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5.とある記憶と再生 (1)

1.それからあれから・・・

 その前に、あの夏の後の話をしよう。

 結論だけ先に言うと、彼は私たちの前から姿を消した。

 母に聞くと海外出張とのことだった。

 彼にも彼の生活があり、彼の人生があるのだ。

 会えないと分かってすぐは、そんなに気にならなかった。


 受験真っ盛りの十八歳の夏。

 十二階の彼の部屋が空室となって、清掃業者が入っているのを目撃してしまう。

 そして今は、別の老夫婦が住んでいる。

 母に聞くと、「ヒラヤ君? 忙しいみたいよ」とのことだった。

 ここは分譲で賃貸ではない。なら、売ってしまったのだろうか。


 私は難なく志望する大学に合格した。

 母に居場所を聞いても、「え、ケイさん? あぁヒラヤ君ね。知らないわよ?」と言われるだけだ。

 その喜びを伝えたかったが断念する。


 彼との短い夏の経験は、彼を彼たらしめる本質を刷り込まれたような、そんな夏だった。

 不思議とさみしいと思うことはなかったはずだった。

 そう、それすら彼らしいと思えるほどに。

 

 ただ、さみしいだけじゃないとその時気がついた。

 彼に会いたい。

 彼の話を聞きたい。

 彼の作ったご飯が食べたい。

 その思いが、気がつかないうちに蓄積していく。

 そんなことでもやもやする自分が、愛おしいやら、悔しいやら。

 そして私は彼を探し出して会うことを決意する。

 生半可ではないだろう。

 想定しうるすべてを行動に変えるための戦を始めよう。

 そう決心したのだった。


2.十年

 

 ようやくここまできた。

 何も告げ去っていった、ヒラヤケイに、逆襲するのだ。

 計画は万全、根回しも何もかも。

 

 あれから十年、彼の背に追いつくことだけ考えてきた。

 私がヒロインの映画はまだエンディングを迎えていない。

 魔法がまだ解けない、もうそれは呪いと言っていいのではないだろうか。

 

 私は喫煙所に入る彼の背を見つめながら、彼ならば、彼だから、いろんな想定が想像できてしまう。

 だからこそあとは覚悟だけだ。


 喫煙所の扉を開ける。

 その防火扉の重さが私をくじけさせようとしているように思えた。

 中に入る。

 たったそれだけの行為が永遠のように感じる。

 重い防火扉が閉まる音は、私に後戻りをさせないための楔。


 そして彼の横に立ち、彼の横顔を覗き見る。

 彼がこちらを窺い見る瞬間に俯いてしまった。

 黒いロングの髪が顔を隠すと、私はなぜかほっとした。


 壁に背中を預けながら、彼の横に並び立つと、その顔を直視できなくなった。

 

 カラカラに乾いた喉から、一言、「先ほどはありがとうございます」

 ようやく捻り出したかすれた第一声は想定とはかけ離れた言葉だった。

 何をしてるんだろう私は…………。

 ケイさんは

「あぁ、どーも。」とどうでも良さそうな返事をするがその声は小さくてもはっきり聞こえてしまう。

 変わってない。

 私はそれだけで嬉しくなってしまった。


 彼は私からゆっくりと離れていく。

 パーソナルスペースから外された。

 そんなことは予想の範疇、私はそれを追随して腕があたるくらいの距離に詰め追い打ちを仕掛ける。

 彼の予想や期待する結果を裏切り続けるのだ。

 「このあと少しお時間があります?」

 と彼の横顔を見つめながらはっきりと問う。

「はぁ……」ケイさんは迷惑そうではなさそうだが、yesともnoとも取れる回答。

 

 それはこちらでどちらに受け取ってもいい!という回答だよ、ケイさん。

 私は心の中でガッツポーズをした。


 だが、まだ安心には程遠い。

 「この前の歓送会の時、タスクが終わらないってお越しにならなかったから、今日、そのどうかなって。」

 私はまた明後日の方向、逃げ道を用意したような言い訳じみたことを口走った。

 「……ってそうじゃなくて」慌ててその逃げ口を塞ぐ。

 

 「わ、私のこと覚えてますか?」

 ひねり出した直球、その直後、視界がタバコの煙で歪んでしまった。

 「申し訳ない、覚えてないな。人違い?ってこともあるんじゃないかな」

 そう簡単には頷くまい。

 

 急に彼の携帯が鳴る。

 私はビくっとしてしまった。

 聞き覚えがあった。

 ビッグブリッジの死闘。

 なにもかわってない。

 あの時のままだ。

 

 心臓の鼓動がケイさんに聞かれるんじゃないかというくらいドキドキしてしまう。

 俯いてぎゅっと唇を閉じた。

 

 ごとんと彼が携帯を取り落とす。

 その携帯のストラップに見覚えがあった。

 サービスエリアで私が買ってコッソリつけた黒い石のストラップ。


 私は口から悲鳴が出そうになる。

 まだもってた。

 ずっと、もってた。

 勘違いかもしれない、でもそれは切なくて甘美な勘違いで構わない。

 私のリミットブレイクのポイントが上がる。

 

「今から資料持ってからお伺いしますので、少しお待ち下さい」

 逃げられる、でも今回は逃がしてあげる。

 その余裕が、その逃げがあなたを追い詰める。

 布石は打った。

 居室へ戻ると私のそわそわしてるのが周囲にはバレる。

 ただ彼にはバレない。

 そのための周囲のケイさんへの視線。


 定時が少し過ぎたころ、スマホからピコン!と音がする。

 ひらやけい:今日は疲れたので帰ります。

 これは彼の動揺を知らせるためのメッセージ。


 彼の家は、ここから電車で2時間弱、それを超えるための秘策は用意してある。


 ここの社長は、父に恩がある。社内システム管理系に配属になるのは既定路線なのだ。

 慌ててビルの地下駐車場へ降りた。

 

 バッグを背負い、フルフェイスの黒いヘルメットを被る。

 そして私の目の前にはVFR400R。

 

 父が乗っていたバイクを復活させた、それにまたがる。

 母のCB400もあったがあえてレーサーレプリカを選んだ。

 

 十七年前行方不明になった父。

 結局消息のつかめぬままだ。

 書類上は死が確定している。

 力を貸して、お父さん。

 私は物心ついてから初めて父にお願いをした。

 

 電車だと二時間、バイクなら最速で四十分!

 私はスタータースイッチを押し込み、アクセルを軽く捻る。

 乾式クラッチ特有のシャリシャリという金属音と、エンジンの力強い咆哮が私の心を強く鼓舞する。

 これは、かつてケイさんの車で味わったあの感動にとても近い。

 すべての感覚が、少しずつケイさんとシンクロしていくような錯覚。

 何でもやってのけるケイさんの無敵感が、あの時の絶望的な喪失感を埋め尽くしていく瞬間だった。

 負ける気がしない。

 いや、絶対に負けてなるものか。

 地下駐車場に轟くバイクの雄叫びは、この十年の呪いを祝いへと変えるために、祝福の歓声を上げているかのようだった。

 私は銃の引き金を絞るように、ゆっくりとクラッチを繋ぐ。

 秘めた想いを、一発の心の弾丸に込めて。

 恋は戦争と言うのなら、正しくそれに倣おうではないか。

 <続>

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