【操舵室01/海の有様】
「話がある」
――と、副長がシズハを連れてきたのは、船の後部にある操舵室だった。
海図や資料、羅針盤などが整然と配置されている。
全体的に雑然としたこの無道丸の中で、異質なほどに整頓が行き届いているのだ。
ここは副長が主体となって管理しているのだと、シズハは察した。
舵輪の前の男は、停泊中とあって気安い様子で佇んでいる。
「話って、ここで何を?」
「……現況の確認を」
部屋の後部には広い卓があり、海図が広げられていた。
かつてのオリゾーン大陸のあった海域を記したものである。制作されたあとに加えられたであろう、細かい書き込みがたくさん入っている。
(あれ? こんなのだったかな?)とシズハは思った。
北蛮による書き込みを別にしても、少年が前に見た地図とはかなり様子が違う。
断島の数が多い。既知の断島の位置や、大陸の格好も少し違っている。
だがじきに考え至った。
(そうか……違っているというよりも、古かったんだ、僕が見たことあるのは)
目の前にあるのは、海賊が実際に航海し、そのなかで得た情報を反映した海図だ。おおもとの海図も、信頼できる筋から手に入れたものであろう。
その一方でシズハの記憶にあるものは、アウレーの伯父の下にあったものだ。何年も前、銀海流のはずれの海域に持ち込まれた地図である。今となっては情報が遅れているのだ。
「アウレーの位置の把握は?」
「わかるよ。そのくらいは」
改めて最新の海図に視線を落とす。
中央部には島が描かれていない。空っぽだ。銀海流の流域を示す波線が、仮定らしき鉛筆書きで記されている。
その中央部こそ、かつて星が落ちた地帯である。大地が砕けて、都市と人間と生き物たちとが沈んで帰らない。
その海域は、銀海流の影響が強く、優れた船でも転覆することからまともに探査できる船がないのだ。
それゆえに、いわば暗黒の海域とでもいうべき謎の領域だった。
そして南側、かつての大陸の大地が深い弧状に残存している。
両端はそれぞれ北西と北東にある。地図上で見た形を、シズハの伯父は『釜』になぞらえた。蹄鉄のような形だと喩えるひともいる。
そのなかに、かつて大陸であったが今はもう分かたれ、断たれた島。たくさんの断島が点在しているのだ。
巨大な弧の中を南西方面へと見ていき、シズハは指を差した。
周りと比べて、ひとつ大きな島がある。
それがアウレー断島だ。自然な隆起や浸食で生まれたものではないため、海岸線は角ばっている。割れた陶器の破片のようだった。
副長は頷く。
「そして我が船はおよそこの海域」
革手袋の指先が置かれた。
アウレーから東北東、銀の波線の外縁部だ。もうすこし北東には、出航した港の断島がある。
「明日になればまた北上し、銀海流の中を西進。島の真北に至ったところで南下し、アウレー断島の港へ向かう。ここまでに、異論は?」
太陽の位置とそこから導き出される方角から、決して的外れなものではないとわかった。
「異論はありません。差し挟めるほどの知見もない」
「アウレーの港は西の岬だな」
「ええ……どの程度の日程に?」
「天候と海の様子が悪ければ十日か。しかし最短ならば。今日を含めて三日……といったところかな」
つまりは二度の夜を迎えたら、アウレーにつくということになる。
(想定以上に速い! ……ひとつの船に目的地へ向かってもらえるってのが、ここまでなんて)
当初の想定では、そもそも追手から逃げて戻らねばならなかったのだ。旧大陸に渡って人目を避けながら西へ進み、そこからさらに港でどこかの船を頼らねばならないところだった。いくつもの障壁がある。
それが丸ごとすっ飛ばせるのだ。
「我々も足を延ばしたことはない。しばし探索をするかもしれんな」
「え……アウレーに居つくつもり?」
「価値があらば」
「あいにく、海賊の好むようなものはないね。さびれた花畑とハーブ園と、図書館があるくらいだ。あとは農地や職人の工場ばかりだよ」
「ずいぶんと卑下をする」
「……よそから見て価値のあるものがないから、エリオンを求める羽目になったんだ」
大陸の残存している地域ならば陸続きで移動もできる。
銀海流の恩恵を受けられる、旧大陸中央の海域ならば交易が盛んだ。
しかしアウレーは、残った土地がやや大きいばかりで、どちらの恩恵もないのだ。
漁師の稼ぎは悪く。行商人は滅多に来ない
天変地異から数年は、土地の代表であるアウレー司教を頼り多くの者が集っていた。
だが海流の恩恵がはっきりしてくると、文字通り潮流に乗って人々は栄えた土地に移り住んでいった。
もとより社会が乱れたまっただ中だ。財産、職、家族、人々を結び付けるものは希薄だった。
「旅の目的を為せば、行きかう価値のある土地になるのではないか」
「それは……」
シズハは次の言葉が出なかった。理屈としては確かにそうなのだ。本当に銀海流を呼びこめれば、船も行きかうようになる。
教会の管轄地に海賊が出入りするだけでも、よそへ顔向けができないというのに。
海賊がうろつくことで、もしもフィシーのことを知られたら……シズハにとっての恐怖である。
無道丸の客分となったことで、彼らに対する忌避感情はある程度薄れていた。
蛮族だと蔑むつもりもない。
しかし、あくまで海賊である。争いの中で生き、動物を食らうことを営みとする海賊なのである。
教会とは相いれない……
「そうでなくとも。此度の航海は異例の航路だ。補給体制にも無理が生じる。体勢を立て直すためにも、ひとつの港に腰を落ち着ける必要はある。……そこに意見は受け付けない」
常に淡々とした口調の副長だが。これについてはどこか厳しい響きがあった。船の運営を担うものとしての判断だ。
「もういいかな。話すべきことは話したはずだ」
「話はもうひとつ」
笠の奥の眼に射すくめられ、シズハはびくりと身を強張らせた。
副長は指先で、海図の中心を丸くなぞる。
「銀海流の源について……だ」




