第60話『現実接続《リアルリンク》』
【5月15日(金)午後/常盤高校・体育館内/Lunaria】
まだ五月だというのに、体育館の中は蒸し暑い。
人が集まっているせいか、余計にそう感じる。
昔からこういう空気は苦手やけん。
早う帰りたい。
エアコンの効いた部屋。
クランフィールド。
棚に並んだもふラビたち。
あそこだけが、
世界で唯一HPが回復するあたしの絶対領域。
この前の祭りでは、人混み耐性のなさを嫌というほど思い知らされた。
日向高校との合同交流会。
正直、最初はそこまで興味があったわけじゃない。
それなのに――。
生徒会役員の紹介が始まった瞬間、
思わず顔を上げていた。
『生徒会長 朝比奈こころ』
聞こえてきた名前に、意識が引っかかる。
(……こころ)
一拍遅れて、頭の中で別の名前が浮かんだ。
(こころん……?)
いや、まさか。
クランフィールドで聞く“こころん”の声とは、あまりにも違いすぎる。
この前のオフ会で会ったときだって、
あんな生徒会長みたいな固い雰囲気じゃなかった。
あっちはもっと緩くて、よく笑って――
距離感がおかしい。
壇上で挨拶している生徒会長は、隙なんてひとつも見せない優等生そのものだった。
それでも――。
気づけば、壇上から降りた生徒会長を目で追っていた。
黒髪は肩より下まで真っ直ぐ伸びていて、細いフレームの眼鏡が知的な印象を強めている。
典型的な“ちゃんとしてる側”の人間だった。
壇上で見たときは気づかなかった。
けれど改めて視線を向けると、目元や輪郭に妙な既視感があった。
笑い方。
視線の流し方。
声の抜き方。
どこかが……引っかかるんよね。
「……え、どうしたの?」
隣の星乃が首を傾げる。
「……やっぱり、似てる……」
*
開会式が終わった途端、体育館のざわめきが一気に戻ってきた。
椅子を戻す音や笑い声が重なり、
あちこちで「どこから見る?」と相談する声が飛び交う。
人の流れは、展示教室のある特別棟側へゆっくり動き始めていた。
「科学部、先に行く?」
星乃がパンフレットを見ながら訊いてくる。
「……なんで科学部?」
あたしが聞き返すと、星乃はパンフレットの一角を指差した。
《科学部特別展示
香料実験&化学ショー》
「マジックやってるからさ。
こういう“見せる系”のやつ、ちょっと気になるんだよね」
少し照れたように笑う。
「……言いたいことは分かる」
言われてみれば、似ているのかもしれない。
人を驚かせる仕掛け。
目の前で起きる“不思議”。
方法は違っても、目指しているものは近い気がした。
「じゃあ、先に見に行こ?」
「……そうね」
歩き出そうとした、そのときだった。
体育館脇の通路から人の流れがこちらへ向かってくる。
その先頭には、
さっきまで壇上に立っていた生徒会長の姿があった。
周囲の生徒へ何か指示を出しながら、迷いなく人の流れを切り開いていく。
その列から少し離れた場所で、
眼鏡姿の男子生徒が歩いているのが見えた。
――思わず足が止まった。
「……たかちゃん?」
思わず声が漏れる。
彼がこちらを見て、わずかに目を細めた。
「やっぱりお前か」
相変わらず素っ気ない。
オフ会で会ったときと変わらない。
そのやり取りに気づいたのか、生徒会長がこちらへ視線を向ける。
周囲をちらりと見回し、すぐに表情を整える。
「交流校の生徒と少しお話してきます」
近くにいた、いかにもお嬢様という雰囲気の女子生徒が小さく頷く。
「ええ。こちらは問題ありませんわ」
「ありがとうございます」
そう言って一礼する。
……いや、まさか。
「……行くわよ、星乃さん」
「えっ? えっ?」
事情の分かっていない星乃を連れ、人の少ない体育館裏手の通路へ移動する。
周囲から生徒の姿が消えたところで、生徒会長はふっと息を吐いた。
そして。
スチャ――。
細いフレームの眼鏡を外す。
「ふぅ……」
肩の力が少し抜ける。
その瞬間だった。
「やっぱり、ルナちゃんだった〜っ!」
声が変わる。
さっきまで壇上で聞いていた生徒会長の声じゃない。
聞き慣れた“こころん”の声だった。
「……そういうことやったんね」
「えへへ〜♪」
こころんが嬉しそうに笑う。
その横で、星乃だけが完全に置いていかれていた。
「えっ、ちょっと待って!?
マジで知り合いなの!?」
「前に話したクランのリーダーよ」
「いやそこじゃなくて!」
星乃が勢いよく指差した。
「せ、生徒会長だったの!?」
「……あたしも知らなかった」
思わず本音が漏れる。
「髪型も声も違うし……あとメガネ」
「学校では内緒にしてたからね〜♪」
こころんは少し照れたように笑った。
……そうだ。
今なら話が早いかも。
「……この子、星乃ひより」
「えっ、あ、はいっ!」
急に名前を出されて、星乃が慌てて姿勢を正す。
「クランフィールド、
やってみたいんだって」
こころんの目がぱっと明るくなる。
「ほんとっ!?」
「……だから。
もしよかったら、クラン入れてあげて」
今までのあたしは、
誰かをクランへ連れてくる側じゃなかった。
こういうのは性に合わないって思ってたけど――
まあ、悪くない。
「ほ、星乃ひよりですっ!
よろしくお願いします!」
星乃が勢いよく頭を下げる。
「もちろん大歓迎だよ〜っ!
癒し騎士団へようこそっ!」
「い、癒し騎士団……!」
思った以上に響いたらしい。
その横で、たかちゃんだけが妙に冷静だった。
「初心者か?」
「えっ?
あ、はいっ……!」
「なら最初はサポート構成覚えた方がいい。
前衛職から入ると操作詰まるぞ」
「ちょっと、たかちゃん!
歓迎ムードの時に急に効率の話しないのっ!」
「重要だろ」
「まあ、そうなんだけど〜っ!
今はそういう話じゃないの〜!」
そのやり取りを見ているだけで――
あの日のオフ会を思い出した。
初対面なのに、こころんは平気で抱きついてくるし。
たかちゃんは初手から攻略の話しかしないし。
画面の向こうで見ていたままの二人だった。
まさか、
自分の学校でたかちゃんとこころんに会うことになるなんて。
あの日は思ってもいなかった。
*
「私は持ち場戻らなきゃだから、ここまでかな〜」
こころんが名残惜しそうに肩をすくめる。
「たかちゃん、ルナちゃんたちの案内お願いねっ♪」
「分かった」
こころんは小さく頷くと、外していた眼鏡を掛け直した。
「それでは、失礼します」
その微笑みは、もう“こころん”ではなかった。
軽く会釈すると、そのまま人の流れの中へ戻っていく。
その背中を見送ってから、星乃が小さく呟く。
「すごいね……。
空気まで変わった」
「……同感ね」
あたしも素直に頷いた。
「あっ、そうだ。
科学部見に行くんだった」
「……そうだったわね」
「俺も戻る」
たかちゃんが短く言う。
「……へ?」
「展示担当だ」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「……科学部の展示?」
「そうだが」
たかちゃんはそう言うと、展示教室のある特別棟へ視線を向けた。
……科学部か。
言われてみれば、たかちゃんらしい気もする。
「こっちだ。案内する」
展示教室へ向かう生徒たちの流れ。
パンフレットを広げる音。
遠くから聞こえる吹奏楽部の演奏。
文化祭ほど騒がしくはない。
でも、“他校の空気”が混ざっているぶんだけ、普段より少し落ち着かない。
そのまま人の流れに混ざりながら、特別棟三階へ上がる。
階段を抜けた先には、
すでに展示教室前へ集まり始めた人だかりが見えていた。
『日向高校科学部 特別展示』
白い案内パネル。
教室の前には、見学に来た生徒たちが何人も集まっている。
「思ったより人気なんだね」
星乃が少し驚いたように呟く。
「……みたいね」
教室前まで来たところで、たかちゃんが足を止めた。
「中、見るか?」
「せっかくだし」
星乃が即答する。
人の流れに混ざりながら、あたしたちも展示教室へ足を踏み入れた。
教室の中には、すでに多くの見学者が集まっている。
壁際には研究内容をまとめたパネル。
机の上には試験管やフラスコ、小型センサーや電子基板。
モニターには波形グラフや測定データが映し出されていた。
「結構本格的なんだね」
星乃が感心したように呟く。
「研究内容の展示も兼ねてる。
奥が今回のメインだ」
視線の先。
教室中央には、小さなステージのようなスペースが作られている。
スポットライト。黒いカーテン。
そして、その奥に置かれた見慣れない装置。
実験室というより、どこかショー会場に近い。
「あの機械、ショーで使うやつ?」
「香料演出用だ。笹倉先輩の担当だからな。
詳細はショーで説明するはずだ」
「へぇ……それは少し気になる」
「俺は準備に戻る」
たかちゃんは人だかりの向こう――ステージ脇へ視線を向けた。
「始まるまで少し時間がある。
好きに見て回るといい」
「……そうする」
短く返すと、たかちゃんは見学者たちの間を抜けてステージ脇へ向かっていった。
「ねぇ、宮下さん」
「なに?」
「始まる直前の空気。
こういうの、好きなんだよね」
星乃はステージを見つめたまま、小さく笑う。
「舞台でもマジックでもそうだけどさ。
何が起きるか分からない瞬間って、ちょっとワクワクしない?」
「……少しだけ、わかる気がするわね」
何が出てくるか分からない。
だから少しだけ、期待してしまう。
そのときだった。
教室内の照明が、ふっと落ちる。
ざわめきが静まった。
誰かが、小さく息を呑む。
そして――。




