淀殿の家出未遂
毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝、大友義統がそれぞれ領国へ戻ってから数日。
大坂城は久しぶりに静かだった。
「はぁぁぁぁぁ〜……。」
茶々は盛大に息を吐いた。
「静かやぁ〜!」
その顔は実に晴れやかである。
近くに控えていた大蔵卿局も深く頷いた。
「誠に。」
「せやろ?」
「はい。」
即答だった。
「朝から晩まで天下がどうとか。」
「はい。」
「徳川がどうとか。」
「はい。」
「豊臣家がどうとか。」
「はい。」
一拍。
「うるさかった。」
「誠に。」
二人は揃って頷いた。
この半年……。
毛利や宇喜多らは事あるごとに大坂城へやって来ては、茶々を捲し立てた。
『豊臣家の天下が。』『徳川が。』『このままでは。』を繰り返していた。
茶々は本気で嫌になっていた。
最後の方は、うるさ過ぎて、奥向きへの出禁を言い渡したぐらいだ。
「実はな。」
「はい。」
「高台院様のところへ家出しよう思うててん。」
「……は?」
大蔵卿局は固まった。
「荷物もまとめてたし。」
「え。」
茶々が指差した先には、まだ片付けられていない長持ちが並んでいる。
「御方様。」
「何?」
「本気だったのですか。」
「当たり前やん。」
茶々は真顔だった。
「高台院様には相談もしてたし。」
「何と?」
「行ってええ?って。」
「で?」
「おいで、やて。」
大蔵卿局は頭を抱えた。
「高台院様も高台院様ですね……。」
「部屋一つ空けとく言うてくれたで。」
「受け入れ態勢が整っている!?」
茶々は肩を竦める。
「秀頼連れて行こう思うてた。」
「本気だったのですね……。」
「徳川殿にも聞いてみたら、"高台院様のご機嫌伺いって申せば、誰も止めますまい。"やって。」
「まぁ……。」
その時だった。
「御方様。」
部屋へ入って来た大野治長が頭を下げる。
「なに?」
「少々、お話が。」
茶々は頷いた。
治長は少し迷った後、口を開く。
「本当に……これで良いのでしょうか。」
「何が?」
「徳川殿です。」
茶々は黙って続きを促した。
「確かに、今は豊臣家を支えてくださっています。」
「うん。」
「ですが……。」
治長は拳を握る。
「このままでは、いずれ徳川の天下になるやもしれませぬ。」
部屋が静かになる。
「もし、そうなれば。」
治長は俯いた。
「太閤殿下に何とお詫びすれば良いのか……。」
茶々はしばらく考え、ゆっくりと口を開く。
「治長。」
「はい。」
「私と秀頼を神輿にするつもりやったんやろうなぁ。」
「……。」
治長は言葉を失った。
「毛利も宇喜多も、上杉も。」
茶々は静かに続ける。
「豊臣家のため言うてたけど。」
一拍。
「ほんまにそうやったんかな。」
治長は答えられない。
「私はな。」
茶々は外に視線を向ける。
庭では秀頼が小姓たちと楽しそうに遊んでいた。
「私が望むもんは、そんな大層なもんやないのよ。」
「……。」
「豊臣家が続くこと。」
「はい。」
「秀頼が無事でおること。」
「はい。」
「民を燃やさないこと。」
治長は顔を上げた。
「御方様……。」
「戦になったらな。」
茶々は小さく笑う。
「失うんは、天下やないの。」
庭を走り回る秀頼を見る。
「人や。」
治長は何も言えなかった。
その言葉の重みを理解してしまったからだ。
茶々は立ち上がる。
「さて。」
「御方様?」
「静かなうちに昼寝しよ。」
「……はい?」
「また来たらうるさいやろ?」
茶々は笑った。
「今のうちに休んどかな損や。」
大蔵卿局と治長は顔を見合わせる。
そして、少しだけ笑った。




