EP14. 失うのはいつも満月
ザーッ
カチャカチャッ
皿を洗う音がキッチンに響く。
「サーシャ、また今日も来なかったな」
ツルッ……パリンッ!
手が滑って、皿を割ってしまう。
「あーあ。やっちまった」
床に散らばる破片を、箒でガシャガシャと音を立て片付けていく。
「最後会った時、顔色悪かったもんな‥‥‥って、さっきっからあいつの顔ばかり浮かんできやがる! 」
大きく頭を左右に振り、ごみ箱に破片を入れた。
俺は、部屋に戻りランプに火を灯した。
「やけに部屋が明るいと思ったら、今日は満月か……」
家の窓から広がる夜の空に、淡く光る月を見つめていた。
―満月は嫌いだ。いつも嫌なことばかり起きる日だから―
「チッ!昨日、夢で見たから嫌な記憶が――」
舌打ちをしながら、過去の事を俺はまた思い返し始めた。
親父が家を出ていき、母親が壊れていくまで
時間はそうかからなかった。
俺は、いつの間にか奴隷商に入れられた檻の中で
首輪をつけられた犬のような生活をしていた。
『人権』なんて言葉は、俺が歩んできた辞書には存在しない。
たまに貴族が来て、檻に入った俺達を見ながら品定めをしては
俺以外の子供が消えていった。
「目が赤く黒髪なんて不気味だわ」
「ひ弱そうだし、力仕事出来なさそうだ」
上から見下ろされながら、何度言われた事だろう。
俺だけずっと檻に残されていた。
その日は満月だった。
深い夜に月の光がいつもより強く差し込んでいた。
「何だ、この匂いは……」
焦げ臭い匂いがする。警備が煙草を吸っている匂いと明らかに違う。
俺は檻の柵へ近づき、辺りを見渡すと
オレンジの光が檻の斜め前まで迫っていた。
「炎が……」
ガシャガシャ
もちろん鍵が開くはずもない。
「ハッ。俺はここで終わるのかよ……」
この檻の中にはあと二人、売れ残った子供がいる。
「助けて! お母さん!!! いやだ!死にたくない!!」
「誰か!!助けてーーー!」
「あきらめろよ」
他の檻に入れられている子供達も異変に気付いたのか、
体当たりする音と泣き叫ぶ声が聞こえてくる
「最後くらい、穏やかに死なせてくれよな」
俺は、もうあきらめていた。
『これで人生を終わらせれるならそれでいい』
静かに座り、最後の時をただ黙って過ごしていると
ドン!ドンドン!!!
大きいドアを何かで叩くような、鈍い音が響いてきた。
バーーーン!!
奥のドアから大きい音と、木材の破片が飛んでいくのが檻から見えた。
「おーーーい!誰かいるかーーー!!」
奴隷商人の賭博を調べていた、近衛兵の一人が助けてくれたのだ。
それから、俺達は修道院へ行った者もいれば
メイド見習いとして屋敷へ仕えた者。
城下町の養子になった者……。
バラバラに違う人生へと歩みだした。
俺はまたそこでも売れ残った。
この目の色が赤く、不気味だという理由で。
―俺は誰にも必要とされないんだ―
そう諦めていた矢先。
行く当てがない俺を、近衛兵ギルが引き取ってくれる事になった。
名前は無いと俺が言うと、『ミッド』と名付けてくれた。
日中は薪割りや家事をして過ごし、夜はギルが俺に読み書きを教えてくれた。
「ミッドは、いい子だ」
笑顔で褒めてくれる度、俺の心の奥が少しずつ癒されていく。
俺の不吉だと言われた目も、太陽のように綺麗だと言ってくれた。
人生で一番幸せだったと思えた、平穏な日々。
平和な生活が2年続いた時、ギルは商家の女と結婚すると
本人が言い出した。
「実は、俺…半年後に結婚することになったんだ。」
―ああ、俺の居場所はもう無くなる―
「おめでとう」
「ミッドが良ければ、俺の家族になってほしい。どうかな?」
きっと出て行けと言われると思った俺は、驚きのあまり動きが止まる。
「でも、俺は邪魔じゃないのか?」
「何を言ってるんだ。もう家族みたいなもんじゃないか! 」
椅子から立ち上がり、ギルは優しく俺を抱きしめた。
「ありがとう。分かったよ」
口ではそう言ったが、心はどんどん冷たくなり完全に喜べなかった。
―最後までこいつは優しいんだな。俺が邪魔になるのは目に見えているのに―
その日の夜中、俺は机の上に手紙を置くと静かに家を出た。
―けっこんおめでとう。ごめんおれはいっしょにいられない。
しあわせに―
覚えたての文字を、こんな形で最初に使うとは悲しいものだ。
―世話になった人が不幸になるのは嫌だ―
涙が落ちないように、顔を空へ上げると満月が見える。
「ははっ、また満月かよ。満月と俺って、相性悪いのかもな」
使わずに貯めておいたギルからもらった小遣いと
昨日の残り物のパンとハムだけ入った小さい鞄が俺の全財産だ。
フードを深くかぶり、あてもなく歩く。
薄暗い曲がり角を進もうとした、その時。
ドンッ
「なんだ? ガキがこんな真夜中に……うぅ、ヒックッ」
―あぁ……。最悪だ―
ぶつかった酔っ払いは、俺の鞄を取り上げ、金が入った小袋を出した。
「ガキが使うには大金だな!俺がもらって使ってやるぜ!ヒック」
「おい!返せよ!!くそジジイ!!」
脛を蹴るが、ビクともしない。
「あ”?! 調子こくんじゃねぇ、ガキがよ」
俺を押し飛ばした酔っ払いは、腰から何かを取り出した。
月明りが目の前の男を照らした瞬間、それが刃だと知る。
男が腕を振り上げると、俺は目をギュッと閉じた。
鈍い音が聞こえ 生暖かいものが少し顔にかかった
ドサッ……
「人が胸糞悪い時に、うるせぇんだよ。クソ野郎が」
声が聞こえ、俺はゆっくり瞼を開けると上下真っ黒な服を着た
ひょろっとしている男が
酔っ払いが倒れたと同時に俺の前に現れた
―え。一体何が起きている。こいつ、誰なんだ? ―
目の前の男に恐怖心は全くなかった。
ボーッとしたまま、見つめていると男が口を開いた。
「おい、坊主。これもって家へ帰れ」
ヒュッ
金が入っていた小袋をこちらに投げてきた。
「俺には帰る場所なんてない……」
頬をかみしめ、地面を見ながら俺は呟いた。
「訳ありか……一緒に来るか?」
「……」
「まぁ、二度と太陽の下で遊ぶ子供には戻れないがな」
「かまわない」
俺はまっすぐな目で男を見つめる。
「いい目してるじゃん。気に入った」
男はニヤリと笑みを浮かべ、手を差し出した。
「こい! 坊主」
俺はその手を黙って取った。
―この選択が、俺の人生を完全に壊すことになるとは
この時はまだ知らなかった。―
◇
ガチャッ
自分の部屋に戻ったルーカスは、ランプに手をかざす。
淡い光が入り込み、部屋を照らし始めた。
机に手を置き、座らずに溜息をつき口を開いた。
「……要件はなんだ」
「……」
シュッ!――トスッ
胸元から出した細く短い刃を壁に投げる。
「ハハッ!さすが元情報屋のギルド長。すぐ分かりましたね」
両手を肩まで上げた男は、笑いながらスッと暗闇から姿を現した。
「からかうでない。座れ」
「はーい。お邪魔します」
コトッ
ルーカスは、淹れたての茶が入ったマグカップをテーブルに置く
横に添えられたのは角砂糖8個。
「不審者が城に入ろうとしてたから消してやったのに、刃を投げられるとはな」
男は笑いながら、ドボドボと角砂糖をカップに入れていく。
「お前、本当に昔から変わらないな」
甘党の男を見て、少し引いた顔をしているルーカス。
紺色のマントを着ているその男は、情報ギルドの者だった。
「で、本題はなんだ」
「実はよぉ――」
男は、胸元から出した数枚の紙を渡した後ゆっくり話し出した。
魔物の発生源がいくつかあること。城下町で不審者が居ること。
討伐隊の治癒師が実はそんなに力が無かったこと。
ルーカスは渡された紙に目を通しながら、男の新たな情報を静かに聞いていた。
「ま、生きてりゃどんどん情報が流れてくる。
平和な情報だけならどれほどいいか」
茶を一気に飲み干した男は、視線をテーブルに落とした。
「そうだな、だがその情報1つで救えるものもあるだろう」
「間違いねぇや! そのために俺らが居るんだからな」
「俺はそろそろお暇するわ」
男が立ち上がると、小袋をルーカスが投げた。
「それで帰りに酒でも飲んで来い」
「ハハッ!ありがとな! 」
男はベランダの手すりに飛び乗った。
夜の空に、満月の光が静かに男を照らす。
「じゃ! 若くないんだから、あんまり無茶するなよ! 」
「う、うるさい! 早く消えろ! 」
暗闇に消えた男の笑い声が響いた。
「アハハッ! 」
パタンッ
静かにベランダの扉を閉め、貰った紙を暖炉に投げ込んだ。
ブワッーージリジリ……
「平和……か。いつになるんだろうな」
揺らめく炎が紙を消していくのを見つめながら、眼鏡に触れた手を軽く上げた。




