温もりの中で Ⅱ
「はい!どうぞ!熱いのでお気をつけてください!」
元気良くお客様にコーヒーを出す紅葉。
珍しい来客に心躍らせているようだ。
「これ……紅葉ちゃんが淹れたの?」
「うん!……おいしくなかった?」
恐る恐るお盆を胸に抱きしめながら尋ねる。
「ううん。酸味と甘みが程よくて美味しいわ。それに香りもいい……こんな美味しいコーヒーが毎日飲めるお兄ちゃんはいいわね」
「ふふ、そうですよね?」
満面の笑みでドヤ顔をする。
俺を見て呆れる明日香先輩。
それを見て嬉しそうに笑う紅葉。
家族団欒のような空間に自然と頬が緩む。
「どうしたの?」
「ふふ……お兄ちゃんと同じ感想……きょうだいみたい!って」
「そしたら、紅葉ちゃんは私と姉妹ね」
「ちょっと待ってください。紅葉は俺だけの妹ですから」
「……ほんと、紅葉ちゃんの事に関しては頑なよね」
そのため息はどんな意味を込められているのか。
言わなくても分かるだろう。
紅葉はお盆をキッチンに戻すと、
「じゃあ紅葉、お部屋にもどってる!ではごゆっくりしていってください!」
ぺこりと明日香先輩に頭を下げてリビングから出て行く。
「……たぶん真面目な話だって察したんだと思います。紅葉は賢いですから」
「そうみたいね」
明日香はさっきみたいに呆れたりはしない。
有宇の瞳は誇らしさよりも悲しみを感じされていたからだ。
「そんなに早く大人になろうとしなくていいんですけどね」
「そうね……本当にそうね」
明日香先輩の間に何が隠されていたのか。
俺には分からなかったけど、意味のある間だという事は分かった。
◇◆◆◇
「近いうちに学院と交流会があるの」
本題に移る。
苦虫を噛み潰したような顔になるが、パニックを起こしたりはしない。
「交流会ですか?……うちとアレが?」
「そう。年に一回互いの親睦を深めて切磋琢磨する関係を築く為のね」
そう言う割には歯切れの悪い明日香先輩。
それもそうだ。
切磋琢磨と聞いて鼻で笑ってしまいそうになる。
「正直言って、彼らにメリットは何もないのでは?……何なら、こんなレベルの学園と定期的に交流があるのは傷になるのでは?」
建前にしてももっとまともな理由を思いつくだろう。
草案者はとんだ馬鹿か物好きか大物だろう。
「でもこれはあちらの理事長が提案した事らしいから。こちらの学園長とは旧知の仲で庶民的な人間に触れさせたいっていうのが根底にあるみたいなの。こちらとしても太いパイプを作る事ができるって事がメリットだったのよ……」
どうやら大物で物好きだったらしい。
確かに上に立つ物、下で踏み台になる奴の気持ちを知るにはいい機会だろう。
こちらとしても輝かしい日本の中心を見る事が出来て光栄だと思う輩もいるかもしれない
……俺は反吐が出るが。
「肌が合いませんよ。あいつら、内心は見下し優越感に浸っているだけなんですから。事実、あそこの貴族様達は才能もあってそれを実行できる金も人材もある方々ばかりだ。今更何を学ぶって?……パイプを作れるって言いますがその前に自分自身を失いますよ。今までを全て壊される。圧倒的な差に築き上げてきた自信は一瞬にして崩れる。崩れなくても見下し続けられる環境下で平常心を保っていられますかね?パイプを作れたとしても、もうその時には……」
饒舌になってしまう。
一度出たら止まらなくなる彼らへの憎悪。
憎悪に勝るものは恐怖。
震える肩を抱く。
「……交流会。こっちの生徒会は耐えられますかね?全員ノイローゼになると思いますよ」
冗談交じりに言うが、笑えなかった。
「どんな理由でもいいからこじつけて中止した方がいい」
「……彼らから聞いていた以上なのね。」
「彼ら?……生徒会メンバーか……」
考えなくてもそうだろう。
重苦しい空気が2人に漂う。
場の雰囲気を変える為にコーヒーを淹れ直す。
仕切り直しとまではいかないが、重たくなる心を落ち着かせる。
「……あの、根本的な疑問なんですけど……明日香先輩生徒会役員じゃないですよね?なんで先輩が?時期的に最後の仕事だと思いますけど。」
生徒会の任期は確か11月中旬。
10月の最終週に演説を生徒会長立候補者の演説を行い、11月に入って直ぐに選出し、新生徒会長が他の役員を其々立候補したメンバーから任命する。
そのため、顔の広い人物が生徒会長に就任することが好まれている。
学年が固まり過ぎると翌年の生徒会活動に支障が出てしまうからだ。
今年は明日香先輩一強なのかもしれないとしてもこの仕事は前年度の生徒会の者だろう。
とは言え、去年他の役員にも立候補していない明日香先輩がいきなり生徒会長に立候補するのだろうか。
何人たりとも上に立たせたくないっていう性格ならまだ分かるが、明日香先輩はそうではない。
人思いな先輩は割と慎重で繊細である。
1年の時から生徒会に入って場慣れしてもいるはずだ。
「そうね。去年も立候補しなかったし、今年もする気はないわ。私は神堂家の長女だからって選ばれるのが嫌だったの……だからお父様にお願いしたの。最初で最後の我儘。高校生活だけはごく普通の女子高生でありたいって……」
「だったら尚更可笑しいじゃないですか」
「ええ……でもね、去年の交流会で騒ぎが起きたの。こちらがホストで彼等をできる最高のもてなしをしたそうよ」
カップを傾けて一息いれる。
波状に揺れる水面を眺めながら明日香先輩はぽつりぽつりと話し始める。
「でも……『やれ、ここは華がない』、『やれ、料理はまずい』、『レベルは低い』みたいに……散々だったらしいわ。いつもいる世界と違うのだから仕方のない事だし、それを学ぶ為の物でもあるのにね」
全く、仕方ないわねと呆れ混じりに言う明日香先輩だったが、瞳は揺れて何かに堪えるように裾を握る姿を見落とさなかった。
それだけではなかったのだろう。
生徒会役員で辞めざるを得なくなった人がいるとか……
「……一番の原因は私」
「は?……なんでそうなるんですか?生徒会でもない、参加者でもないんですよね?」
全く予想していなかった所で明日香先輩が出てきて、素っ頓狂な声を漏らす。
「それが彼等の八つ当たりの理由……神堂家との繋がりを作れるかもって張り切っていたみたいなのよね。それで蓋を開けてみれば私は居なくて……っでさっきのに繋がるわけ」
「それはあまりにも理不尽すぎる……思い通りにいかないからって関係のない明日香先輩にわざと罪悪感を押し付けるような言い方しやがって」
「それでも仕方のない事だわ。それが神堂家の長女っていう肩書きの強さは本物よ。今回は最初から私に学園側が声がかけたの。それで生徒会に行ってみたら去年のがトラウマになってる人ばっかりでね。人数も私が何とかしなきゃいけなくなったってわけ。」
「ふざけんな……何が八つ当たりだ、何が仕方ないだ、何が肩書きだ。何がトラウマだ。どいつもこいつも自分の事しか考えない卑怯者が……っクソ」
堪え切れなくなった感情が漏れて、悪態を付いてしまう。
悪態は自分にも返ってくるものばかりで自己嫌悪に陥る。
堪えられる訳がなかった。
何でこの人は……それでも怒らないのだろうか?
明日香先輩の我儘とさえ言ったたった一つの願いを踏み躙る連中に手を差し伸べられる?
普通の高校生になりたいと言っている彼女に八つ当たりをするあの学院……
怒りを通り越して呆れすら感じる。
だがそれよりも許せないのは学園の方だ。
明日香先輩は突きつけられたんだ。
自分達の最高のもてなしを用意したのにお前の所為で台無しになったって。
それを言う必要はあったのか?
否。断じて否だ。
罪悪感を押し付けられた明日香先輩なら今年の交流会は断るはずがない。
流石大人のやる事だなと尊敬を通り越して軽蔑する。
だが更に腹立たしい……生徒会は参加しない?
「自分達が頼んでおいて……いや、押し付けているから参加はしないのか、虫酸が走る」
俺だってあの人達と交流なんか嫌だ。
でも立場があって行わなければならないのなら、やれねばならない。
逃げられない事なんて沢山あった。
痛みを感じなくなるまで痛めつけられた事だってあった。
そんな俺でもせめてダメージが少なくなるように対策を立てたり、プラマイゼロになるなにかを手に入れたり……努力していた。
別に不幸自慢をしたい訳じゃない。
ただ……
「明日香先輩の良心につけ込むだけでは飽き足らず……参加しなかった事をぐちぐち言ってた奴らが参加しないだと?……そんな話あってたまるかっ!!」
「っユウ」
机を叩き、大きな音を立ててしまい、目の前にいる明日香先輩を驚かせてしまう。
微かに震えている身体を見て、やってしまったと俯く。
まだ落ち着いてなんかいなかった。
きっといつもならまだマシな言い方も出来たはずだ。
罪悪感の残る明日香先輩を慰める事は出来なくても愚痴みたい弱音を聞く事だって出来た筈だ。
なのに、俺は先輩以上に腹を立てて、悔しくなって、辛くなって、苦しくなって。
ズボンに皺が寄るほど固く握り締めていた。
「ふふ……ありがとね、ユウ」
気づけば、俺は明日香先輩に頭を撫でられていた。
「な、んで?……何でそんな事言われて、それでも手を伸ばせるんですか!ありがとうなんて言えるんですか!」
「結局最初から私は諦めてたんだ。普通の高校生活を送る事をね。どうせお嬢様になるんだって……だから色々言われた時に怒りとか哀しみとか悔しさとか全然なかったの。ただ、モラトリアムは終わりかぁーって自分の事なのに他人のように見て諦めてた」
俺の髪を櫛で梳かすように撫でる明日香先輩。
割れ物を扱うように繊細で何処か躊躇うように。
「だから嬉しかったんだ。私の為に怒ってくれて。私の為に悔しがってくれて。私の為に哀しんでくれて……だからありがと」
「そんな、事……俺は先輩の為なんかじゃ……それに俺は……力になれないっ……同じな俺が1番許せない」
同情するだけなら腹を立てるだけなら誰でもできる。
話をするだけでも震えが奥底から湧いて出てくる。
直接会ったらどんなふうになるか分からない。
恐怖で足が竦むのは奴等と同じだった。
そんな俺が先輩以上に感情を荒ぶらせる。
なんて自分勝手で自己満足な男なのだろう。
「そんな事ないわ。彼等とユウは違うわ。だってね?」
また抱きしめられる。
抱きしめられる資格はないのに。
「私を見て怯えたり、憎たらしげに見るだけだったけど……ユウ、貴方は泣いてくれる」
「え?…………俺が、泣い……て?」
見上げると明日香先輩は微笑んでいた。
泣く幼子のように涙を親指の腹で拭われる。
「……私もあの学院の人達と同じだと思われてるし思っているの。受験に失敗した負けお嬢様。なら同類には同類をって……世間一般から見たら仕方ない事だって……でもユウは違った。私自身を見てくれた。お嬢様や坊ちゃんの事が他の人より嫌いなのにね。無口で不器用だけど優しいし、笑ってくれる。今だって涙が出ないように俯いて我慢していたし、悔しそうに握りしめて、痛かったでしょ?……やっぱり気づいてなかったんだ」
「俺は……っ」
言われて初めて泣いている事に気がつく。
泣き止もうと堪えても止まるどころか溢れてくる。
嗚咽が漏れそうになるのを歯を食いしばって堪える。
身体が震えそうになるのを手を固く握って堪える。
「泣、いてな、んか……いな、いですっ」
意地とか気恥ずかしさで、バレバレなのに認められなかった。
「そうね。見間違いだったかもしれないわ」
更に抱きしめて、柔らかな感触と温かい匂いに包まれる。
身体と心が切り離されていって身体の震えが抑えられなくなっていく。
でも……拒絶はできなかった。
むしろこの温かな光に包まれていく感覚は心地良かった。
「大丈夫、大丈夫よ……今なら誰にも聞こえないから……これは微睡みみたいなものよ。だからいいの。」
頑なになった心の壁が内側から溶かされていく。
慰めるはずが慰められている……そんな事も忘れて。
溢れ出てきた感情が口から漏れる。
「同類には同類を?……そんな人じゃない!確かに高圧的で人を見下したりとかしますけど」
「ユ、ユウ?」
少し不満気な視線……いや、睨むような威圧的な視線……不貞腐れているとも言う。
それに埋もれている俺は気づく事ない。
「ただの人見知りなだけだろ!話をよく聞いてくれて、言葉の裏には思いやりがあって、いつも努力は怠らなくて……他にも魅力があって……だから彼等とは違う!!」
「……あ、う…………ばか」
溢れ出てくる言葉をそのまま口にしているから有宇はその事に関しては恥ずかしさはなかったが、唐突に褒められ過ぎた明日香先輩は熟した凛子のように真っ赤になった顔を隠し潤んだ瞳で睨みつけていた。
結局、有宇も抱きしめられている事に冷静になってからまた顔を真っ赤にするのであった。




