課題と制服、あと発熱
「ふぅ……」
息を吐き、自前のノートパソコンを閉じる。
画面の洪水のような文字列が視界から消え、代わりに自習スペースの静けさが身に染みわたってきた。
私が席に着いているこの場所は『サイレントゾーン』と呼ばれている自習スペース。
一人分ずつ区切られた机が並び、左右と正面に仕切りが付いている。他にも作業している人が数人見受けられるが、その姿はほとんど見えない。聞こえる音も僅かなもので、ページを捲る音やキーボードを叩く音くらいだ。
そんな中で、私は背もたれに体重を預け、身体の力を抜いた。
(とりあえず、レポートは終わった……けど──)
目の前の課題が終わって一安心。だけど、私の頭の中は別のことが巡っていた。
小天さんの突き刺すような視線。それがあの日から脳裏に焼き付いて離れない。
軽蔑、敵意……無感情?
そのどれとも分からない視線が網膜に刺さったまま消えない。
見えたのは本当に一瞬だったから、勘違いの可能性もあるけれど……。
「……」
ふと、パソコンの隣に置いているスマホに目を向ける。
公園で魔術治療を行ってもらって早3日、小天さんからの連絡は一切ない。私の方から『大丈夫ですか?』とメッセージを送ってみたりもしたが、既読の表示が付いただけで返信は特にないまま。電話を掛けても出てくることはなかった。
ついこの前までは私の身長や好きな食べ物を訊いてきたり、野良猫やコンクリートの割れ目から生えた花の写真といったどうでもいいメッセージをしつこいくらい送りつけてきていたのに。
(もしかして、この左手と関係があるの?)
思い当たる節があるとすれば、ただ一つ。あの日の魔術治療だ。
光は弱くなったけれど、効果は以前より薄くなっていた。その理由について訊ねても曖昧なことしか言わなかったし、別れたのもそのすぐ後だった。それに、急に用事があるとか言っていたのも妙だ。
(それとも……トラブルに巻き込まれた、とか……)
左手の件は全く関係なく、別れた後に小天さんの身に何かあった。これもまた考えられる可能性だ。
小天さんは魔術関連の時は頼もしく感じる場面があるが、基本的に結構抜けているところも多い。容易に騙されたりする絵面が想像できてしまう……。
勿論、全て推測でしかない。だけど、妙に不安になる。
それもこれも、この左手が変になったせいだ。だって、あの時から──
──わたしは、大丈夫ですから。
……ああ、まただ。
海岸で初めて小天さんが倒れた時もそうだ。ここ最近、あの時の光景が頭を過ぎることが多くなってきた気がする。
左手が震える。その震えを押さえるように手を握りしめ、深く息を吸い込み……吐き出す。
(大丈夫、この手は関係ない。あの時とは違う。……大丈夫)
目を瞑って胸の中で自分に言い聞かせ、反芻する。そうしているうちにやがて震えは収まってきて、心も落ち着いてきた。
頭の中はスッキリして、思考回路も概ねいつも通り。その頭でこれからの予定を叩き出した。
(今日はカフェの方に行ってみよう)
こうなったら直に会いに行くしかない。ここ数日は課題があって行けなかったけど、今終わったわけだからね。
……と、すこぶる普通の対応を決定したところで、スマホが震えて画面に光が灯った。
何か新規メッセージが届いたらしい。送り主は……小天さん!?
驚きつつも迅速にロックを解除して、内容を確認する。そこに浮かんでいたのは、シンプルな四文字。
『たすけて』
画面を確認してからすぐに自分の荷物を片付け、自習スペースから飛び出した。
◆◆◆
紅常盤の古民家カフェは私が通うキャンパスからそれなりに近い。といっても、歩いて20分くらいの場所なので多少の距離はある。
そこへ向けてひたすら足を急がせ、走る。とにかく走る。人通りの少ない商店街を走り抜け、橋を渡ってさらに走った。
運良く信号に引っ掛からなかったお陰で、すぐに店の前まで辿り着くことができた。そして、『準備中』の札がかかっていることも気にせず扉を開ける。
「っ! 小天さ──……ん?」
息を切らしながら、小天さんの名前を叫び……そうになったが、目の前の光景に対して困惑が勝ったことで声が萎んでしまった。
というのも──
「いらっしゃいませ、お嬢様」
……先程メッセージを送ってきた張本人、小天さんがこちらへ向けて丁寧にお辞儀をしてきたのだ。
いや、それだけじゃない。たしかに彼女の態度が違うことも理由の一つだが、特に目を惹いているのはその格好だ。
メイド服。そう、メイド服である。
スカート丈が床に届きそうなくらいの長さを誇る、クラシカルなメイド服。それを彼女は着こなしていた。
ずらりと本の並ぶ店内に現れたプラチナブロンドの髪を揺らすメイドの小天さん。その姿にただ固まっていると、クスッと彼女の口元から息が漏れた。
「ふふふ……どう、帆風? 似合うとるかね? 自分でも結構ええ線いっとると思うんじゃけど、傍から見た忌憚のない意見っちゅうやつを聞きたいんじゃけど……帆風?」
小天さんは姿勢を崩し、ドヤ顔でくるりと回ってから感想を求めてきた。
服装以外、いつも通りの彼女だ。それを見て私は……
「どうしたん? はっ、もしやわしに見惚れてぉぶふぅ」
彼女に近づき、両頬を摘んだ。
「腹立つくらいお似合いですよーはっはっはっは」
「ひゅいひふぁふぇん」
笑顔で褒めてあげると、謝罪されてしまった。摘まんでいる力も弱めているから痛くはないはずだけど、どうしてでしょうねぇ……!
このまま癖になりそうな柔肌を摘まんでおきたい気分だが、色々と話を聞かねばなるまい。というわけで手を離し、溜息を吐きつつ近くの席に座った。
「……で? なんなのその衣装」
「うちの店、制服とかなかったけえ買ってみました」
「さっきの『たすけて』ってのは?」
「あ、その後送ったの見とらん?」
自分のスマホを取り出し、小天さんとのメッセージ画面を確認してみる。
『たすけて』
(メイド服と執事服の写真)
『店の制服にする予定なんじゃけどマジでやばい』
『帆風絶対どっちも似合う! 想像しただけで死にそう』
……スマホの画面を閉じて、頭を抱えた。
最初のメッセージの時点で飛び出してしまったから、その後送られてきたものに関しては気が付かなかった……が、なんだこの頭の痛くなるメッセージは。ああいや、小天さんってこういう人だったな……。
苛立ちを通り越して呆れつつ、身体中から緊張が解かれて脱力していく。なんか色々馬鹿らしくなってきた。
「……心配して損した……」
「えっ、心配してくれたん?」
「当たり前でしょ!? 全然連絡取れなかった中でこれなんだから、本っ当にタイミングの悪い……!」
「ぅおおすいません! 色々調べものしとって連絡返す暇がのぉて!」
「……調べもの?」
全力で腰を曲げて頭を下げる小天さんの言葉が気になり、思わず訊き返す。
すると彼女は顔を上げて、バツが悪そうに視線を横に逸らした。
「うん。左手の件でちいと……ね?」
小天さんの顔をよく見ると、目の下に隈ができていた。誤魔化すような笑顔もどこか力なく、いつもより髪の毛もボサついているように見える。
もしかしてこの人……この三日間ほとんど寝ていないのか? 私の左手の件にかかりきりで?
「……どうして」
「ん?」
「どうして、そこまでするの?」
ふと、疑問を口にした。
思えば最初から分からなかった。どうして小天さんはここまでしてくれているのか。
左手を治してくれることは勿論嬉しい。だけど、彼女はその魔術を使うだけで倒れてしまう。
魔術の研鑽が目的だとしても、使用の度に倒れてしまう辛さや面倒くささを考えると、メリットとデメリットが釣り合っているとは思えなかった。
小天さんの人が好いから、というのも理由の一つではあるだろう。だが、それだけでここまで必死になるものだろうか?
私と彼女はまだ出会って日が浅い。友達といってもいい距離感かもしれないが、それでもまだ他人に近い立場だと思う。
だから私のために動いてくれている……なんて驕ったことは考えられない。なら、何故?
そんな私の疑問に対し、小天さんは少し悩んだ素振りを見せてから、
「んー……内緒!」
にっこりと笑って、そう答えた。
「……内緒が多いなぁ」
「女っちゅうんはちいとミステリアスな方が魅力的じゃいうじゃろ」
「小天さんはそういうキャラじゃないと思うけどね」
「手厳しい……」
見た目だけなら似合いそうなんだけど、喋るとどうしても……ね?
しかしまあ、内緒か。ということは恐らく、明確な理由があるということだろう。とりあえずそれを知れただけでも良しとしようかな。
「その内緒の中身はそのうち聞かせてもらうとして……ごめんなさい、無理をさせてしまって」
「気にせんでええよ。こっちが勝手にやっとるだけじゃし」
そう言ってへらへらと笑っているが、疲れが滲んだ顔を見るとどうしても申し訳なくなってしまう。電話にも出ないくらいに頑張ってくれていたとなれば尚更だ。
「まあどうしても気にするっちゅうんなら後で帆風にも制服着てもらおっかなー。それとまた膝枕とか……っていうのは冗談です調子に乗りました」
「いいよ。それでお詫びになるなら」
「……えっ、マジでいいん? イヤッホゥ!」
承諾されると思っていなかったのか、小天さんは少しポカンとした表情をしてから両手を上げて喜んだ。徹夜でテンションがおかしくなっているのか、大袈裟なリアクションである。
微笑ましいけどちょっと心配だ。後でちゃんと寝るように言い含めておこう……なんて考えていると、彼女はすぐに手を降ろしてこちらへ向き直った。
「たちまち、その辺の話は後にするとして……訊きたいことがあるんじゃけど、いいかね?」
「いいけど、後でちゃんと寝てよね」
「その時は膝枕をお願いします」
どんだけ気に入ってんの私の膝。
「それは要検討。で、訊きたいことって?」
「その、言いとうなかったら言わんでもええんじゃけど……左手がその状態になってから、なんかトラブルとかあったりした?」
「っ!」
小天さんの質問に思わず身体が強張る。
「……どうしてそんな質問を?」
「前から気になっとったんよ。公園で黄晴と話しとる時とか、海岸でわしが倒れた時……様子が変じゃったけえさ。なんとなく左手のことが関係あるんかなーとか思って……」
……この人、意外と鋭いな。それなりに隠してるつもりだったんだけど。
それはともかく、どうしたものか。
お察しのとおり、私が時々取り乱したりするのは過去にこの発光する左手が原因で起きたトラブルのせいである。だが、あの件は私にとってトラウマものの出来事だ。それを話すのは少し……いやかなり勇気がいる。というか、まずまともに話せる自信がない。
出会ってから日は浅いが、小天さんが悪い人じゃないのも信用できるということも分かっている。私から話を聞いたところで何かする、なんてことはないだろう。
だけど……うーん……。
話すか話すまいか、堂々巡りの思考が頭の中を覆っていく。
そうして黙り込んだ私を見て、小天さんは焦ったように口を開いた。
「い、言いにくかったらほんまに気にせんでええけえね? 無理に答えろとは言わんし!」
「ああいえ、その……」
「あ、そういえば昼ってもう食べた? あれならわしがなんか作ろうか?」
「やめてください」
「メイド服を着とる今なら出来そうな気がするんよね。新たなクリティカルブレイクな一品が」
「やめろっつってんだろ」
気を遣ってキッチンに向かおうとする小天さんの腕を掴んで止める。寝不足状態の彼女が心配なのもそうだが、下手すりゃ私の身体がブレイクされかねん。
……って、あれ?
「……小天さん、身体熱くない?」
「え、そう?」
小天さん自身は気が付いていないようだが、腕から伝わる体温がいつもより高い気がする。
そう思って額に手を当ててみると……。
「熱っ!? 小天さん熱あるじゃん!」
「いや、これはあれよ。熱といえば熱じゃがいつもと違う服着とるけえ興奮して体温が高くなっとるだけであって無理をしとるわけでは……」
「どう見ても無理してるでしょうが! ああもう、二階行きますよ!」
なぜか謎の言い訳を並べる小天さんの手を引いて、二階の居住スペースへと急ぐ。
……色々と謎めいた魔術師さんだが、今回のことで一つ分かった。
彼女は案外無茶するタイプだということである。




