第57話『生徒会室から見える景色』
【5月13日(水)昼休み/日向高校・生徒会室/朝比奈こころ】
確認のために書類へ視線を落としながら、一度呼吸を整える。
机の上には、今週末の交流会関連書類。
常盤高校とのタイムテーブル、各部活動の使用申請、生徒会側で管理する資料一覧。
必要なものは、すでに整理済みだ。
テスト明けの解放感より先に、次の予定を整理しているあたり、昔からそういう性分なのかもしれない。
「ようやく、テスト期間も終わりましたわね」
副会長席から、高橋玲奈の声。
「ええ。校内の空気も、かなり変わりました」
そう返しながら、窓の外へ目を向ける。
ついさっきまで試験中だったとは思えないほど、校庭には声が戻っている。
部活動の再開を待ちきれない生徒たちも多いのだろう。
「一年生は特に分かりやすい。
“解放された”という顔をしている」
神堂沙月が、資料を閉じながら淡々と言う。
玲奈は紅茶へ口をつけてから、静かに頷いた。
「高校に入って最初の中間テストですから、
緊張していた子も多かったと思いますわ」
実際、ここ数日の校内は独特だった。
“楽しむ”より、“乗り切る”ことを優先する流れが、
学校全体を包んでいた。
それが、今日で一区切りついた。
「……そういえば」
書類をまとめながら、私は二人へ視線を向ける。
「お二人から見て、新一年生たちはどうですか?」
玲奈が先に反応した。
「テニス部は、今年かなり活気がありますわね」
迷いのない返答。
「特に犬神さんがいると、周囲まで気持ちが前向きになりますの」
「技術面は、まだ発展途上ですが、
それでも気づけばみんなを巻き込んでしまう――
本人に自覚はなさそうですけれど、ね」
……犬神さんらしい。
いつも勢いのまま動いているように見えて、
その場の空気まで明るく変えてしまう。
「日曜の交流試合でも、期待していますわ」
玲奈はそう言って、静かに書類へ視線を戻した。
一方、沙月は足を組んだまま短く息を吐く。
「科学部は例年通り」
「ただ、今年は処理能力の高い側が集まってる」
「越智と神田がいる時点で、最低限の基盤は完成しているわ」
沙月の評価は、いつも明確だ。
「それに、笹倉の暴走を止められる人材が増えたのは助かる」
「そこは、もう少し柔らかく言ってあげてもいいと思いますよ?
笹倉さんが聞いたら、“事実だけど悔しい〜っ!”って言いそうです」
そう返すと、沙月は小さく肩をすくめた。
「事実でしょ」
……否定はできない。
「ですが、科学部もかなり賑やかになっていますよね」
「犬神が場を動かして、河田が繋いでいる。
本来なら分離しやすい構成なのに、結果として越智と神田も孤立していない」
淡々とした口調のまま、沙月は続ける。
「悪くない循環ね」
その評価は少し意外だった。
神堂沙月という人は、基本的に感情論で人を判断しない。
物事を、“構造”として見る人だ。
だからこそ、その“悪くない”には重みがある。
「河田さんも、最近だいぶ肩の力が抜けてきましたね」
私は自然とそう口にしていた。
「広報の文章も、以前より整理されていますし……
周囲を見る余裕も出てきています」
誰かの後ろではなく、
自分の立ち位置から、きちんと周囲を見ようとしている。
「一年生同士で、自然に動けるようになっていますわね」
玲奈が静かに言う。
「越智くんも、以前より人と行動していますし」
その言葉に、沙月が短く返した。
「犬神の影響だろう」
「……そうかもしれませんね」
私は小さく微笑む。
少なくとも今の隆之は、
誰かと関わることを以前ほど避けなくなっている気がした。
“ひとりで完結している状態”ではなくなっている。
それは、きっと悪い変化じゃない。
生徒会室の中に、短い静けさが落ちる。
窓の外から、昼休み終了五分前を告げる予鈴が聞こえた。
校舎内の空気が、少しずつ次の時間へ切り替わり始める。
「交流会の準備も、いよいよ本格化しますわね」
玲奈が書類を閉じる。
「日曜はテニスコート使用時間の最終確認があります。
放課後に顧問とも合わせておきますわ」
「科学部側は問題ない。
笹倉の機材だけ、事前確認を増やす」
「それが一番不安要素ですね……」
小さく息を吐きながら、私は机上の資料を整えた。
学校は、また動き始めている。
部活動再開。
交流会。
生徒会。
そして――新一年生たち。
少しずつ繋がり始めた関係が、
この先、どんな形になっていくのか。
その流れを見守るのも、
きっと今の私の役目なのだと思った。
*
生徒会室の扉を閉める。
中間テストを終えたばかりの校舎には、
どこか張り詰めたものがほどけたような空気が流れていた。
教室へ戻る足音。
次の授業の準備をする声。
校舎全体が、少しずついつもの空気を取り戻し始めている。
(……甘いもの、食べたいな)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
テスト期間と交流会準備が重なっていたぶん、
ここ数日は確認事項も多かった。
(帰ったら、コンビニ寄ろうかな……)
……いや、まて。
最近ちょっと甘いもの増えてる気がする。
頭の中で、“今日くらい大丈夫”派と、
“絶対あとで後悔する”派が静かに揉め始める。
……たぶんこれ、帰る頃まで悩んでるやつだ。
そこまで考えた、そのとき。
「だから大丈夫だってば〜っ!」
上の階から、聞き慣れた声が降ってきた。
「根拠が曖昧すぎる」
「でも今回はほんとに頑張ったもんっ!」
犬神さんの声。
続いて、神田くんの低い返答。
そのまま、四人の姿が階段を降りてくる。
先頭で話している犬神さん。
その横で河田さんが笑っていて、
少し後ろを越智くんと神田くんが歩いている。
「みなさん、お疲れさまです」
声をかけると、河田さんが最初に気づいた。
「あっ、朝比奈先輩」
犬神さんも、すぐにこちらを見る。
「朝比奈先輩っ!
昼休みなのに、生徒会のお仕事ですか?」
「ええ。交流会関連の確認を少し」
そう答えながら、四人へ視線を向ける。
屋上帰りなのだろう。
犬神さんはまだ少しテンションが高いし、河田さんの表情にも普段より柔らかさがある。
神田くんはいつも通り。
そして――越智くんも、ちゃんとその輪の中にいた。
「中間テスト、お疲れさまでした」
そう言うと、犬神さんがすぐに反応する。
「終わりましたぁ〜っ!」
「まだ結果は出ていない」
神田くんが即座に修正する。
「そこは今だけ夢見させてよ〜っ!」
「赤点回避の条件付きだっただろ」
「うっ……」
……反応を見る限り、
それなりに切実な条件だったらしい。
「でも、みんなかなり頑張ってましたよ」
河田さんが小さく笑いながら言う。
「勉強会も、思ってたよりちゃんと集中できたし」
「犬神の音読、意外と効果あったからな」
「ちょっと神田くん! “意外と”ってなに〜っ!?」
すぐに反応が返る。
会話の流れが止まらない。
「そういえば、河田さん」
私は軽く視線を向ける。
「交流会の広報資料、確認しました。
前回よりかなり整理されていますね」
「あ……ありがとうございます」
少し照れたように視線が揺れる。
「まだ修正したいところもあるんですけど……
でも、前よりは落ち着いて書けるようになった気がします」
「ええ。前よりずっと、“河田さんらしさ”が伝わる文章になっています」
河田さんは、以前より言葉を前へ出せるようになっている。
最初の頃は、“間違えないこと”を優先しすぎて文章そのものが止まっていた。
でも今は違う。
自分が伝えたい内容を、
きちんと相手へ届けようとしている。
「犬神さん」
「はいっ?」
「日曜の交流試合、期待していますよ」
その瞬間、犬神さんの表情がぱっと明るくなる。
「ほんとですかっ!?」
「高橋副会長も、楽しみにしていました」
「わぁ、玲奈先輩が……!」
犬神さんは分かりやすく嬉しそうだった。
「全力で頑張りますっ!」
「ええ。怪我には気をつけてくださいね」
その隣で、越智くんが小さく視線を上げる。
「笹倉先輩、また“芸術は爆発だ”って言ってたな」
「ああ。今回は本当に爆発するかもしれないぞ」
神田くんが淡々と返す。
「科学部って、そんな命がけの部活だったのっ!?」
犬神さんが本気で引いた声を上げる。
その反応に、少しだけ空気が緩む。
どうやら、笹倉さんは相変わらずらしい。
「今年は交流行事も多いですし、忙しくなりそうですね」
そう言いながら、私は四人を見る。
「交流会、ちょっと楽しみなんですよね」
河田さんが、小さく笑いながら言った。
「ええ。きっと賑やかになりますよ」
そう返してから、私は時計へ視線を向ける。
「では、そろそろ次の授業ですね」
「はいっ!」
犬神さんが元気よく返事をする。
河田さんも軽く頭を下げ、神田くんは短く会釈だけ返した。
最後に、越智くんへ視線が向く。
「交流会も続きますし、無理はしすぎないようにしてくださいね」
そう言って軽く片目を閉じると、
ほんの一瞬だけ、越智くんの視線が止まった。
「分かってる」
返答は短い。
それでも、どこか突き放した響きではなかった。
四人はそのまま廊下の向こうへ歩いていく。
並んだ背中を見送りながら、私は小さく息を整えた。
少しずつ、
越智くんを取り巻く“流れ”が変わり始めている。
そんな気がした。




