7.とある記録と落下 (1)
1.ここはどこ?
雑居ビルからここにくるまで、だいたい一時間、俺はポケットからハンカチーフを取り出し顔を拭く。
湿気でじっとりとしたのと蹴り破った瓦礫の埃を祓うために。
ついでに服にへばりついたヒルをはたき落とす。
周囲を見渡して腰掛けるのにちょうどいい岩を見つけて一息つくことにした。
まぁこんな場所じぁ、襲ってくる奴もいるまいとあっさりそこに腰掛ける。
シガレットケースからエナジーバーのチョコ味を取り出すと齧り付いた。
このエナジーバーは味のついた部分とそうじゃない部分があり、そうじゃない部分はゼリー状のミネラル水だ、口に含むとじわりと水が滲み出てくる。無味というよりは後味を流す用兼水分用である。
これ一本で二日は行けるという栄養価はあるが、水だけは別に用意する必要がある。
どうしても喉が渇くからだが、直接水の話をするとどうしても小水の話をする必要があるから割愛する。
一息ついてようやく周囲の様子を伺う。
洞窟の先には、十メートルほどの地面が続良いてその先は崖なのか、急な斜面なのかはここからは見えない。
左右には、ごつごつした岩場と濃い緑の木々が重なり、その向こうは見通せそうになかった。
空気に熱が混じる、頭上から降りそそぐ光が岩と葉をじりじりと焼いているのがわかる。
遠くで甲高い鳴き声がいくつも重なり合い、何かが絶えず動いている気配が力強い生への執着、所爲野生動物のその生命の息吹を感じる。
空の向こうには分厚い灰色の雲の塊が垂れ込み、その下で雨が糸のように流れているのが見えた。
あれはスコールの境界か。こちらへ流れてくるようなら厄介だ。
俺は近代世界の風光明媚な観光地の古びた雑居ビルにいたはずだが。
数時間前までは。
どう見てもここは赤道付近にある熱帯雨林の様相。
どうやら俺はちょっと普通では想像しにくい場所に入り込んでしまったようだった。
考えても悩んでも仕方ない。
「ありえないなー」と一人、誰に聞かせるでもなく棒読みでゴチてみる。
面白くもなんともなくて悲しくなった。
しょうもない気分転換をしてからとりあえず、見える限界を覗き込もうとこの幅10メートルの先に向かう。俺の世界の果ては断崖絶壁。振り返ると同じように洞窟の隙間のある壁も断崖絶壁。
ただし、頂上が見えた。ふむ。
どっから落ちてきたんだろう。
眼下にはラワンやパンヤ等、60メートル級のが生い茂り根元は見えない。
ただ、かなりの高さがあるのは分かる。
生身で飛び降りたとて、その木々のてっぺんまでも100メートル以上はある。
とびこんでもいいが、まだやるべきことがある。
頭上を見上げると旋回する1羽の鳥。
それにしても随分デカい気がする。陽光に阻まれあまりはっきりとは見えないが、首元の青い色、あれはヒクイドリではないだろうか。
それにしたって羽がやたらデカい、ヒクイドリは飛ばないはずだが。進化したのか退化する前の姿なのかはわからん。
わからんことだらけだが今は悩んでる暇はない。
奴らの縄張りに入り込んだのではないかと不安になった。この狭い足場で襲われたらめんどくさい、ショルダーホルスターのグロックのマガジンを抜き取りホローポイントの弾丸が込められているのを確認して元に戻す。
何、万が一の用心のためだ。
俺はなるべく洞窟のある壁沿いを歩いて周囲を確認していく。
ふとキラキラと光る何かを見つけると、今どき珍しい手書きのシステム手帳がそこにあった。
俺はそれを拾い上げポケットに捩じ込みさらに先に進む、中身は気になるが後だ。
さらに数十メートル、一本の松明だったものが見える。乾いた木に綿のシャツが巻き付けてあり、アルコール臭がする。焼けこげたそれは薄ピンク色をしており女物のキャミソールと、ブラウスであることがわかった。
頭上の鳥を追い払うのに使用したと思われるそれを見た時、ショルダーホルスターからグロックを抜き放ちヒクイドリもどきに狙いをつける、音もなくこちらに急降下してくる巨大な鳥。それに、念仏を唱えながらトリガーを引き絞ろうとした時、ヒクイドリもどきにが急旋回して遠ざかろうとする。まるで俺の殺意に気づいたように。
おりこうさん、俺はそう心で呟いた。
そのまま銃を片手に、松明を拾うと洞窟に戻るためにごつごつした岩場を足早に駆け抜ける。
洞窟まであと少しというところで、また剣呑な雰囲気を感じて、振り向きもせず洞窟へ滑り込む。
間一髪ヒクイドリもどきの嘴ちらりと見えた、そのヒクイドリもどきの大きさよ、人一人ぐらいは運べそうだ。
さっきヒクイドリもどきの巣に雛鳥がいたのが見えた。
ツガイならもう一羽はどこに行ったのだろうか。
相変わらずわからないことだらけだ。
さっき拾った手帳を広げ、パラパラ捲ると最後のページに、丁寧な手書きの文体で、つい最近であろう日付を見つける。
ある貴族の指輪を探し求めていること、その行動履歴が書かれているがところどころで跡をつけられているというような記載が見受けられた。
その都度記載が不自然に途切れている。まるで何者かによって抹消されたかのように記載が翌日になっている。
四日目に例の空きビルに侵入すると書いたところでまた途切れた。
そして急にこの洞窟から始まっていた。
鳥に襲われ洞窟に隠れていたこと、食料と水が底をつきそうであること、鳥に目をつけられ洞窟の出口を見張られていると、肝心なところがさっぱりわからない。
さらにペラペラ捲ると、相馬カレンの名前を見つける。
どうやらこの手帳の持ち主のようだった。
ただ鳥の様子の記載ではもう少し大きければ人くらい運べそうだという記載を見つけると俺はニヤリと笑った。
そんなこと思いつくな奴なんかいないと思っていたがそうでもないかと……。
そうこうしてる間に夜の帳が下りてきた。
何か変だが、自分の力なんとかできなきことは悩んでも仕方がない。
ここで野宿とも考えたがカレンの名前を見つけてしまった、目標は近い。
手帳には松明や、ボーラというスリングの一種の作り方——紐の両端に石をくくりつけて投げつけて絡めるのに使う、さらに鳥の巣を見つけたことまで書かれてある。
カレンは鳥の足になんとか掴まり崖を滑空しながらこの崖を降りたのではないかと考える。
無茶だができなくはない。俺ならできると確信する。
そんな豪胆な女を助けに行く必要があるのかは正直疑問だが、お仕事の一環だと思えば、平気の平左衛門。
<続>




