【船長室01/卓を囲って】
「夕餉……やっと食事の時間?」
シズハは安堵から、自分の表情が緩むのを感じた。
釜から漂う香りに鼻をくすぐられ、腹の虫が鳴る。腹の奥底を冷たい塊が占めているにも関わらず、それでもなお空腹を感じるのだ。奇妙な感覚だった。
少年が思わずお腹を抑えると、テンヌはくすりと笑う。
「客人をずいぶんと待たせてしまったようじゃな。これはいかん」
テンヌが釜を抱えて向かった先は、船長室、つまりは自身の私室だった。シズハが寝泊まりする客室と、同じ廊下だ。隔たる部屋は、いくつもない
(こんなに近かったのか……)
船内を指揮する合間に服を持ってこられたわけだ、と納得があった。
船長室は、扉からして構えが大きい。本来建造されたときには船倉として作られた一空間のようだ。
内装を見たところ、テンヌのために改装されており、普通の部屋とは様式が大きく異なる。明らかに空間が広くとってあり、天井が高い。椅子やベッドなど調度品も格別に頑丈なつくりだ。
部屋にそろう物品は、主の外見からはまったく予想もつかないものだった。
入って正面には大きな文机があり、日誌と地図と大小の書き付けが並んでいる。
その脇には書棚……というよりは書箱というべき物体が山を成していた。平たく小さな木箱に背表紙を上にして本が並べられており、それがいくつも積み上げられているのである。船で書物を保管するための構造だと見えた。多少の揺れでは落ちず、潮風の影響もいくらか軽減できる。小分けにされていることでまとめて浸水することもない。
(こんなにたくさん本を読むのか……)
思わぬ一面だった。
シズハも本は好きだ。まれに余暇ができると、屋敷の図書室に通っていた。
船の運航を担うものとすれば当然なことだが、知性を感じる部屋だった。実務性の高かった操舵室と比べれば、私的な空間という雰囲気だが。
部屋を見回すうちに、シズハの眼が一点に留まった。ひとつ、やけに見覚えのあるものがあったのだ。
(あ……あの絵があんなところに……)
ボレーが描いた、シズハの少女めいた姿絵が、机の前の壁に留めてある。
気恥ずかしいからと言って引っぺがすわけにもいかない……というより、飛び上がらなければ手も届かない位置だ。テンヌの眼の高さである。
悶々と眉根を寄せるシズハをよそに、テンヌは自ら手を動かし準備を進める。
部屋の中央には、おそらく野営の時にも用いるであろう卓(土埃などはついていない)が置かれており、すでにたくさんの食べ物と食器類が載っている。
テンヌは卓の中央に釜を置いた。
傍らには籠に入って、干し芋やパン、果物などが備わっている。
その食べ物の量に、シズハは目を白黒させていた。
大部分は、航海食らしく保存性や利便性優先のものだが……あまりにもたっぷりで、景気の良い食卓なのだ。
「なにこれ。祝いか宴の席みたいな……」
「祝い事だとまでのぼせてはおらぬ。おぬしとわしの食事よ」
「これでふたり分なの?」
「もっと欲しいか?」
「……好きに食べていいってこと?」
呆然とするシズハに、テンヌは快活に笑いかける。
「当然じゃ。無道丸の頭領、このわしから一本奪った男ぞ。好きに食べる権利がある」
テンヌは、いそいそとシズハに食事をとりわける。
木製の大きな器に、釜に入っていたスープを柄杓でたっぷりとよそった。
ごろごろとした塊の竜肉と根菜が、香ばしい汁の中でひしめいている。汁はわずかに濁った黄金色で、食材の出汁がたっぷりと煮出されているのが目にも見える。
シズハのお腹はまたも鳴った。
自分のためにこれほどの料理が用意されたことに、かつてない驚きがあった。
シズハのために一席設けられるなど、滅多にある事ではなかった。師父が時折ささやかに用意してくれたくらいだ。
祝いの宴席とは、みんな双子の妹フィシーのためのものばかり。シズハにはほとんどなかった。
そして十歳を迎えるまえには、そもそも祝いの規模は小さくなり、自分が妹を祝うために動く立場となっていたのだ。
喜びが沸々と湧いてくる。
だが毅然としていなければならないという意識から、思わず本意とは別の言葉が口をついた。
「ひとりのためにこんなたくさん用意させるって、頭領の強権じゃないの」
「強権ときたか。妙な心配をするのう」
「でもほら、分け合ったりとかは……?」
不安そうにするシズハへ、テンヌは穏やかに言う。
「今頃みな、竜の肉で腹を満たしておる。食いっぱぐれて気を悪くするものはおらぬわ……しばらくは食べる機会も少なかったのであろう?」
言いながら、テンヌは盃に飲み物をそそいだ。水面のわずかな飛沫と共に、独特の香りが立ち上る。シズハの嗅いだことのない、果実らしきものだ。
「これ、お酒? だったら僕は、飲めないよ」
「ふふ、違う。滋養の薬湯じゃ。疲れもこれで飛ぶわ」
食事の準備は整った。シズハとテンヌ、ひとつの卓で向かい合うこととなる。
シズハは、右手の拳を左手で包み、親指を交差させた。
そうして、食べ物に向かって目をつむり、頭を下げた。
テンヌがわずかに首をかしげて訊く。
「その所作は……さきほどもいていたようだが。なにか意味があるのか?」
彼女もまた、シズハと同じように手を握ってみる。
シズハは首を垂れたまま言う。
「これは……教会の、食前の祈りだよ。僕らが生きてく中で、救いとなる一番身近な『糧』は食事だから。食べ物でその身が助けられてることを、しかと受け止めます……って気持ちを示すものなんだ。それと……」
「それと?」
「作ってくれた人、用意してくれた人にも……同じく感謝を、さ……」
シズハは顔を上げ、テンヌの顔を見上げる。
彼女は上目遣いなシズハの眼を見返し、ひと呼吸ほどの間、目を見開いていた。そうして目を細めると、満足げに言った。
「うむ! 気兼ねなく食べよ。わしの分まで食べつくしたとて文句は言わぬ」
次回更新:4/20になります
5月半ばあたりまでしばし低速更新です。




