第66話『ストライクより大切なもの』
【5月17日(日)午後/PLAYX NODE TOKIWA《プレイクス ノード ときわ》・ボウリング場/河田亜沙美】
食事処を出ると、私たちは約束していたボウリング場へ向かった。
エスカレーターで一つ上のフロアへ上がると、目の前にはずらりとボウリングレーンが広がっていた。
受付前まで来ると、近くのゲームセンターから聞こえる電子音に混じって、ピンが倒れる乾いた音があちこちから響いてくる。
家族連れや学生グループでほとんどのレーンは埋まり、ストライクが決まるたびに歓声や拍手が弾けていた。
「河田さん!」
犬神さんがぱっと振り向く。
「ボウリングやったことある?」
「えっ?」
少しだけ戸惑ってから、小さく首を振った。
「……ないよ。今日が初めて」
「えーっ!?」
犬神さんは目を丸くした。
「じゃあ今日はボウリングデビューだね!」
テレビでは見たことがある。
でも、実際に投げるのは今日が初めて。
「デビュー……」
(なんか、どきどきしてきたかも……)
「初めてなら仕方ない。気楽に投げればいい」
「そうだな。最初は当たれば十分だ」
神田くんが肩をすくめ、越智くんも静かに頷いてくれた。
ふたりの言葉に、
張りつめていた気持ちがほどけていく。
「うん、頑張ってみる」
受付を済ませると、四人で貸し靴へ履き替えた。
レーンへ向かうと、犬神さんは待ちきれない様子で駆け出そうとする。
「早く投げたいな〜っ!」
神田くんが呆れたように声を掛ける。
「少しは落ち着け。その辺は滑りやすいぞ」
「だいじょーぶ!」
そう言った次の瞬間。
「あっ!」
つるっ。
「わわっ!?」
危うく転びそうになった犬神さんを、神田くんが後ろから腕を掴んで支えた。
「だから言っただろ。ちゃんと歩け」
「えへへ……。ありがと、神田くん!」
越智くんも苦笑しながら、ほっと息をつく。
「ケガがなくてよかったな」
「うんっ!」
犬神さんは満面の笑みで頷いた。
その笑顔につられて、私も思わず笑ってしまう。
*
それぞれの荷物を席へ置き、私たちはレーン後方のボール置き場へ向かう。
そこには、赤や青、緑――
色とりどりのボールが重さごとに並んでいた。
「……どれを使えばいいんだろう」
初めてだから、何を基準に選べばいいのかよく分からない。
とりあえず近くのボールへ手を伸ばそうとすると、
「河田」
越智くんが静かに呼び止めた。
「それは少し重いと思う」
「えっ?」
越智くんは隣のボールを持ち上げる。
「まずはこれくらいが投げやすい」
受け取ってみると、思ったよりしっくり手になじんだ。
「あと、指も無理なく入る方がいい」
「……ほんとだ」
さっきのより持ちやすい。
「ありがとう」
「慣れたら重いのでも構わないが、最初は軽めで慣れた方がいい」
越智くんは軽くうなずき、自分のボールへ手を伸ばした。
(越智くん、やっぱり頼りになるなぁ)
私もボールを抱え直し、レーン前の操作台へ向かう。
「よーし!」
犬神さんは両手を合わせると、人差し指をぴんっと立てた。
「今日はね、ボウリングもペア戦にしよ〜っ!」
「ペア?」
私が首を傾げると、犬神さんはにっと笑う。
「午前のテニスみたいにね、二人ずつ組んで勝負するの!」
「でも……わたし、ボウリング初めてだよ?」
思わずそう口にすると、犬神さんは「あっ、そっか」と頷いた。
「わたしは中学のときに友達と一度だけ行ったことがある!」
「俺は何回かやったことはあるな」
越智くんが静かに答えた。
「同じく」
神田くんも肩をすくめる。
「うーん……」
犬神さんは腕を組んで少し考え込む。
「あっ、いいこと思いついた!」
「わたしと河田さんは初心者だから、ハンデでプラス百点っていうのはどう?」
「異議なし」
越智くんが小さく頷いた。
「そのくらいなら、条件は公平だな」
神田くんも反対はしなかった。
「よーし! じゃあ、負けたチームは勝ったチームにジュースおごりね!」
犬神さんがそう宣言すると、神田くんが珍しく口元を少しだけ上げた。
「ふっ。それは面白い。
見せてもらおうか。お前たちの実力とやらをな」
「えっ?」
犬神さんが目をぱちくりさせる。
「神田くん、急にキャラ変わった!?」
私は思わず吹き出した。
その様子を見ていた越智くんが、静かに口を開く。
「いいだろう。見せてやるよ、俺の最適解ってやつをな」
「えぇっ!? 越智くんまで!?」
思わず声が裏返る。
「でもこの前、二人とも学校の屋上で『普通にはできる』『必要最低限はできる』って言ってたよね!?」
神田くんは腕を組んだまま、小さく息をつく。
「……能ある鷹は爪を隠す、だ」
「バラすと意味ないだろ」
越智くんもさらりと言ってのける。
ぱっと笑顔になった犬神さんが、私の手を軽く引いた。
「わたしたちも負けてられないよ〜っ! ねっ、河田さん♪」
「……う、うん!」
越智くんと神田くん。
二人とも普段はあんなに冷静なのに――
こんなふうに張り合う姿はすごく新鮮で、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
「じゃあ、ペア決めだね!」
犬神さんが両手を前へ突き出す。
「じゃんけんで決めよう!」
「最初はグー!」
四人の手が重なる。
「じゃんけん――」
「ぽん!」
私と越智くんはチョキ。
犬神さんと神田くんはパー。
「よーし! チョキチームとパーチームだね!」
「河田さん、越智くんとペア決定!」
「えっ!?」
越智くんと……ペア?
「よろしく」
越智くんはいつも通り、落ち着いた声だった。
「あ、う、うん!」
(……嬉しい。
でも、すごくどきどきする……)
これからしばらく越智くんの隣なんだ――そう思うだけで、胸が落ち着かなくなる。
それぞれレーン後方のベンチへ腰を下ろした。
「よーし! それじゃ、始めよっか。
先攻は越智くんチームだねっ!」
犬神さんが元気よく手を挙げる。
「まずは河田さんからいってみよっ!」
「わ、わたし!?」
突然名前を呼ばれて思わず振り返る。
「うん!」
犬神さんは満面の笑みだ。
「トップバッター!」
「えぇぇ……」
そんな大役だなんて聞いてない。
ふと隣のレーンへ目を向けると、家族連れや学生たちが楽しそうに投げている。
緊張しているのは、きっと私だけ。
「大丈夫だ」
隣に座る越智くんが、静かに声をかけてくれた。
「力まなければ、ちゃんと前へ転がる」
「う、うん……」
その一言だけで、不思議と少し肩の力が抜けた。
私はゆっくり立ち上がり、ボールを抱えて投球位置へ向かった。
ゆっくり前へ踏み出す。
「えいっ」
ゴトン。
手を離れたボールが、レーンをまっすぐ転がっていく。
――ころころ。
……ころ。
「あっ」
途中から左へ曲がり始め、そのままレーン脇の溝へ落ちていった。
「わぁぁぁ……」
思わず顔を覆う。
「一本も当たらなかった……」
せっかくみんなで来たのに……。
最初から空気を悪くしちゃったかもしれない。
犬神さんがすぐ駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫だよ〜っ!
最初はみんなそんな感じだから!」
越智くんが静かに言う。
「初めてなら十分だ」
二人の言葉に、不思議と気持ちが軽くなった。
「ボウリングって難しいんだね……」
気を取り直して投げた二投目も、ピンの手前で大きく左へ逸れてしまった。
「じゃあ、次はわたし!」
犬神さんはレーン前へ戻ると、勢いよくボールを持ち上げた――かと思ったら、
「……重っ」
慌てて抱え直した。
「そんなボールで大丈夫か?」
神田くんが苦笑混じりに言う。
「大丈夫! 問題ないっ!」
犬神さんは一度うなずくと、小走りで助走位置へ向かった。
さっきまでの慌ただしさが嘘みたいに――
静かに前へ踏み出す。
一歩。
二歩。
そして――
ぽすっ。
「えっ」
ボールは驚くほどゆっくり転がり始めた。
ころ……。
ころころ……。
ころころころころ……。
「遅っ」
神田くんが思わず呟く。
犬神さんは両手を胸の前でぎゅっと握りしめる。
「がんばれぇぇ……!」
まるで頑張る誰かの背中を押すみたいに、自分で投げたボールへ声を送っている。
もう犬神さんの中では、ボールも立派なチームメイトなんだ。
その声につられるみたいに、私たちまでボールの行方を見守っていた。
ころころころ……。
やがてボールは一番前のピンへ吸い込まれるように当たり――
ガタン。
遅れて左右へ弾ける。
ぱたぱたぱたっ!
気付けば十本全部が倒れていた。
一瞬だけ静まり返る。
「……え?」
犬神さん本人が一番驚いている。
次の瞬間。
「やったぁぁぁーーっ!」
両手を上げて飛び跳ねた。
さっきまで転びそうになっていた人とは思えない。
神田くんは倒れたピンと犬神さんを見比べ、
「なんでそれで全部倒れるんだ……」
と心の底から不思議そうに呟いた。
越智くんも倒れたピンをじっと見つめる。
「ピンアクションが上手く連鎖したのか。普通なら数本残る速度だ。……犬神らしいイレギュラーだな」
「えへへっ。じゃあ、次は神田くん!」
犬神さんが期待いっぱいの目で振り向く。
「おう。オレの番か。
せっかく犬神が流れを作ったんだ。オレも続くか」
神田くんは軽く立ち上がると、ボールを片手にレーン前へ向かった。
助走も無駄がない。
すっと踏み出し、
ひゅっ。
勢いよく転がったボールが中央へ吸い込まれる。
ガシャンッ!
乾いた音とともに、九本のピンが倒れた。
一本だけ残る。
「すごい……ほとんど倒れてる!」
私も思わず声を上げた。
「まあ、こんなもんか」
「惜しかったね〜っ!」
犬神さんが本気で悔しそうに言う。
「ストライク取ったやつに言われてもな」
間髪入れない返事に、また笑ってしまった。
神田くんは二投目で残った一本をきっちり倒すと、何事もなかったように戻ってくる。
「次でストライクを出せばいい。それだけだ」
いかにも神田くんらしい答えだった。
「最後は越智くん!」
犬神さんが元気よく振り向く。
「河田。フォームは気にしなくていい。ボールの軌道だけ見ててくれ」
そう言って、越智くんは私に軽く視線を向けた。
レーン前へ歩み寄り、静かにボールを構える。
そのまま自然な足運びで助走へ入り、すっとボールを送り出す。
放たれたボールは、勢いよくレーンを駆け抜け、真っ直ぐ中央へ吸い込まれるように転がっていき――
ガシャンッ!
乾いた音がレーンいっぱいに響いた。
十本のピンが一斉に倒れる。
――ストライク。
「わぁ……!」
思わず声が漏れる。
やっぱり。
越智くんなら、きっと決めてくれると思ってた。
「越智くん、すごーい!」
犬神さんが目を輝かせる。
神田くんも、その一投に納得したように小さく頷いた。
「フォームが綺麗だな」
「意識したことはない」
越智くんは淡々と答える。
「次、河田さんの番! 頑張って!」
「よしっ!」
私は小さく息を吸い、ボールを抱え直してレーンの前へ立つ。
「河田」
越智くんが私のすぐ隣まで歩いてきた。
「次は少しだけ投げ方を変えてみよう」
「う、うん!」
「まずは構え方」
「……はい」
言われた通りにボールを持ち直す。
「もう少し力を抜いて」
そっと手元を指差される。
……ちゃんと聞いてる。
聞いてるはずなのに、近いだけで落ち着かない。
(こんなに近いと、意識しちゃう……)
「レーンの途中、床に並んでる三角の目印、見えるか?」
どきどきする胸をごまかすように、慌ててレーンへ目を向けた。
「あっ……あの、三角が並んでるところ?」
越智くんが静かに頷いた。
「そうだ」
「真ん中のピンじゃなくて、あそこを狙うと真っ直ぐ転がりやすい」
「投げたあとは、そのまま手も目印の方へ出すイメージでいい」
「なるほど……」
「それと」
越智くんは自分の腕を軽く振って見せる。
「腕だけで投げようとしなくていい。
振り子みたいに自然に振れば十分だ」
私は何度も頷いた。
(……そっか。
力まず自然に振って、ボールを狙ったところへ通せばいいんだ。)
ちゃんと聞かなきゃ。
せっかく教えてくれてるんだから。
「できそうか?」
「や、やってみる!」
深呼吸をひとつ。
教えてもらった通りに構える。
力を抜いて。
目印を見て。
腕は振り子。
ゆっくり一歩踏み出す。
――今。
指先から、そっとボールを送り出した。
ゴトン。
ボールはレーンへ静かに着地し、そのままさっきよりも真っ直ぐ転がっていく。
ころころころ……。
お願い。
お願い……!
ボールは最後にわずかにそれて、端の一本へ触れた。
コトン。
ピンが小さく揺れる。
――ぱたん。
「あっ!」
一本だけ。
でも、ちゃんと倒れた。
「やったぁ!」
思わずその場で飛び跳ねる。
「倒れた!」
犬神さんも両手を上げて大喜びする。
「河田さん、やったねーっ!」
神田くんも口元を緩めた。
「ちゃんと当たったな」
越智くんも静かに頷く。
「最初より、ずっと良くなってる」
その一言に、胸の奥がじんわり温かくなる。
「ありがとう!」
自然と笑顔がこぼれた。
一本だけなのに。
さっきまで一本も当たらなかった私には、それだけで飛び上がりたいくらい嬉しかった。
*
その後もゲームは続いた。
犬神さんは相変わらず、見ているこっちが心配になるくらいゆっくりボールを転がしては、不思議なくらいピンを倒していく。
「また倒れたー!」
「物理法則まで味方につけてるだろ……」
神田くんが呆れたように笑う。
理屈じゃ説明できないのに、ちゃんと結果だけは出してしまう。
それも、なんだか犬神さんらしい。
一方で神田くんは、派手さはないけれど着実だった。
一本一本を確実に倒し、点数を積み重ねていく。
「神田くん、着実に点数を伸ばしてるね」
私がそう言うと、
「……負けたくないからな」
本人はあっさり答えた。
越智くんは最後まで変わらなかった。
静かに構え、静かに投げ、気付けばまたピンが倒れている。フォームは少しも崩れない。
見ているだけで、不思議と安心できる。
そして私は――。
最初みたいに溝へ落としてしまうことは、もうなかった。
一本。
また一本。
少しずつだけど、ちゃんと当たるようになっていく。
ストライクには届かなかったけれど……。
「河田さん、すごい!」
犬神さんが嬉しそうに拍手する。
その笑顔に照れながら、
「越智くんのおかげだよ」
思わずそう言うと、
越智くんは小さく首を横に振った。
「河田が自分で修正した結果だ」
その一言が、心にすっと染み込んでいく。
越智くんに褒められた。
ただ、それだけなのに。
今日一番嬉しかったかもしれない。
やがて最後の一投が終わり、画面に順位が表示される。
一位。
犬神・神田ペア。
「やったぁぁーっ!」
犬神さんが両手を突き上げた。
「勝った勝ったー!」
神田くんは画面を見上げ、小さく息をつく。
「勝ちは勝ちだな」
「ジュース、おごり決まりだね!」
犬神さんはもう自動販売機の方を見ている。
「約束だからな」
越智くんが財布を取り出す。
「好きなの選んでいい」
「ほんと!?」
犬神さんの目がきらきら輝く。
「じゃあ遠慮なく!」
そう言って駆け出そうとした、その瞬間。
「だから走るな」
神田くんがすかさず腕をつかむ。
「あぅ……」
「さっきも同じことやっただろ」
「今度は転ばないもん!」
「その台詞は信用できないな」
そのやり取りに、みんなの表情がふっと和らぐ。
私たちはレーンをあとにして、自動販売機へ向かった。
越智くんが自動販売機にお金を入れると、犬神さんと神田くんが好きなジュースを選び始めた。
私も財布を取り出そうとした、そのとき。
「河田」
「え?」
「こういうのは俺が払う。そこまで律儀にならなくていい」
「で、でも……」
「気にするな。今日はみんな頑張ってたしな」
「……ありがとう」
自分のことみたいに、
みんなの頑張りをちゃんと見てくれている。
そういうところが、ほんと越智くんらしくて……好きなんだ。
「越智くん、ありがとっ!」
犬神さんが嬉しそうに笑う。
「……悪いな」
神田くんも短く礼を言った。
「じゃあ、遠慮なくっ!」
犬神さんは嬉しそうにボタンを押した。
ゴトン。
取り出した紙パックのジュースを大事そうに抱えながら、
「勝者の味〜♪」
と満足そうにストローをくわえる。
「ジュース一本でそこまで幸せになれるなら、コストパフォーマンスは高そうだな」
越智くんは、呆れたように小さく息をついた。
「えへへっ! だって嬉しいんだもん♪」
午前は少しだけ張りつめた空気もあったけど、
今の犬神さんは、心から楽しそうに笑っている。
その笑顔を見ていると、私まで笑顔になってしまう。
ボウリングも、みんなとの会話も。
勝った負けたより、この時間そのものが楽しい。
そんなふうに思えた休日は、きっと今日が初めてだった。
そのとき。
犬神さんがゲームセンターの方へ勢いよく振り向く。
「ねえ、みんな! 会計終わったら、記念にプリクラ撮りにいかないっ?」
期待に満ちた瞳で、私たちを見つめる。
「わかった、わかった」
神田くんが苦笑し、
「記念なら、撮っておくのも悪くないな」
越智くんも、わずかに口元を緩めた。
この何気ないやり取りが、胸に心地よく残る。
みんなと過ごした、このかけがえのない時間――
ストライクを取ることよりも、ずっと嬉しかった。




