広島市在住の現代魔術師
「……ここかな?」
広島県広島市中区の中心街から少し離れた辺り。マンションや一軒家が並ぶ住宅街の一角で、私はスマホを片手に呟いた。
目の前には小さな木造の家、ではなく喫茶店。所謂古民家カフェってやつ。
入口に下げられた『開店中』の文字を確認してから戸を引くと、ドアベルの涼やかな音が鳴っ──
「だぁ───っっ!! まーたカープ負けとるじゃないかクソッタレェェ!!」
……ベルの音を掻き消すように、口汚い罵声が飛んできた。
声の方向に目を向けると、奥で座るプラチナブロンドの長い髪を揺らす女性がテレビの前で立ち上がっているのが見えた。あれが声の主か。
ドアの音で気が付いたのか、彼女はハッとした顔でこちらを見るとすぐに近づいてきた。
「ぃらっしゃいませ。1名様でええかね? こちらの席にどうぞー」
どうやら彼女はここの店員らしく、何事も無かったかのように人数確認をすると席に案内してくれた。恐ろしいまでの切り替えである。
店員がお冷を持ってくるまでの間、店内を見回してみる。
外観と同じく店内も古い木造建築のような装いで、カフェらしく木製のテーブルとクッション付きの椅子は勿論として、小さな図書館のように多くの本棚が席巻していた。そしてそれらを暖色のライトとステンドグラスによる陽光が照らし、レトロでおしゃれかつ落ち着いた雰囲気が漂っている。
しかし他の客は確認できず、閑古鳥。こうして私が見回していても咎める視線は感じない。
(……なるほど。これはたしかに、らしい場所だわ)
事前に調べた通りの隠れ家的佇まいに期待が高まる。
そうして内装を眺めていると、ぱたぱたと足音が近づいてきた。
「いやーお客さんなんて久しぶりじゃ。はいお冷ねー」
「ありがとうございます」
「メニューはそこにあるけえ、決まったら呼んでくださいね」
「あ、ちょっと待ってください」
お冷の入ったピッチャーを出してすぐに引っ込もうとする店員を呼び止める。注文が既に決まっていると考えたのか、すぐに彼女は胸元のポケットからメモ帳とペンを取り出して「はーい」と間延びした返事をしてきた。
「ごめんなさい、注文じゃなくて訊きたいことがあるんです」
「訊きたいこと? あぁ、店内の本は好きに読んでええですけえね。それと日替わりランチは牡蠣フライ定食ですよー」
「お店のことではなく、貴女個人にお訊きしたいことがありまして……」
「ほーなん? この本とかおすすめなんじゃけど」
だから貴女への質問だと……待って、何だその『バンプアップ笠地蔵VSプラナリア吉田』とかいう本は。タイトルもそうだけれど、大きな体格の筋肉質な笠地蔵と白い歯を見せた笑顔でサムズアップしている男のイラスト表紙からしてすげぇ面白くなさそう。
……はっ、危ない危ない。変な本につられて用件が頭から飛ぶところだった。
「そ、その本はさておき、質問なんですが……貴女のその帽子……」
「帽子? あっ!」
私が店員の少女の頭部に視線を向けると、彼女は自分の頭を確認するように撫でてからハッとした顔になった。
そう、彼女が出てきてからここまでずっと被っていた深い藍色の帽子。それはどう見ても……御伽噺の魔法使いが頭に載せているような、先端が少し曲がったとんがり帽子だった。
帽子の存在を指摘された少女は焦ったように外して、そそくさと背に隠した。
「あはは、お恥ずかしい。日除けに丁度ええけさっきからかづいとって──」
「その刺繍、魔術師の家系に伝わる紋様ですよね?」
円錐帽の広いツバに白い糸で刻まれた刺繍。それを問うと、彼女の言葉は止まった。
しかしそれも一瞬で、すぐにまた口が開かれた。
「あー、この刺繍ね。うちの店ののロゴマークみたいなものっちゅうか……ほら、入口の看板の端っこにも書いてあったじゃろ?」
「五芒星に蔦が絡まったデザイン。ルネサンス期のイタリアから派生した、現代まで残っている数少ない日系魔術師一門……『紅常盤家』の家紋でしょう」
きっぱりと断言してみせると、彼女は再度口を噤む。今度は笑顔を貼り付けたまま固まっている。
そのままジッと見つめていると、彼女は根負けしたように表情を緩めて息を吐いた。
「はぁ……物知りじゃねえ、お客さん」
感心したように笑い、対面の席に座る金髪の店員。その表情につられるようにこちらも口元を吊り上げた。
この反応……大当たりだ。
ようやく、私が探し求めていた一族に会えた。これでやっと、私の身体も……!
っと、いけないいけない。
喜ぶのは少し早い。まだ問題が解決したわけじゃないし、そもそも話すらしていないのだから。
浮足立つ心を抑えていると、店員が自分用にお冷を追加しながら話し始めた。
「ほいで、しがない魔術師のお家に何かご用向きでも? 流石に今時魔女狩りっちゅうわけじゃないんじゃろ?」
「ええ、一つ相談事が。魔術師様であれば、きっと解決できるかと思いまして」
「様なんて柄じゃないんじゃけど……で、その相談っていうのは──その手についてかね?」
見透かしたように手袋をしている左手を見つめられ、ドキリと胸が高鳴る。
心を読まれたような奇妙さに目を丸くしていると、彼女は「あ、そうじゃ」と思い出したように三角帽子の中から紙箱を取り出した。
「それは?」
「岡山のお菓子。こないだ近所の垰田さんに貰ったんじゃけど、えかったらどうぞ。あ、お金は取らんけえ安心してね」
「え、ありがとうございむごぁ」
お礼を言うよりも先に粉砂糖のかかった白くて柔らかな菓子を口へと押し込まれた。行動が早い。
あ、美味しい。ありがとう見知らぬタオダさん。
「よし、これで腐る前に消費できる」
「ゴフッ、ゲホッゴホッ」
心の中で知らないご近所さんにお礼を言っていると、ボソッとなんか聞こえて思わず咳き込んだ。
……よく見たら箱の側面に一昨日の日付が書かれてる。おい一応飲食店だよなここ?
「そんなに見つめられとると照れるけえやめてー?」
「……」
「わお、ボケが通じん。で、えーと……その左手、見してもろぉてええかね?」
「いいですよ」
話を戻して、私の左手に再び注目されて迷わず首肯する。
彼女にもよく見えるよう、眼前に手を伸ばした状態にして……勢いよく黒い手袋を取った。
その瞬間、眩く輝く白い光が発動した。
「ぐおおぉぁ!? 目がぁぁ!!」
案の定、至近距離で見つめていた店員は女性らしからぬ叫びと共に床に沈み、転げまわるに至った。
仕返し成功。失明はしないが、初見だとそれなりに驚く光量である。ちなみに私はもう慣れてるし目も瞑っていたので何の支障もありませんよ。
「大丈夫ですかー」
「まったく心が籠っとらん言い方ァ! 初対面でようそんな態度できるね!?」
「それブーメランなの自覚あります?」
そっくりそのままお返しする、とはこのことか。腐りかけのものを食わすのも初対面じゃできないと思いますよ。
「って、そんなことはどうでもよくて。……いやよくはないけど……この左手、どうにかなりませんか? 私、これを治す方法を探してここに来たんです」
手袋を嵌め直して、あらためて問う。
床で転がっていた店員はすぐに立ち上がって椅子に座り直した。
「それを答える前に……どういう経緯でこうなったんか、聞かしてもらってええかね。ざっくりでええけえさ」
「……分かりました」
真面目な顔をしながら期限切れの菓子を頬張る店員に少し呆れつつ、私はここに来るまでの経緯を話し始めた。
高校三年生になってすぐのあの日……お土産として貰った塩を塗り込んだ左手が輝くようになってから早一年。一向に治る気配はなく、病院でもお手上げ状態だった。
高校生活最後の年の隙間を縫って治す方法を探し求めたが、ほとんどめぼしい収穫は無し。……しかし、一つだけ可能性のある話を友人から聞いたのである。
『もしかしたら、なんですけど……魔術なら治せるかもしれません』
彼女の話では、魔術というバリバリのオカルト技術を継承している家系がいくつか存在しているのだという。現代ではほぼ存在しないに等しく、情報もほとんど明るみに出ていないらしい。
その中で比較的容易に情報が手に入り、原因となった塩の入手場所の近くに住んでいると思しき魔術師の家系。それが紅常盤家だった。
ただ、友人がその情報を手に入れたのは既に受験シーズンに入る寸前。遠出をしている暇なんてものはない。
そこで私は進路を急遽変更して、広島の大学へと進学し……こうしてここに辿り着いたというわけだ。
「なるほど。……いや待って、進路まで変えたん?」
「ええ、まあ。早く治したかったので」
簡潔に理由を述べてから、お冷で舌を濡らす。
これ以上付け足すとすれば、元々進学先にあまりこだわりはなく、国立で法学部があればどこでも良かったということくらいだ。皮肉ではあるが、ある意味この左手のお陰で進路が決まったともいえる。
説明を聞いた店員は「はぁ」と驚きや呆れが混じったような声を溢した。
「そりゃまた思い切ったことを……まあ、行動としては正解だったかもしれんね」
「え?」
正解……進路を変えたことが?
彼女の言葉の意味が分からず内心で首を傾げていると、彼女はコップの水を飲み干して口を開いた。
「うん、事情は分かった。確約はできんけど、紅常盤家のやり方でいいんならその左手は治せるよ」
「っ、本当ですか!」
「多分じゃけどね」
聞きたかった言葉が飛び出してきたので、思わず手元のコップを落としそうになる。
曖昧な表現だが、それでも嬉しかった。声を上げそうになる私を制止するように、彼女は「ただし」と言葉を続けた。
「この方法は何回もせんにゃいけんし、時間が掛かるっていうんが大前提。期間はどんぐらいか分からんけど……下手すれば何か月もかかる。それに上手くいく保証はない。それでもやる?」
「はい、お願いします」
彼女の確認に迷わず頭を下げた。
既に見込みがないまま一年駆け回ったんだ。これ以上時間が掛かることくらい覚悟の上だし、治る可能性が0じゃなくなっただけでも万々歳なのだ。
嬉しさで口元が緩みそうになるのを堪えていると、店員はこちらに右手を差し伸べてきた。
「わしは紅常盤小天。よろしくね」
「あ……はい。梧桐帆風です。よろしくお願いします」
お互いの名前を言い合い、握手を交わす。
こうして私は現代の魔術師、小天さんと知り合ったのだった。
小天は山口土産を食べた後で手を拭かないまま握手したので帆風の手にめっちゃ砂糖付いてます。




