第4話 嘘告白罪は、ありません(憲法31条)
火曜の昼休み、生徒会室に、俺の席が用意されていた。
パイプ椅子の背に、紙が一枚。〔被告人〕。
隣の椅子には〔弁護人〕。そっちには、もう不破が座っていた。昨日の校門で「明日、弁護します」とだけ言って、先に帰った弁護人だ。
生徒会に、裁判をする権限なんかない。応じる義理もない。それでも来たのは、来なければ、不破が一人で鶴来の前に座ることになるからだ。
「座れ、甲斐真」
長机の向こうで、生徒会長の鶴来冴が言った。窓を背にして、腕章だけが光っている。壁ぎわでは、書記らしい二年の男子がノートパソコンを開いていた。議事録まで取る気だ。
座ると、長机の向こうから、もう一枚すべってきた。
起訴状
被告人 三年二組 甲斐真
公訴事実 被告人は、令和八年四月十七日午後四時二十一分ころ、本校図書室において、罰ゲームとして、真意でない交際の申込みをしたものである。
罪名及び罰条 なし
「分まで書くな」
犯行時刻は、昨日の朝、不破が教室で発表した。噂は、分まで正確に運ばれていた。
「それより、罪名。なしって書いてあるぞ」
「嘘の告白を罰する条文は、この国にない」
鶴来は、当たり前のことを言う顔だった。
「罪刑法定主義だ。ない罪は、書けない」
罪も罰も、前もって法律に書いておかないと、人を罰せない。この国は、後出しを許さない。
隣で、不破が、膝の上の六法をそっと閉じた。憲法第三十一条の、青い付箋のページだった。
「……先に、言われました」
弁護人の一つ目の作戦は、起訴状に書いてあった。
「じゃあ、なんで起訴したんだよ」
「罪はなくても、問題はある」
鶴来は、次の紙を出した。条文の写しだった。
「いじめ防止対策推進法、第二条第一項」
要るところだけを、鶴来は読んだ。
「『いじめ』とは、……当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう」
同じ学校の生徒に何かされて、された側が、心か体に苦痛を感じていたら、いじめ。決め手は、された側の気持ちだ。
「不破は十八だぞ。児童じゃないだろ」
「学校に在籍する生徒は、児童等だ。同じ条の第三項」
成年なのに、児童等。不破の肩書きが、一つ増えた。
「罰ゲームの嘘の告白で、された側が苦痛を感じていれば、いじめだ。いじめから始まった交際なら、解消させる。罰ではない。問題の解決だ」
鶴来の指が、不破に向いた。
「先生方は、しばらく様子を見るそうだ。生徒会は、待たない。昨日の問いに、答えてもらう」
不破が最後まで答えなかった、あの問いだ。
不破が口を開く前に、俺は立った。パイプ椅子が鳴った。
ゆうべ、天井を見ながら考えた。
知っていたから黙った、とは思えなかった。罰ゲームの告白だと知っていて「はい」と言うやつは、いない。
だとしたら、本当のところは「気づけませんでした」だ。うちの居間でも、朝の教室でも、平気で言えた一言だ。言えば、不破はだまされた被害者になる。被害者がいれば、鶴来の筋書きでは、俺は有罪。
あの口は、俺を有罪にしないために閉じていた。
だったら、話は早い。
「俺が有罪でいい」
鶴来が、まばたきを一つした。
「不破に答えさせるな。解消でもなんでも、好きにしてくれ」
鶴来の求めるとおりなら、交際の解消。金曜から探していた出口だ。今度は、不破を答えから降ろすために使う。それなら、逃げたことにはならない。たぶん。
「自白か。情状酌量の余地は——」
言い終わるより早く、隣で六法が開いた。
「刑事訴訟法、第三百十九条第二項」
不破は、座ったまま読んだ。
「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない」
「日本語で頼む」
「本人が『やりました』と言っているだけでは、有罪にできません。同じ条の第三項によれば、『有罪でいい』も、自白です」
「自分で有罪って言ってるのに!?」
「言っているから、です」
不破は、俺を見なかった。正面の鶴来だけを見ていた。
鶴来は、ペンを置いた。
「……自白だけでは、足りない。正しい」
検察官が、認めた。
弁護人に、有罪になる権利を取り上げられた。
腰を下ろしながら、不破の六法をのぞいた。付箋だらけの民法のあたりと違って、刑事訴訟法のあたりに貼ってある付箋は、三百十九条の一枚きりだった。
俺が自分を差し出すことまで、読まれていた。天井を見ていたのは、俺だけじゃなかったらしい。
止める用意までしてくれていた相手に、俺は「解消でもなんでも」と言った。不破がこっちを見ないわけだ。
「罰ゲームだったことは、猪狩くんの話で足りる」
その猪狩は、昼休みの頭に生徒会室の前で、金曜のダウトから全部しゃべったうえで「共犯の俺も起訴しろ」と騒ぎ、「猪狩くんは、別件だ」と追い返されたらしい。罰ゲームの言い出しっぺは、泳がされている。
「じゃあ、俺の自白は何だったんだよ」
「甲斐真が何を自白しても、不破玖美の苦痛は証明できない。足りないのは、被害のほうだ」
鶴来は、条文の写しを叩いた。
「不破玖美。罰ゲームだと知っていたのか。それとも、だまされたのか」
「お答えしません」
「黙秘か」
「いいえ。答えが要らないんです。どちらでも、結論は同じですので」
不破は、六法を開き直した。
「知っていたなら、九十三条第一項ただし書で、交際は無効です。でも、この件で争う立場があるのは、交際で権利が変わる当事者だけです。それに、言い出した側が、私が知っていたことを証明しなければなりません」
部外者は口を出すな。出すなら証拠を出せ。金曜の図書室で、俺が負けた理屈だ。
不破は、鶴来の写しに目を落とした。
「だまされたのだとしても、いじめかどうかは、だまされたかどうかでは決まりません。受けた側が、心身の苦痛を感じているかどうかです」
顔を上げて、鶴来をまっすぐ見た。
「私は、苦痛を感じていません」
土曜日、うちの居間で「傷ついていません」と言ったときは、三つ編みを握っていた。握らせたのは、俺だ。
「どちらの道の先にも、生徒会は、いません」
鶴来は、引かなかった。
「本人の否定だけでは、決まらない。いじめられていても、本人が否定することは多い。表情や様子をよく見て確かめろ、と国の方針にある」
さすが学年一位だった。学校に向けた国の方針まで読んでくる。
「では」
不破は、六法を閉じた。
「観察してください」
鶴来が、長机に両手をついて、身を乗り出した。
不破は動かなかった。眠たそうな目で、鶴来を見返している。
俺も、つられて不破を見た。いつもの顔だった。左右の三つ編みも、ぴったり釣り合っている。
それから、気づいた。
弁護人の椅子が、被告人の椅子にくっついていた。
座ったときは、こぶし一つぶん離れていたはずだ。いつの間に。
壁ぎわで、キーボードの音が止まった。
「で、どうなんだよ」
鶴来は、口を開いて、閉じた。
「……黙秘します」
「検察官が黙秘すんな!」
鶴来は咳ばらいを一つして、背筋を戻した。
「苦痛を感じている者は、被告人のほうへ椅子を寄せない」
不破は、何もなかったみたいな顔で、椅子をこぶし一つぶん戻した。
戻したということは、寄せていたということだ。
「甲斐真」
鶴来が、今度は俺を見た。
「無効だと言うか、取り消すか。決めるのは、甲斐真だ」
全員の目が、俺に集まった。鶴来も、書記も、隣の不破も。
無効だと言うのは、俺の告白が本気のはずがないと、見れば分かった、と言うことだ。不破の前で。
昨日、教室の三十六人と一緒におろしたままにした手を、今になって挙げるのと同じだった。
「……言わない」
取り消す、とも言わなかった。何回目かは、もう数えていない。
隣は、見られなかった。
鶴来は、しばらく俺を見ていた。その目が、俺の隣へ動いて、止まった。
「……書記。今のは、議事録に残さなくていい」
「え、どこからですか。『黙秘します』のところもですか」
「……そこもだ」
鶴来は、長机ごしに起訴状を引き取った。
「公訴を取り消す」
「は?」
「刑事訴訟法、第二百五十七条。判決の前なら、できる」
鶴来は、それを二つに折った。
「そっちは取り消すのかよ!」
「勘違いするな、甲斐真」
二つ折りの起訴状が、俺に向いた。
「罪がないことと、悪くないことは、別だ」
「知ってる」
土曜日に、うちの居間で、家族全員から教わった。
「ならいい」
鶴来は立ち上がった。高い位置のポニーテールが揺れた。
「ただし、取り消したあとで、新たに重要な証拠を見つけたときに限って、同じ事件で、もう一度起訴できる。三百四十条だ」
最後に、まっすぐ不破を指さした。
「覚えておけ、不破玖美」
新しい証拠。不破がつらそうな顔をすること、だろう。そんな証拠は、出させない。
壁ぎわで、書記がキーボードを一つ叩いた。たぶん、閉廷と打った。
生徒会室を出ると、廊下は昼休みの音でいっぱいだった。
不破は、半歩前を歩いていた。
「……ありがとな」
三つ編みの背中に言った。
「なんで、そこまで弁護すんだよ。頼んでないのに」
「国選、ということにしてください」
「国に選ばれてないだろ」
「……では、私選です」
「しせん」
「被告人か、その家族が選ぶ弁護人です」
「選んでないぞ。俺も、家族も」
不破は、前を向いたまま言った。
「私が、選びました」
それから、足が急に速くなった。左右の三つ編みが交互に跳ねて、天秤が、でたらめに揺れた。
罰ゲームの相手を選んだのは、俺のはずだった。
◇
五時間目の予鈴が鳴る前の、三階の踊り場で、私——不破玖美は、削除の文字の上で親指を止めていた。
金曜日の、いちかのメッセージ。
新たに重要な証拠。鶴来さんの声が、まだ耳に残っている。
あの人は、さっき、言わなかった。無効だとも、取り消すとも。全員の前で、私の隣で。
無効だと言えば、あの人は、本当のことを言えたのに。
椅子は、こぶし一つぶんを、三回に分けて寄せた。数えていたのは、私だけだと思う。
私選の定義に私が入っていないことも、分かっていて言った。
親指を、画面から離した。消しても、私が知っていたことは、消えない。
手の中で、スマートフォンが震えた。
〔会長に、金曜のこと聞かれた。ノーコメントって言っといた〕
鶴来さんは、待たない人だ。




