2.とある記録の始まり(2)
2.本物か仮想か
不意に人の気配を感じる。
砂浜を踏む音がかすかに聞こえる、気にせず傍まで来るのを待ってから上目遣いにレイバンの隙間からその気配のする方を窺う。
手編み麦わら帽子を被り、左手に白いミュールをぶら下げ素足で砂浜をさくさくとこちらに歩み寄ってくる。
顔は麦わら帽子の影にひそみよく見えなかったが、俺はその正体を知っている。
そして焼きそばに視線を戻そうとしたとき、ビュっと強めの風が吹く。
薄水色のワンピースがその強い風に舞いそうになるのを彼女は空いていた手で抑える。
だが麦わら帽子は風に吹かれて飛んでいってしまう。
海の向こうに。眩い太陽に目を細めながら少女はそれを見送っていた。
芸が細かい。
風が止むと、スカートから手を離しこちらを向いて手を振った。まるで映画のワンシーンのようだ。
不意に四角く黒い機械がガチャリと音を鳴らして、凹んだボタンが持ち上がる。
今どきは見ないロック型のボタンは機械仕掛けで動作しているようだが、電力は記憶媒体を一定の速度で読み込むため、磁気で記録されたアナログなデータをスピーカーから出力させるために動いていると思われた。
元麦わらの少女はこちらに歩み寄ってくると目を伏せながら「これはサービスカットです」と言い放った。
どうやら今の風に吹かれたシーンのことを指してるらしく、そして少し照れているようだった。
伏せた目を開くと、吸い込まれそうな瞳をこちらに向ける。
そのすべてが演出であるかのように思えた。
そして「いかがでしょう? 楽しいですか?」
ちっとも楽しくなさそうに俺に問うた。
彼女の表情からはすべての感情が消えている。
この少女の形をしたものはこういうものなのだ。
ヒトではない。
俺はヒトではないものから目を離し、またタブロイドを眺めると「悪くはない……な」
と、そう誰に言うでもなく呟いた。
風の向きが変わる。
周囲の情景が早送りのように目まぐるしく変化する。
動画を早送りしたときのあれだ。
気がつけば、中天の太陽が地平線の向こうに消え去ろうとしている。
周囲は夕暮れ時の赤い色に染まっていく。
現実ではあり得ない。
時間の変遷、同じ場所なのにまるで違う空間に変わったような感じを覚える。
ここは、いやこれは親父の遺品の中にあったケータイと呼ばれる電子機器を解析し、その記憶情報から生成したイメージ空間なのだった。
焼きそばやビールは本物だし海は触れれば水だし、触った手を舐めればきっと潮の味がしただろう。
そう認識できれば現実なのか虚構なのかはあまり意味がなさそうに思った。
ふと、元麦わら帽の少女から少しけたたましいが音色の少ない、ここには場違いな電子音が聞こえる。
かなりのテンポで、ピロピロという電子音がする。後で聞いたのだが『ビッグブリッヂの死闘』という曲だそうな。
大きな石の橋を向こう岸へ疾走して、その先に真っ白に白粉を顔に塗ったくったおっさんが行手を阻む光景が心によぎる。
一体いつの誰の思い出なのだろうか。それは単純な音色からそんな光景を思い浮かばせるだけの力があった。
そして少女は少し残念そうな顔をしながら、まだシャカシャカ言ってる例のケータイをどこからともなく取り出しながら俺に差し出す。
「お電話です」
でんわね……聞き慣れない単語。シャカシャカ…
「それは俺のじゃない、得体の知らない連絡を取り継ぐのはやめてもらいたい」
という言葉も虚しく少女はそれを無視しながら歩み寄ってくる。シャカピロ…
「ご主人様の古いご友人からです」
なぜわかるのか、さっぱりわからない。ピロリロ…
俺はこの少女のご主人様ではない。
説明が面倒だが仕方ない。
ご主人様とは俺の親父のことだ、以上。
この少女の頑固さというより、俺の命令に従う必要がないのだ。
ケータイを顔に押し付けられそうになる前に渋々それを受け取った。
ケータイにぶら下がる黒くて丸い石が目に入る。
黒くて青くて紫に見えるその中に銀河系が封じ込められたような石。
どうしていいかわからずに彼女を見やると、身振りで右手を耳元に持っていくのを見てそれを真似た。




