7 王の欲望が、聖女の部屋を破る夜
「リータ、よくぞ帰ってきた。それこそわがバルティカ王国の聖女様じゃ」
王座の間でバルティカ王ウーゴ・ヌボォラーリが、かしこまったリータ聖女様に声をかけた。
機嫌がことのほか良さそうだった。
「国王陛下、王妃殿下、ご心配をおかけして申し訳ありません」
こうべを垂れるリータ。
「シェフィールド海洋国家の王太子ジェラルドと結婚式を挙げたと聞いたが、それはまことか?」
バルティカ王が鋭い眼差しを向けた。
「はい。教会で挙げました。女神様の前で誓いの言葉を告げました」
「……いつからジェラルド王太子と愛を交わしていた? わしはそんな話は聞いておらんぞ」
「十年前、十歳だった殿下の治療をしたとき、将来結婚してほしいと懇願されました。当時私は十六、十歳の子供の戯言だと思っていましたが、それから十年間手紙をこまめにくれました」
「ほう、それはマメな男じゃのう。わしは女を落とすにはマメさしかないと思う。実際、王妃を口説いたのもマメさのおかげだ」
「そんなことありません。王様の逞しさに惹かれたのです」
王座の隣にいた王妃が口を挟んだ。
目を合わせた二人はにっこりと微笑んだ。
「で、今回の帰国は結婚の報告をするためか? 再びシェフィールド海洋国家に戻るつもりなのか」
バルティカ王の語気が強くなった。
それまでのにこやかな雰囲気をかなぐり捨てて追求した。
リータは下手な返答はできない。
これまで失言で手打ちされた者は数知れず。
近頃は大人しくなったが、将軍の身分からクーデターでバルティカ王国を簒奪した荒々しい男だ。
王族一族を皆殺しにした。
たとえ聖女様であろうと容赦はしない。気に食わなければ何をするか分からなかった。
「私はバルティカ王国の臣民です。この国の人々の治療のために戻ってまいりました」
「おおー、わがバルティカ王国を見捨てた訳じゃないのか!」
バルティカ王はホッとした顔をした。
「リータ聖女様、噂では初夜を迎えると“女神様の加護”が無くなると言われておるが、本当のところはどうなのじゃ……」
「ジェラルド王太子は私の部屋には来ませんでした。おそらくその噂を信じていたのでしょ」
「と言うことは……」
「ただの噂です。女神様から結婚を反対されませんでした」
「おお、それは良かった!」
バルティカ王の目が細められた。
そしてリータを頭の先から胸元、腰周り、つま先に至るまで舐め回すように見つめた。
ベネデッタ王妃は、バルティカ王を諌めるように睨んだ。その目に嫌悪感が滲んでいた。
そしてリータに済まなそうに眉を寄せた。
――またこの視線だ。私が十五、六歳になった頃から頻繁に続く視線。私は無関心を装っていたけど、本当は気味が悪くて逃げ出したくてたまらなかった。でも……我慢した。救護院の患者たちの苦しみを思うと、こんなものどうってことないわ。
「救護院に行ってもよろしいでしょうか?」
リータ聖女様が言った。
「ああ、構わんぞ。ご苦労であった」
バルティカ王は顎髭をさすった。
夕暮れ、救護院を出たリータは護衛の騎士と一緒に馬車に乗り込んだ。
クリスピーノ・フラカッシ。男爵家の三男で、リータ聖女様のことを心から尊敬していた。
彼がリータ聖女様の護衛騎士になったのは、ベネデッタ王妃の推薦だった。
王妃とリータはことのほか仲が良く、子供がいない王妃はリータのことを幼い頃から娘のように可愛がっていた。
それで、一番信頼できる護衛騎士をつけてくれたのだ。それまでクリスピーノは王妃の護衛騎士だった。
「聖女様、結婚式を挙げたとの噂は本当ですか?」
「はい。罠に嵌ってしまいました」
「罠? そんな結婚は無効じゃないですか!」
「今思えば……唐突で驚いたけど、結婚できたことに満足しているわ」
「本当ですか? 愛のない結婚は心を壊します。痛ましいものですよ」
「国王と王妃様のことですね?」
「……はい」
クリスピーノは苦々しい顔をした。
王妃とクリスピーノは噂が流れたことがあった。王黙認の愛人ではないかと。しかし、聖女様の護衛騎士になったことで、その噂はすぐに掻き消えた。
「ジェラルド王太子は癖が強いけど悪い人じゃない。むしろ一途すぎるほどの人。私のことを十年間思ってくれて手紙をくれたの。すぐに検閲が入って手紙は没収されて、手元には来なくなったけど、十年間出し続けたことはわかっているの。感謝しているわ。あれほどまで私を思ってくれる人は、もう現れないでしょうね」
「……そこまで仰るのなら仕方ないですね。シェフィールド海洋国家に戻られる気持ちはありますか?」
「それは女神様の御心のままにです」
その夜のことだった。
ベッドで寝ていたリータは、ガタガタという物音で目が覚めた。
「ネズミかしら?」
リータは起き上がって、枕元のテーブルの上の種火箱を開けて、燭台のローソクに火をつけた。
部屋がぱっと明るくなった。
ガダガダ!
揺れたのは壁に掛かっているバルティカ王と王妃の肖像画だ。
それが外れて床に落ちた。
壁の穴から、ぬっとバルティカ王が姿を現した。




