3.とある記憶と始まり(3)
3.17歳(上)
17歳の夏。
母の入院以来、私は彼と月に1回くらいで接触していた。
「おじさん」というと何だか他人みたい。無難だけど微妙、「お兄ちゃん」は彼が嫌がった。
理由は聞いてない。
「ヒラヤさん」は私が嫌だった、何故だか遠くに行ってしまいそうだったから。あと母がヒラヤくんと呼ぶから。
だから、「ケイさん」と呼ぶことにした。
彼が私をトモミさんと呼ぶのだ。彼の却下を却下する理由には十分なのだ。
その夏は出奔した父の、行方不明になった父の、死亡が受理された夏でもあった。
私が此花という苗字か、高沢という苗字を選択できるようになった瞬間……。
複雑だけど、なぜかそんなに寂しさは覚えなかったと思う。
そして、母の手によって壮大な計画が立てられていた。
女の子の17歳は魔法にかかる年齢、ソースは私。
母はそう言っていた。
多くの恋愛もののヒロインは大体17歳だ。とはケイさんのセリフ。
なんだかもやもやする。
何が壮大って、海水浴にケイさんには内緒でケイさんを連れていくからだ。
あの無愛想で無頓着で家事全般を完璧にこなす、さらに料理は母よりうまい。
これはここ数年で得た知見だ。
そんな彼を連れていく。
私たちだけで行くと、結構な割合で母が目をつけられてナンパされすごいめんどくさい。
数打てば当たる作戦は非効率だからやめてほしい。
海は好きだ。海のない街に住んでるからかもしれないが。
好きだった。
母の入院以来、私は、私たちは何かあるたびにケイさんを頼り、利用してきたのだ。
そのお礼のつもりだった。
多分彼は、普通に誘ったのでは来ないだろう。
計画はこうだ、母は仕事で先に行ってることにして、まぁ実際ちゃんと先には行ってるけれど。
連れてきてほしいというお願いを母からしてくれる。
そしてケイさんに連れられ私がいくのだ。
海へのドライブを兼ねた計画。
心踊る素敵な計画。
この時、それが恋なのだと思っていた。
思春期だからそれでいいのだ。とも。
二十も離れた男性なのに。
ファザコンだと友達に後ろ指刺されるかもしれないが、まぁそれも良いだろう。
他人の言うことにいちいち構ってなどいられない。
ふと思い出す。
————————
ある日、ケイさんがご飯を作ってくれている、そのキッチンのテーブルで数学の参考書を開いていたときだ。
「うーむーんー………………」
私は唸っていた。参考書のこれ。
円柱の体積 V = πr²h を h について解け。
「なんだ?」
ケイさんは私のノートを覗き込んで言ったのだ。
「解ける問題が解けないなら言葉を疑え」
「中学生の数学————なんてそんなもんだ」
「あとな、数学で本当にわからないときはどう捻ってもわからん。ただあるときパッと解かる時もある」
「だから嫌いな奴が増えるんだがな……」
「そんな時は漫画でも読んで気分転換してみるのもよい」
大切なのはひらめきと発想力だ……と、そう言った。
それを産むのは国語力だとも。
それ以来私はなぜか数学が苦手ではなくなった。
————————
またある日 ケイさんはノートパソコンで何事かと思うくらいすごい勢いでカタカタしてた。
あれは多分仕事してたんだと思う。
私はなかなか友達ができないことを悩んでいた。
「なんだ、ほしいのか?」
「そんなんじゃないけどさ。」
「友達なんていてありがたいと思うよりめんどくさいと思うことの方が多かったぞ。俺はな」
「別にいなくても困らん。」
「そして欲しくて作るもんじゃない」
なんて言われた。
確かにその通りだと思うと気が楽になった。
母は友達なんだろうか、母に言わせれば親友……。
親友ってなんだろ。
————————
そしてさらにある日。
「…………」
この人、奥さんとかいるのかしら。
……聞きにくい。
「なんだ? いてもいなくてもどっちでもいいだろう。どっちであろうと確認する術がないんだから」
「た、確かに……」
変に納得させられてしまった。
今はいない、きっといない、でもこの先はわからない。
そして複雑な気持ちにもなった。
——————————
海水浴旅行決行前夜。
「な、なんでよ!」
私は母との電話口で激昂する。
「ヒラヤ君を騙すみたいで。」
何を言ってるんだこの人は、最初からそういう計画だっただろう。
サプライズなんていう都合のいい言葉まで使って二人で納得したではないか、直前で日和ってくるなんて信じられない。
「あとは自分で何とかなさい」
その一言で私はぐうの音も出なかった。
ケイさんのせいでいろんな想像が思い浮かぶ。
母はこっそり二人きりになるつもりじゃないか、いやもうすでに。
二人は20年来の親友なんだものその可能性は……。
ある。
声をかけたらバレて避けられた可能性。
ある。
ほんとに連絡してない可能性。
ありえる。
ああ、どれも想像できてしまう。
「あるなぁ……」
私は意を決して、いや決するのに5分もかからなかったけど。
それも、これも、なにもかも、ケイさんのせいだ。
うん、そうだ。
なぜかそれがしっくりきた。
行動しなければ何も変わらない。
少し緊張して彼の携帯に電話した。
「はい」
彼は名乗らない。
番号が登録されてないのかもしれない。今どきありえない。
でも、ケイさんだからなぁ。
「あ、あの ————————ッ」
気まずい沈黙。ケイさんあの明日……。
そう捻り出すように言おうとそう思った瞬間、「明日は早い方がいいのか?」と来た。
はぁ?はぁぁぁ? 私の脳と心は混乱した。
その後とんとん拍子にあっさりと話が進んだ。
朝6時に駐車場で待ち合わせ。
何だかどっと疲れた。
期待と不安にさいなまれ、もんもんとしながらお風呂に入った。
寝る時は明日のことが気になって眠れない—— なんてことはなく。
すぐに、すっかり夢の虜になった。
私から誘う、その勇気は無駄にはなったが、彼を騙すような罪悪感はなかったことになってしまう。
不安も何もかも、消し飛んでしまった。
私の決心とともに。
<続>




