土地を拓くなら、そりゃあそうなるだろうね」

 言葉に詰まったシズハは、投げやりに返した。自分で自分がよくわからない。


 スープを最後まで食べ、音を立てて器を置いた。

 最後の一滴まで美味であったが、喉を通ったそのあとは、最初の感動は陰ったように思えた。まさしく後味の悪い思いが、シズハの胸中を占めている。


 そのときわずかに顔を上向けてテンヌの顔を伺うと、眼が合った。

 ずっとこちらを見据えていたのだと知る。


 彼女はしゃくしゃくと音を立てて果物を噛んでいたが、すぐに飲みこむ。そして、いつになくまじめな様子で言う。

「おぬしも来い」

「え……?」


「妹が気がかりというのなら、わしが責任を持って面倒を見よう。我々とて根拠地はある。そこは住まうのもよかろう」

 シズハはやや大げさに肩をすくめた。三つ編みが大きく揺れる。

「なんの冗談だか。どうして僕が? これまでの生活を捨て去って?」


「おぬしほどの者が、教会とやらに命すり減らすのはあまりにも惜しい」

「なんでそんなことが言える? なにも知らないのに!」


「知らずとも、おぬしの身に起こったことだけで充分よ。孤立無援で命をかけねばならん状況に陥った、そこは間違いあるまい?」

 シズハはなにも言えず、しぶしぶと頷いた。テンヌは言葉を続ける。


「命令を与えたおぬしのあるじは、何を持って報いる? 主従といえども、つまるところは互いに働きと褒賞で報いることなければ成り立たぬ。おぬしには何がもたらされる?」


「……僕は天変地異で親を亡くし、双子の妹とともに伯父の下に預けられた。今日こんにちまで命を繋ぎ、保護してもらった恩を先に頂いている。報いるのは僕の方だ。そして今の働きの先に、妹の将来が保証される」


「命の恩ゆえか。ならばそれは正当なものだと承知した……しかし将来の保証とは? 世の動乱のあおりを受ける教会でか? なにを保証できるかのう?」


「だったら、お前たちだってなんの保証もない。楽土なんてものが見つかる保証がどこにある? それどころか、なんの結果ももたらさないままに、この船が沈む可能性だってあるじゃないか!」


「うむ。それは認める。しかしじゃ。関わる者たちみなが一蓮托生に命を賭けるのと、おぬしばかりが命を賭けねばならぬ、それは違うようじゃがのう?」


「そこの違いに意味なんてない。僕は妹の未来のために動いている」


 シズハがテンヌを拒絶するのは、もはや意地の領域だった。妹への義理立てのために、なびかない己で居続けるほかない。


 いつの間にか、胃の腑の奥がまた冷たい。冷感の周りには、スープにもたらされた温かみがある。

 熱さと冷たさとが相争っている。だんだんと気分が悪くなってきた。腹の奥で波が逆巻くようだ。


 料理に毒の類が入っていたのではない。食べ慣れぬ料理とはいえ、害をなすに食物については知識がある。それとは違う。なにより、テンヌの方が多く食べているのだから。

 彼には、なかば確信があった。エリオンが原因であると。


 本当に好い食事を饗された身として、口に合わなかったなどと誤解させたくはない。

 口を堅く結び、思わずうつむいていた。頬から血の気が失せていくのを感じる。

「夕食、ごちそうさまでした」

 今一度、左手で右拳を包む。礼儀を通したのだ。

 テンヌもおおよそ、食べる分は食べた様子だ。物量に圧倒されるようだったたくさんの料理は、ほとんどがふたりの腹へ消えていた。


 テンヌは一息つくと、なだめるように言う。

「シズハよ。今しばらく話さぬか」


 だが、シズハはそれを制して鋭く言った。

「海賊を信用できない」

 彼がテンヌをにらむと、なにかを押し殺したような顔をしていた。その内心がいかなるものか、シズハには推し量れない。

 ずきずきとした痛みが、少年の腹を襲う。

「お前だってつまり、僕の持つエリオンが欲しいんじゃないのか……! 甘言でそそのかして、食い物にしようとしてるんだろう……!」


 誘いを断らねばならぬという思い。腹の中で渦を巻く災い。そのふたつがシズハに決定的な拒絶をさせた。

 それ以上、どうすることもできずに、部屋を飛び出した。今はとにかく、テンヌからとにかく離れたかった。



 闇雲に逃避するうちに、シズハはいつの間にか甲板にいた。

 もうすっかり月の晩だ。夜風がシズハの首筋を逆なでしていく。

 船縁へよりかかり、月光が銀色に閃く海をのぞきこんでいた……


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