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3.とある記憶と始まり(2)

2.思い出 その出会(後編)


 中学生のある日、母が倒れた。

 もともと体が丈夫ではない母だったが、単なる過労とのことでしばらく入院することになった。


 その病院でその彼と再会した。

 ちっとも変わってない。

 不機嫌そうなしかめ面、ざらざらしてそうな口元。

 何を考えてるかわからない表情はやはりボサボサの髪でよく見えなかった。

 

 でも何でいるんだろうという疑問は残った。

 

 後で知ることになるが彼は母の親友で、父の親友で、ご近所さんなのだと。

 新しいお父さんでない。

 

 母以外に、帰ってこなくなった父以外に身寄りはない、私はしばらく一人暮らし。

 想像もしたことはないけど友達と少しだけ話したくらいだ、怖いとかそんな他愛もない会話。

 

 家庭の事情で家事全般は一人でできる。

 何の問題もないが母が心配でやはり不安。

 そして寂しいのだと今思えばそれが当然のように思えたのだった。

 だから頑張らなければならない、そう自分に言い聞かせていたと思う。

 

 朝起きてお弁当を作る。

 朝ご飯まで気が回らず朝食を抜いた。

 学校から帰ってきて掃除洗濯、晩御飯はお座なりで適当になった。

 水だけでも飲んでれば大丈夫だとも思った。


 お昼になる頃にはぐーぐーお腹がなってとても恥ずかしかったことを思い出した。

 部活はバスケ部、そんなに強いところではなかったから、練習も緩めだったのは良かったと思う。


 そして三日目、部活中についに倒れてしまった。

 不安、寂しさ、生活サイクルの乱れが、ストレスになり貧血を起こしたらしい。とは後で聞いた話。

 理由がわかればなんてことはない。

 なんてことはなくったって体は正直だ。

 体は心とは裏腹にいうことを聞いてはくれない。


 保健室のベッドで寝ているのか起きているのか分からないくらいに、ぼーっとしていたら先生がやってきた。

 母より年上の女の先生だ。

 カーテンの向こうから、先生の声が聞こえる

「高沢さん、大丈夫かな、起きてる?」

 意識が朦朧とする中、頑張って声を振り絞って、ハイと言ったら。

「えっと親戚のそのヒラヤさんかなヒラヤケイさん、叔父さまかしら、という方がお迎えにこられていてね、一応顔見てもらおうかと思って待たせているんだけど、お母様からは一応連絡は受けているんだけどね、万が一ということもあるから顔見てもらおうかと思って。」

 同じことを二度言ってる。

 先生もきっと困惑してるのだろう。

 

 これまた頑張って「わかりました、お願いします」と声を出した。

「開けるわよ」

 先生はベッドを取り囲むカーテンを開ける。

 私は布団で顔を隠しながら上目遣いでその彼を見た、何年か前に見た顔、ヒラヤケイ、名前を聞いたのはこの時が初めてだった。その彼がいた。

 あの時と変わらない雰囲気、多分。

 無愛想、あの時の仏頂面、多分。

 ただし無精髭は無かった。

 気を使ったのだろうかと勝手に想像する。 朦朧とする意識の中で私はそれがとても好意的に思えて嬉しさと恥ずかしさを覚えた。


 そして私は漸く安心を手に入れたと、その時初めてそう思った。


 私は部活の終わる頃に彼に支えられて学校を後にする。

 といっても彼に荷物を持ってもらい、杖代わりになってもらっただけだ。

 ふらつくと足を止めしっかり支えてくれる。

 母がフラフラしてた時とは違うと思うと少し嬉しくなった。


 後でクラスメイトたちに、「あれはお父さん?」とか、「かっこいい車に乗ってるよね」とか。

 黒い車は男の子たちの間でもスカジースカジーと話題になっていた。スカジーってなんだろう。

 

 色々言われて嬉しいやら恥ずかしいやら複雑で、でもそれが少しめんどくさかったのを思い出した。


 彼に連れられて帰路に着く。車で学校から帰るのは初めてだ。

 彼氏が迎えに来たらこんな気分になるのかしら。

 そんな想像をしたら、くらくらしてきた。

 

 そんなに遠くはないのだけれどそのマンションの10階へ、そして玄関の前まで来る。

 諸々の荷物は彼が運んでくれる。


「開けれるか?」

 多分玄関の戸のことだろう。大きくないのに体に響くその彼の声は、朦朧とした意識の中でもはっきりと理解できた。

「うん」と生返事するも彼に持たせたままのカバンから鍵を出して彼に手渡す。

 

 彼はぎこちないがなんとか微笑んでる。なんかだちょっとだけ引きつってるけど。

 

 鍵を受け取ると手慣れた手つきで鍵を開ける。

 「ああ、俺はこの上に住んでるんだ」

 言い訳、そして説明くさい。

 何を言い訳してるのかは分からなかったけれど。

 ただやはり声はよく聞こえた。


 玄関に入ると安心したのか、少し回復した気がした。

 男の人と二人きり、おとうさん……くらい年が離れてるというのに。

 少しドキドキしたのを覚えている。

 わ、私にだって思春期はあったのだ。今の自分にそう言い訳した。


 靴を脱いで上がりこみ壁に手をついたままやはり動けなかった。

 ふと彼は帰ってしまったかと不安になった。

 あわてて振り向くと彼はそこに、玄関で私を見守るように立っていた。

「すまないが、きみのへやがどこかしらないんだ、あと、上がって——いいかな?。」

 急に恥ずかしくなってすぐに俯いてしまうが、頷きながらすぐそこの部屋それを指差した。

 彼には連れて行けと見えたに違いない。

 体のだるさ、意識の拡散と集中、男の人と二人きり。凄い勢いで頭がぐるぐるしている。

 だから、家の中がとんでもない有様なのをすっかり失念していた。

 干しっぱなしの洗濯物、洗い物が残ったままのキッチン。それが急に恥ずかしくなった。

 家事ができるなんてとんでも無い勘違いだった。

 彼に手を引かれ部屋の前まで連れてこられた。その大きな手に手を握られてるだけなのに、自分自身が握られているような錯覚を覚え、ドキドキする。

 彼の顔を見上げた。

 彼はそっぽを向いている、何を考えてるかわからない。


 何だか私だけがこんなにドギマギしてるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 

 だから私は彼を困らせてやりたいと思ってしまう。

 何があっても泰然自若。

 悠々自適なんだろうか。

 

 作戦はこうだ。

 脱力して倒れそうなのを抱き寄せて貰う。

 私は何という大胆で、とんでも無いことを考えてしまったんだろう。

 そう思うと胸の鼓動が跳ね上がる。


 この具合の悪さと相まって想定外に想定のことが起こってしまう。

「あっ」

 私は倒れそうになった。

「むっ」と彼は軽くうめくと、手を差し伸べようとする。

 そのギリギリのところで私は踏みとどまるのと、差し伸べた手が引っ込んだのは同時だった。

 私は私に言い訳した、わざとじゃないから!

 私は何をやっているのだろう。

 

 自力で部屋の扉を開けてさらにその光景に愕然とする。

 8畳もある和室、ひきっぱなしの布団、脱ぎ散らかした衣類。

 その光景に一瞬我を忘れそうになる。

 そして彼に見られたかもと不安になる。

 

 しかし彼はすっかりキッチンに入り込んでいたのだった。


 それからはもうどうにでもなれという気持ちとよく分からない言い訳のようなものが心と脳を埋めていく。

 私は自分の部屋の扉を閉め制服を脱いでそのまま布団に入り込むとすぐに安心して眠りに引き込まれた。


 どれくらい眠っただろうか、部屋は真っ暗だからとっくに夜だ。

 部屋の扉の隙間からは光が差し込まれてる。

 廊下の明かりはついたままだった。

 微かに聞こえるテレビの音も何と無く心を軽くしてくれた。


 わたしはそっと扉を開ける。

 扉の脇にペットボトルのスポーツドリンクやスポーツ用のゼリーのパックが置いてあった。

 さらに、達筆なのか、下手なのかわからない字で、『飲んで食って寝ろ』。

 と、大学ノートから破いたの1ページにデカデカと書かれている。

 後、母に連絡するようにとも書いてあった。

 私はぬるくなったスポーツドリンクを飲みながらキッチンに向かう。

 土鍋にお粥、味噌汁、梅干しやお新香が小さな皿に盛られていてラップがしてある。

 

 そこにもまた大学ノートの破った1ページ「温めて食べよ」とこれまた読みにくいが読めなくない字が書いてあった。

 さらに、「母に連絡するように」とまた書いてある。

 私は無意識に彼の姿を探したがどこにも彼の姿はなくテレビに映るコメンテーターが嘘か本当かわからないことをベチャベチャと喋っていたのだけが響いていた。

 

 すっかりキレイになったキッチン、干しっぱなしの洗濯物もすっかり畳まれており私は敗北感を味わってリビングのソファに浅く座り込んだ。

 テーブルを見たらまたメモがあった。


 「子供なのだから気にするなそのうちできるようになる、と思う。」

 あと、「母に連絡するように」 だ。


 何だか慰めてくれているらしいと勝手に思い込むことにした。

 あと、何で母に連絡してないことがわかるんだろう。

 残されたメモには総じてそのメッセージが書かれていた。

 

 私は大きなため息をついてキッチンの土鍋と味噌汁を温めながら。

 母の携帯に電話することにした。


 ああ、おかゆも、味噌汁もとてもおいしかったことは私の記憶に明記しておかなければならない。

  <続>

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