4.とある記録の惑星 (2)
2.世界
どれだけ世界が広がろうと、どれだけ人が増えようと、そしてAIに仕事を奪われようと、ここ4、 500年、人の基本的な生死観におけるメンタリティはあまり変化はないと思われてる。
つまり何かのストレスがなくなれば何かのストレスが生まれるのだ。例えば力仕事や危険な仕事から解放された人類は知的劣等感や、労働のやりがいが薄れて無気力になる人が発生したりした。
そういった部分が社会的な歪みを生んでしまい、やがて人口減につながる。
そしてAIやロボット工学の高度化に伴うコストが人のそれを上回ると安価な労働力としての人が必要になったりもした。
家を建てるのに高価で高度なAIロボットを使うより人がやったほうがいい。もちろん適材にして適所で使い分けはするが。
ペネトレーション・プライシング。
あらゆるヒトの対価としての優先度を覆してしまい高度な技術はコスト面で割りに合わなくなる。
そしてついに原点回帰が発生する。
技術の発展速度とコストの逆転現象が起こり技術革新自体に価値はあるが金儲けの話になると破綻し始める。
そして不平不便不満危険がないと技術的な革新が生まれない。
結果、人はある程度のストレスがないと知性体として維持できない。
生きていくだけだとそんなに困らない世界はストレスに欠乏し幸福感が薄れ、生きている実感を感じることができないというのが結論だ。
それこそ知恵や知識やプライドがあるってヒトならではのジレンマだ。
ただ生きるということはこんなにも難しいとは。
原初、人類は火を使い道具を作り、狩猟を行い言語を生み出した。生きるために死に、死ぬために生きる。
そして増えた。
増えたら増えたで、狩猟では追いつかなくなり、農耕を始め、定住するようになる。
また増えた。
今まで外敵といえば肉食の動物だった。それはもう食うか食われるか。
しかし定住の地を作った関係で今度は同じ人が敵対者となる。
肥沃で発達した土地と、母なる女達がその獲物だ。
奪うために殺すのはヒトならではの理論である。
それでもまだ殺されるより増える方が優ったのだろうか。さらに増えるんだが。
ただ、天災などには敵わなかったのか、微増微減をくりかえしながらでも確実に増えてはいた。
青銅、鉄、言葉、文字、車輪など、あらゆるものが生み出されていく、だがそれは都合良く奪い、都合よく破壊し、それは都合よく生きていくため。
そしてそう言ったものは残り続けていく。
そしてやがて生きることに事足りると、今度は産業時代がやってくる。
その好奇心と満足の時代は、他者よりも内面的で精神的な物を満たすことが優先になった。
歴史上近代と呼ばれる時代は、奪い合いの時代に一旦の終止符を打ち、効率化や便利さ快適を追い求めた時代といっても過言ではないだろう。
おっと長くなりそうだ、説明はまた機会があれば。
<続>




