さざ波と魔術体験、あとハンバーガー
お店での出会いから一週間後、土曜日の昼下がり。
連絡先を交換した小天さんに呼ばれて、指定された場所にやってきたのだが……。
「小天さん」
「何かいね」
「こっちのセリフです。なんですか、ここ」
目の前の景色を見ながら、あらためて問いかける。
そこに広がるは青い海。そう、広くて青い海である。
「ベイサイドビーチ坂。市内から一番近い海水浴場で……あ、もうちょっと電車に乗ってったら呉ポーもあるよ。まあ行ってもやることないんじゃけど」
「知りませんよ。なんですかクレポーって」
「えっ、呉ポートピアパークをご存知でない? 元は大きな遊園地で今はちょこちょこイベントやっとる公園なんじゃけど」
「ご存知でないです」
なんで広島に引っ越してきたばかりの私がそんなローカル情報を知ってると思っているんだ。
……私が知らないだけで有名なのか?
「それはともかくとして、なんでこんなところに? 私の左手を治すための魔術を行うって話でしたよね?」
「そうよー。たしかその左手、瀬戸内の塩が原因じゃったよね? なら、海に近い方が効果があるんじゃないか思うてさ」
ふむ。安直ではあるが、そういうものなのだろうか。
如何せん私は魔術とやらに関しては素人なわけで、小天さんの言っていることが正解かはよく分からない。なので今はただ流れに乗って従うのみである。
「じゃあ、ここで魔術を?」
「うん。じゃけどまずはそのための下準備をせんにゃいけん。我が家の魔術って色々事前準備が大事なもんでね」
事前準備……道具を揃えるとか、そんな感じだろうか。
しかし海辺でそんな物があるのか? なんて疑問を抱いていると、小天さんは魔女帽を被って砂浜沿いの道を歩き出した。
彼女の背を追いかけつつ、さらに疑問をぶつけてみる。
「今更ですけど、魔術ってどういうものなんですか? 勝手なイメージだと物語の魔法みたいな感じなんですが」
「知らん人からしたらそういうイメージかもしれんね。けど、うちのクソザコ魔術が魔法なんてとんでもない。魔法と魔術って近いみたいでほとんど別のモンじゃし」
「クソザコて。……え、別なんですか?」
「うん。色々違いはあるんじゃけど……ざっくり言うと、色んなプロセスを経て結果を出すのが魔術。なんの準備をせんでも結果や物体を作り出せるのが魔法……って感じかね」
「……例えるなら、火をつけるライターが魔術、なんの道具も無しにいきなり火そのものを生み出すのが魔法……って感じですか?」
「そんな感じそんな感じ。流石は大学生、理解が早いねー」
学生かどうかは関係ないと思うけれど……。
しかし、なるほど。過程もなしに結果だけを得る。たしかに別物というか、魔法の方はとんでもない代物らしい。
「じゃあ、今はその魔術における過程にあたる作業なんですね。質問ばかりで申し訳ないんですが、具体的には何をすれば?」
「その左手には強い魔力が纏わりついとる。じゃけえ別の魔力を魔術で流し込んで中和していくんじゃけど、何もないところから魔力を集めるのは結構難しい。てことで、ここら辺に落ちとる物から魔力の欠片を集めようと思います!」
「なるほど。落ちてるものならなんでもいいんですか?」
「そうじゃねえ……まあ綺麗な貝殻とかの方がええかも。とりあえずなんかあったら持ってきてみて」
「分かりました」
かなり雑な指示だが、とりあえず首肯する。
さっき私の挙げた例で言うなら、ライターのオイル集めということだろう。そう理解して、二人で砂浜へと足を踏み出した。
都心部から離れた場所、それも時期外れということもあってかこうして歩いていても私達以外に人はほとんど見受けられない。心なしかさざ波の音がやけに大きく感じられた。
外洋に面していないだけあって瀬戸内海の波は落ち着いていて、波音も穏やかなものだ。こうして潮風に吹かれながら歩いていると、心が安らいでいく。
……そういえば、こういうのんびりした時間はいつぶりだろう。
思い出してみると、ここ一年は受験勉強と左手の問題、引っ越しや大学のことなんかでいっぱいいっぱいだったなぁ。
小天さんは魔力集めのためと言っていたけど、それはこの海岸でなくてもできることのはずだ。
もしかして私のことを思ってこの場所を選んだのかな、なんて──
「見てみぃ帆風! これ! でっけえワカメ! すっごいヌルヌルするぅひゃははは!!」
「……」
うん、ないな。
いつの間にか裸足で海に入り両手でワカメを振り回す女がそんな気遣いをするようには思えないわ。
「やー、春の海はまだ冷たいねぇ。帆風も入らん?」
「タオルありませんし、遠慮しときます。てか呼び捨て……」
「名前で呼ぶの、いけんかった?」
「……いえ、そんなことは」
小首を傾げて問いかけてくる小天さんから視線を逸らしつつ、足元に流れ着いた貝殻を拾い上げる。
どうしてだろう。この人の顔を見ると、なぜか断れない。
そういう魔術……とかじゃないか。まあ別に嫌なわけじゃないからいいけどさ。
◆◆◆
「じゃあ、始めようか」
十数分後、散策を終えた私達はビーチの隅にある堤防へと場所を移し、お互いに向き合って正座していた。
私達の間には回収してきた材料……貝殻やワカメ、シーグラスなんかが散りばめられている。あまり統一性のない物で溢れているが、小天さん曰くこれで構わないらしい。魔術ってよく分からない……。
そんな疑問を浮かべる私を差し置いて、小天さんは魔法陣らしき紋様の描かれたA4のコピー用紙を取り出し、材料群の上に置いた。
「一応確認しとくけど、ほんまに治していいんよね?」
「何を今更。お願いします」
「ん、分かった。左手出して」
最終確認をしてから、言われた通りに手袋を外して魔法陣の上に左手を差し出す。相変わらず眩しいくらいの白い光だ……なんて目を細めていると、小天さんが両手を添えてきた。
優しく持ち上げ、形を確かめるように触れている。……なんだかこそばゆいし、変な感じ……。
「大丈夫。周りに人はおらんし、昼間じゃけえ光もそんなに目立たんよ」
言い様のない感覚に戸惑っている私を見て、何か勘違いしたのかもしれない。小天さんは優しく微笑んでからまた視線を手元に落とした。
さっきまでのふざけたような態度とは違い、真剣な顔つきで私の左手を見つめている。
……今更だけど、近い。なんかちょっと気恥ずかしいな。
こうして見るとこの人、美人だな。まつ毛長いし、色も髪の毛と一緒……地毛なのかな。アルビノとか?
逃避するように小天さんの外見について考えていると、変化が訪れた。
「っ!」
左手が少し熱い。それに手だけじゃなく、紙に書かれた魔法陣や下に置かれた魔力の素材もほのかに光を発している。
驚いたのも束の間、素材の光が紙の中へ吸収されるように消えていく。まるで下から上へ吸い上げられるように収束していくと、今度は魔法陣の真ん中からいくつもの光の粒子が浮き上がるようにして左手へと集まっていった。
(これが魔術……)
幻想的な光景に胸が高鳴る。
現実離れしている状況はこの左手で慣れたものだけど……それとはまた違う感動が胸の奥を刺した。
息を呑んで様子を伺っていると、やがて光の粒子も消えて手の熱も引いてきた。そうして残ったのは、いつも通り左手の光だけ。
なんだか夢から醒め、現実に戻ってきたような感覚だ……ん?
「……あっ」
思わず、声が零れる。
日差しのせいで一瞬分からなかったけれど、すぐ変化に気が付いた。
左手の光が弱くなっている。
まだ光ってはいるが、確実に光量が以前より抑えられているのだ。
(本当に、治るんだ)
小天さんを信じていなかったわけじゃない。だけど、この一年で半分諦めていたようなものなのだ。それがこうして……。
嬉しい。思わず涙が出そうなくらい、嬉しい。
まだ治ったわけじゃなくても、その希望が見えただけで私は……。
「小天さん、ありが──」
顔を上げて、功労者への感謝を述べようとする……が、その途中で私の口は止まった。
だって、目の前には──
──私の手を握ったまま、うつ伏せで倒れている小天さんの姿があったのだから。
「っ、小天さん!」
即座に駆け寄り、彼女の上体を起こす。
顔色が悪い。だらりと腕は垂れていて、力が入っていないことが分かる。
どうして急に? 魔術を使ったから?
……また、この左手のせいで……?
不安が駆け巡り、どっと汗が噴き出る。手も震えてきて、嫌な胸の高鳴りが呼吸を浅くしてくる。
ダメだ、耐えろ。今はとにかく、彼女をどうにかして助けないと──
『ぐきゅぅぅぅ……』
「……ん?」
……不安と焦りでいっぱいだった私の頭の中を払拭するように、小天さんのお腹から音が鳴った。
◆◆◆
「いやぁ、ご心配をおかけしました」
近くにあったハンバーガーレストランのテラス席で、小天さんは笑いながら謝罪してきた。
その対面で安堵しつつ、溜息を吐く。
「いえ、無事でよかったです……」
「やーホントごめんねぇ。わし燃費悪ぅてさ。魔術師としての実力が低いのもあるんじゃけど、自分の魔力が少ないんもあって腹ん中のもんを転換したりするんよ。けどあんまし量が食べれんけえ魔術使うとすぐ貧血になるし、お腹が空くんよねー」
ポテトを小さな口に運びながら小天さんは恥ずかしそうに視線を泳がせた。
海辺で魔術を行使した後、私は小天さんを担いでこの店までやってきた。
彼女曰く、倒れてしまったのは貧血と空腹によるものだったらしい。魔術師としての実力が低く、自分の魔力も少ない彼女はお腹の中に蓄えた食べ物を魔力に転換して運用するのだという。しかし、小天さん自身は小食なこともあって魔術を使うと貧血を起こし、すぐに空腹状態へ陥ってしまう……とのことだ。
「すみません、無理をさせてしまって」
「無理とかしとらんしとらん。で、左手の具合はどう?」
「あ、はい……」
すっかり調子を戻した小天さんの様子に安心しつつ、テーブルの下で隠しながら左手の手袋を少しずらしてみる。握ったり開いたりしながら中の光を確認するが、光量が変わることはなかった。
「良好です。前よりも光が抑えられてて……本当にありがとうございます」
「ほうか。上手くいってよかったー」
「ええっと、お礼を……」
「いいっていいって。まだ完全に治せたわけじゃないしさ」
私が財布を出そうとすると、苦笑混じりに止められてしまった。
しかし、こちらとしてもそう簡単に引き下がりたくはない。
「でも……」
「気にするっちゅうんなら、これの残り食べてくれん? わしにはちょっと多くて」
小天さんは食べていたハンバーガープレートの残りをこちらに寄越してきた。
プレートの上からはポテトだけ無くなっており、メインであるハンバーガーが手付かずのまま鎮座している。……本当に小食なんだな。
「あ、ちゃんとお金は払うよ。ここ結構高いし」
「それはダメです。流石に私が払いますよ」
「クソ真面目じゃねー。そもそも帆風の手を治すんはわしにとっても悪い話じゃないけえ、ほんまにお礼とか気にせんでいいんよ?」
助けてもらっている上に注文も半分以上こっちが頂いてるのだ。支払いは譲れない……と思っていたところで、気になることを言われてしまった。
私の手を治すのが小天さんにとっても悪い話じゃない、とはどういうことだろう。そうこちらが訊ねる前に彼女は私の左手を指し示した。
「さっきも言うたけど、その左手には強い魔力が纏わりついとる。それを治すために魔術を使うのは鍛錬にもなるし、勉強になる。関わるだけでもメリットが多いんよ」
「へえ……私にとってはただの睡眠妨害装置ですけどね」
「あーたしかに夜は寝にくそうな……あ、それで目の下にクマが」
「え、マジですか」
指摘されたことでつい自分の目の下を手で触れてしまう。
化粧で誤魔化せてると思っていたんだけどなぁ。どおりで大学で先生に心配されたりするわけだ。
「ま、とにかくWin-Winの関係ってことでお礼の必要はないけんね……おっと」
言葉の途中で小天さんのスマホが鳴り、話は一時中断。私が『どうぞ』と手で示すと、小天さんは謝罪のハンドサインと共に通話を始めた。
「もしもし? あ、爺ちゃん。うん、昨日言っとった子の……そうそう、上手くいったよ」
どうやら相手は小天さんの祖父らしい。仲は良好なのか、少し幼げのある表情と声になっている。
お爺さんも魔術師だったりするんだろうか。いや詮索するつもりはないけれど、ちょっと気になる。後で訊いてみようかな……。
「お店の方? あぁうん、いつも通りの閑古鳥。あんまし変わっとらん……え、わしの料理? それ関係な……いやたしかにそうじゃけども! ……いやいやいや、流石にそれは……あ、ちょっと? 爺ちゃん? うっわ切られたマジか」
祖父と孫の微笑ましい会話を眺めていたら、何やら雲行きが怪しそうな感じで通話が終わった。
小天さんの話していた内容からして、一方的に通話を切られたようだが……なんか彼女の顔が強張っている。
お小言でも貰ったのかな、なんて思いながらコップに手を伸ばしたところで、小天さんがその手を両手で包んできた。
驚いて顔を上げると、そこにはにっこりとした彼女の笑顔があった。
「あのぉ、帆風さん。……アルバイトにご興味はございますか?」
……冷汗すごいですよ、小天さん。




