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2.とある記憶と終わり(2)

2.勝手に始まる出会い

 タバコが1/3ほど灰になったころで喫煙所の扉が開いた。

 いつもの顔ぶれかと思ったが、予想は大きく裏切られる。

 真っ黒なロングストレートのシルエット、少し背の高い、その姿形からあきらかに女とわかる。

 ご尊顔は俯き加減で黒髪のカーテンで隠れて見えない。

 

 ただただ「こんなやついたっけ。」だ。

 

 視線だけでその姿を確認する。

 見たところまだ若い。

 徐々に記憶が呼び覚まされていく。

 これは半年前に定年した課長の後釜でやってきた。

 所謂年下の女上司ということに思い至る。

 ヒトは女になった。

 でもそれだけではない何かが引っ掛かる。

 俺はそれを無視した。

 

 その女が俺の顔を見ようとしてるのに気がついて慌てて視線を逸らした。

 そして、何か言いたそうな雰囲気で壁に持たれると俯いてしまった。

 

 この女を詩的に表現する事ができないほどには知見も、そして関係もないと思う。

 どんな女かは想像に任せる、唯一思うには公的に邪険にしにくく、私的には....。


 ふと、タバコ吸うのかこの女はと、どうでもいい思考に囚われる。

 俺は視線を戻しタバコのくねる紫煙で視界を曇らせた。

 

 か細い声、鈴の泣くような声とはこういう音かもしれない。

 それは勝手な想像と感想だった。

 「・・・・・ほんとうに・・・・・。あ・・・・・ございます」と聞こえた気がした。

 声とは意味が伴わないと脳に届かない。

 意味を理解するのため、きょろきょろと眼球だけを動かす。

 若干、挙動不審に見えたかもしれない。

 まさか独り言……なんてことはないだろう。

 ここには俺と女しかいないからきっと俺に向けた言葉なんだろうと判断してようやく音は意味を成し声となった。

 「先ほどは本当に助かりました。有難うございます」

 概ね間違いではないはず、そういう音に聞こえる。

 

 女の居ないほうに顔を背け煙をふぅーっと吐き出して、なるべく感情的にならないよう「あぁ、どーも」と。

 とてもまともな受け答えではない答えをタバコくさいであろう息とともに吐き出した。

 

 そして、その女から離れるように一歩奥へ移動する。

 俺のパーソナルスペースのさらにやや外。

 少し心が安らいだ。


 この喫煙所はあまってるスペースのない居室に無理やりとってつけたように作られたせいか妙に狭い。

 京畳のくらいの横幅くらいしかないが奥行は縦に2畳少し広かったといってもせいぜい大人が4人も並べば肩がぶつかるくらいには狭い。


 そして助かったとは、終業時間間際のトラブルを潜り抜けたことだと思う、多分。


 彼女はうつむき加減のまま、横歩きで離れた分距離を詰めてきた。

 俺は困惑する。

 腕と腕があたろうかという距離は俺には近かった。

 パーソナルスペースを侵害されないようにしているのに入り込んでくるこの女をいぶかしげに思っていたら、さらに追い打ちをかけるように「このあと少しお時間があります?」と。


 その詰められたスペースをさらに開けようと奥に詰めたが詰める前に壁に当たってしまう逃げ場がない。

 俺は驚きと困惑を隠しながら、いやもちろん完璧に隠してその女の顔をまじまじと見た。

 凛としてスキがなく、切れ長でまつ毛も長く、一見美人だが、それでいて大きな目と薄く引いた口紅も……いや顔の話はどうでもいいか。

 

 この女上司の名前は——?名前、思い出せん・・・。

 ちらりと胸元に下がる社員証の名前を読み取ろうとしたがにじんで見えない、老眼はデスクだ。

 「はぁ?」どう答えていいか分からず、日本人特有のyesとも、noとも取れるあいまいな受け答えをした。

 「この前の歓送会の時、タスクが終わらないってお越しにならなかったから、今日、そのどうかなって。」

 食事への誘い、妙齢の女性が枯れかけのおっさんにすることではない。

 疑心暗鬼、よりも信用できないのは俺の方か、誘われていること自体が妄想の可能性に思い至る。

 何せここには俺と女しかいない。

 

 緊張しているのか、そういう質なのか。

 「……ってそうじゃなくて」

 とうつむきながら恥ずかしそうにその女は言うとさらに消え入りそうな声がした。

 「わ、私のこと覚えてますか?」 といいながら上目遣いに俺を直視した。

 こんなとこまで来て、そんな言葉を言いに……。

 その女の覚悟が俺の理解の範疇を超え恐怖すら覚えた。

 

 そして、俺の顔を見るその視線に耐えられなくなる。

 必死……、本気……、逃げる隙がない。

 ……そう思った。

 

 俺はそのストレスのためか、たばこの煙を吸い込み慌てて吐き出す。

 煙で視界曇る。気持ちが濁る。

 そしてようやく、冷静さを取りもどす。

 

 「申し訳ない、覚えてないな。人違い?ってこともあるんじゃないかな」と逃げるように答えた。

 気まずさとなぜかいたたまれない気持ちになって上司から目をそらそうと喫煙所の窓に視線を移す。

 

 中の様子を伺い入ってこようとするやつらが数人回れ右して離れていく姿が見えた。

 申し訳ない気持ちになりながら、少し嫌な気分にもなった。

 俺が喫煙所でうら若き上司をいたぶってるように見えたかもしれない……と。

 

 その時、ズボンのポケットのずいぶん古くなった携帯からピロピロと音がする。

 女の方がぴくりとするのが見えた。

 かなりアップテンポで昔のゲーム音楽だった、俺は今もこの曲が好きなのだ。

 

 ビッグブリッジの死闘。

 あの時の熱い戦闘シーンは今も俺の心を揺さぶる、何回でも聞いていられるそれはそんな曲だった。

 

 左手でポケットから携帯を取り出したところで手を滑らせて取り落としてしまう。

 黒い石のついたストラップが、何かに引っかかったのだ。

 

 俺はそれをつかみ取るために屈むと上司のアンクレットが目に入る。

 そのアンクレットに黒とも紫とも見える石がゆらゆら揺れていたのが見えた。

 不思議と目を奪われるが、別にきれいなおみ足に見とれているわけではない。


 空気をタバコで穢しておきながら、さらに場の空気を言葉で濁すように思わず口に出た。

 「あー、よっこいしょ……」

 携帯を拾い上げ、空気を変えるように応答ボタンを押す。

 そして「あー」は余計。

 押し間違えるんじゃないかと少々不安になる。

 ぴっという電子音が場の空気を変えようとする。

 「あー、もしもし」

 さらに「あー」は余計。

 

 ~~~~~~~

 「なるほど……わかりました」

 電話口の相手の声を聞いて自分を取り戻す。

 タバコをもみ消しながら「今から資料持ってからお伺いしますので、少しお待ち下さい」と応答した。

 今しかない、上司に目で退出を促して喫煙所を後にした。


 居室に戻ると妙に浮ついた雰囲気。

 どうやら女上司が喫煙所にいるところを見たであろう人間の視線がこちらを突き刺す。

 おまえらそれ見られてるほうはわかるんだからな。

 俺はひどく自分勝手な思考に囚われた。

 そんな気分で簡単なタスクをこなすため資料を持ってヘルプデスクチームのいる部屋に向かう。

 少々めんどくさい。だがそれだけだ。

 

 携帯の時刻を見ると定時を少しまわっている。

 居室に戻るとなぜか今日は帰ろうという気持ちになった。

 なぜかなんてことはない、俺は女から逃げねばと思ったからだ。

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