【操舵室02/波の源】
「話はもうひとつ」
笠の奥の眼に射すくめられ、シズハはびくりと身を強張らせた。
副長は指先で、海図の中心を丸くなぞる。
「銀海流の源について……だ」
シズハは三つ編みの先を指で挟み、それとなく目を逸らした。
「銀海流の源? 源と呼べるものがあるのかさえ、僕は知らないね」
「知らぬと」
「だって、そうでしょ? 当の銀海流から遠い土地で育ったんだ。学者先生の知り合いがいるわけでもない」
答えながら、シズハは内心で毒づく。
(さっきの追求からは抜け出せたけど、これじゃまるで尋問者が交代しただけだ)
問いかけに疲れていた。痛くもない腹を探られる……ならぬ、痛む腹とはいえ、探られ過ぎだ。
客分である以上、船員と不和を起こす気はなかったがあんまりである。
「僕が話せそうなことは、もうだいたい話したよ。情報収集がしたいんなら、さっきの、トウローさんからでも聞くんだね」
「やつは先走ったな。だが目指す先は異なる」
「違う?」
「あの男が欲するは勲功。私が求めるは、由来」
(結局は宝探しじゃないか……このままじゃ、海賊の仕事に巻き込まれるばっかりだ)
副長はどういうわけか、シズハの動きを阻むようなことはまったくしていない。愛刀さえ机に立てかけて身体から放している。操舵室から駆けだそうとすればできる状態だ。
「僕からしたらどっちにしても変わらない。話すことなんてないんだから」
さっさと背を向け、戸口へと足早に向かう。が……
「聞き覚えはないか。『エルプラタ』という呼び名に」
シズハは思わず足を止めていた。自らの行動を自覚したときにはもう遅い。この瞬間、停止は肯定と同じだ。
副長が、笠の奥で僅かに笑ったのを感じた。
シズハは確かに知っている。
その名を、妹の口から聞いている。
漁師や、船乗りや、冒険家のなかでまことしやかに伝えられる存在だ。
「……かつて星が落ちた地点に、銀海流の、白銀の源が存在するはずだ、と」
シズハがゆっくり振り向くと、副長は顔を向けるでもなく、再び海図に視線を落としていた。
そうしてその中心からやや北よりに手を置く。
天変地異が起きた日、星が落ちたとされる海域だ。
***
その近辺は、銀海流の流れが激しく、海がひどくうねる。
天変地異の起きたその地点が、十五年を経た今現在、どうなっているのか。
だれにもわからない。
だが人と人が話し、噂が連なるうちに、いつと知れず出でた呼び名がある。
銀海流の源であるその地点は、きっと同じく銀に染まっているのだ。染物のように、源にはきっと銀のきらめきの源があるのだ……と。
地の果てにあるという、伝説の金のみやこが黄金郷と呼ばれる。
ならば、海のどこかにある、神秘なる銀のみやこ。
それは『白銀郷』と呼ばれるべきであろう。
***
シズハは思い至った。フィシーが風から聞いたということは、どこかでその話がされていたのだ。
船乗りである北蛮の副長は、情報収集を惜しまないだろう。それを掴んでいたとして不思議はない。
いまだ不確かな話だが……その白銀郷こそが、海の秘宝エリオンの出所であるという話を、シズハは妹越しに聞き及んでいた。
「ふぅん……僕には、計り知れない話だね」
シズハはわずかに悩み、逃げの一手を打った。これ以上、海賊の目的に深入りをすべきではない。
副長はいつも以上に平坦で熱のない口ぶりで言った。
「耳に覚えがなければ……客分を、いつまでも引き留めはしない」
「そう、それじゃあ……」
再度背を向け、シズハは思う。この副長こそ、だれより凄味を感じる存在だと。
決闘の前と言い、今回のことといい、この男は譲ることにためらいがなく、こちらを責めるところがない。
だからこそ、底が知れないのだ。同時に、もし自分の上長であれば命を預けるに足る器かも、とも思う。庭番の師父であり長である、エドモントを想起するところがあった。
考えを巡らせながら操舵からでたその時、シズハは思わずのけぞった。
前方に巨大な物体が佇立していたのだ。
「わ! ……テ、テンヌ!」
「どうも姿が見えぬと思えば……副長となにを話しておった?」
見上げるシズハは、赤い瞳と眼が合った。テンヌはわずかに首をかしげ、白い毛皮のようなたっぷりの髪が揺れる。彼女はちょうど半身で、顔だけを横に向けてシズハを見ていたのだ。
同時に、頬にすごい熱を感じた。テンヌの体温にしては高すぎる。この氷の女にしては。
で、あれば……テンヌとあったことで自分の頬が上気しているのか、とシズハは無性に恥ずかしい思いがした。
「話……は、えっと、今後の航路がどうとかを」
「ふむ、そうか。ではもう終わったのじゃな?」
シズハは気づく。熱源の存在に。自分のうちから湧いたではものではなかった。
テンヌは、彼女でさえ両手で抱えねばならぬほどの、大釜を持っていたのだ。ついさきほどまで火にかけてあったであろうその釜から、熱が伝わってくるのだ。
テンヌはシズハを見る時の、いつもの薄い笑みを浮かべていた。
「夕餉をともにしようではないか。のう?」




