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三話 参勤交代



三話 参勤交代


石川五右衛門が釜に消えてから、四十年ほどが過ぎた。


世は豊臣から徳川へ。

都の中心も、京から江戸へ移った。


初代悪代官は、もういない。


だが、その役目は子へ。

子から、さらにその子へと渡されていた。


一粒が潰れても、残った豆が糸をつなぐ。


寛永十二年。


三代目となる悪代官のもとへ、一つの藁包みが届いた。


「納豆でございます」


「見れば分かる」


「では、これにて」


納豆売りは、それだけ言って帰っていった。

悪代官は藁包みを開く。

納豆の中に、細く丸められた紙が隠されていた。


『黒山藩、刀三百。槍五百。鉄砲五十』


その下には、さらに短く書かれている。


『米、不足。民、飢える』


悪代官は紙を火鉢へ投げた。


「殿様は、民より戦がお好きらしい」


黒山藩。


江戸から遠く離れた、小さな藩である。

表向きは幕府へ従っていた。


しかし、領内では武器を集め、兵糧を蓄えている。

その米を作った民には、食うものがない。


「すぐに黒山藩を調べますか」


そばにいた息子が尋ねた。


「調べれば、何も出てこぬ」


「豆からの知らせがあります」


「知らせが届いたということは、向こうも気づく。武器を隠し、帳面を燃やし、何も知らぬ顔をするだろう」


「では、どうするのです」


悪代官は腕を組んだ。


「黒山藩だけを見ていても仕方がない」


「ほかにもあると?」


「あるに決まっておる」


徳川の世が始まって、まだ三十年ほど。

戦の記憶は、人々の中に残っている。


城を持つ大名。

兵を持つ大名。

徳川に恨みを持つ大名。


江戸から遠く離れれば、誰が何をしているのか見えない。


一つの藩を調べている間に、別の藩が兵を挙げるかもしれない。


「すべての藩へ、豆を入れますか」


「無理だ。納豆が嫌いな殿様もおる」


「そこですか」


「大事なことだ」


悪代官は真顔で答えた。


それから数日後。


悪代官は江戸城へ呼ばれた。

広い部屋の奥に、幕府の重臣が座っている。


その前には、黒山藩から届いた品々が並べられていた。


酒。


反物。


土地の名産。


そして、金。


「黒山藩から、そちにも届いたそうだな」


重臣が言った。


「はい。ありがたく頂戴いたしました」


「返さなかったのか」


「返せば、怪しまれますので」


「そちは、本当に悪びれぬな」


「悪代官でございますから」


悪代官は深く頭を下げた。


重臣は、あきれたようにため息をつく。


「黒山藩の企みは分かった。だが、証がない。力ずくで調べれば、ほかの大名まで幕府を疑う」


「ならば、来ていただきましょう」


「誰にだ」


「すべての大名に」


重臣の眉が動いた。


悪代官は続ける。


「一年は領地。一年は江戸。これを繰り返させます」


「大名を、代わる代わる江戸へ住まわせるというのか」


「はい」


「何のために」


「顔を見るためでございます」


「顔?」


「人は、遠くにいる者を恐れます。何を考えているか、分かりませんから。しかし毎年、江戸へ来ると分かっていれば、その動きは見える」


悪代官は、並べられた金を一枚つまんだ。


「城を出る日」


二枚目をつまむ。


「通る道」


三枚目。


「連れてくる兵」


四枚目。


「使う金」


小判を一列に並べた。


「すべて、こちらから見えるようになります」


重臣は並んだ小判を見つめた。


「だが、大名は嫌がるぞ。江戸まで来るには、多くの人と金が要る」


「それでよいのです」


「何?」


「戦をするにも、人と金が要ります」


部屋が静かになった。


「江戸へ来るために使わせれば、戦に使う分が減る。道中の人数を見れば、その藩がどれほどの兵を動かせるかも分かる」


「なるほどな」


「それに、人が動けば道ができます。宿場が栄えます。物が運ばれ、話も運ばれる」


悪代官は心の中で付け加えた。

【…豆も運ばれる。】


その翌年。


大名たちへ、新たな決まりが言い渡された。

一年おきに国元と江戸を行き来する。


参勤交代。


「下にー、下にー」


長い行列が、街道を進んでいく。


先頭は、はるか向こう。

最後尾は、まだ見えない。


道の脇で、人々が頭を下げている。


その中に、一人の納豆売りがいた。


「おい」


隣で頭を下げていた男が、小さな声を出した。


「今だ」


納豆売りは藁包みを地面へ置く。


行列の足軽が、その横を通った。

足軽は立ち止まらない。


落としたように、小さな紙を一枚残した。


行列が通り過ぎたあと、納豆売りは藁包みと紙を拾う。


そこには、こう書かれていた。


『黒山藩、鉄砲を荷に隠す』


知らせは宿場から宿場へ渡った。


納豆売りから、飛脚へ。

飛脚から、商人へ。

商人から、江戸の豆へ。


大名行列が江戸へ着くより先に、知らせは悪代官のもとへ届いた。


黒山藩の屋敷が調べられた。

隠されていた武器が見つかり、企みは潰えた。


戦は起きなかった。


一人の血も流れなかった。


だが――。


悪代官は、行列が通り過ぎたあとの宿場を歩いていた。


疲れ切った馬。

踏み荒らされた畑。

大名一行のために、食べ物を差し出した家々。


道端では、一人の老人が壊れた荷車を直していた。


「これで、よかったのでしょうか」


同行していた息子が尋ねた。


「何がだ」


「戦は止まりました。ですが、そのために苦しむ者もいる」


悪代官は答えなかった。


正しいことをした。

そう言えば簡単だった。


だが、老人の背中を見ながら、そう言うことはできなかった。


「平和とは、何も起きぬことだ」


悪代官は、ようやく口を開いた。


「何も起きなければ、誰が守ったのかも分からぬ」


「はい」


「だが、そのために誰が苦しんだのかも、忘れられる」


悪代官は懐から小判を取り出した。

黒山藩から受け取った金だった。


老人の荷車へ、そっと置く。


「だから、わしらが覚えておく」


息子は何も言わなかった。


悪代官も、それ以上は語らなかった。


参勤交代によって、道は国中へ伸びていった。


人が行き交う。

物が行き交う。

話が行き交う。


そして、その足元で豆たちも行き交った。


幕府は、大名をつなぐために道を作ったのではない。


だが、その道を使って、納豆たちは国中に糸を張った。


東へ。


西へ。


北へ。


南へ。


糸は、この国の隅々まで伸びていく。


ただ一つ。


海の向こうを除いて。

最後までご覧いただきありがとうございます。


noteにも同作を挿絵付で投稿しております。

note: https://note.com/tomi3515

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