空腹と水浸し、そして元通り
「……ん」
目を覚ますと、私は布団の上に転がっていた。
薄暗い部屋の中、僅かな明かりに照らされた天井がぼんやりと視界に映る。
……ここどこ? あ、小天さんの部屋か。
寝ぼけた頭のまま起き上がり、周りを見回す。
うん。何度見ても小天さんの部屋だな。散らかった机に、私が整理した棚と荷物。それと隣で寝てるハル……ん?
「ハル? ……っ!!」
すぐ隣に、大きな身長の親友が背中を丸めて眠っている。
彼女を視認した途端、一気に頭が覚醒してここまでの状況を全て思い出した。
そうだ、そうだった。ハルの精神異常を治すために小天さんと協力して魔術を使って、その後は意識が夢の中に……。
私たちがいたのは一階だったはずだから、小天さんが移動させてくれたのだろう。
(そうだ、小天さんは?)
隣人を起こさないように静かに立ち上がり、そそくさと部屋を出る。
ハルが治ったかどうか気になるところではあるが、本人が寝ている以上それは後回しだ。一旦小天さんを探そう。
廊下の照明が点いているということは、この店のどこかにいるはずだ。多分一階に……。
「ほ、帆風……起きたぁ……?」
「うおぉわ!?」
一階に向かっていると、階段の中腹にぐったりと倒れている小天さんを発見した。轢かれた蛙のような姿に驚いて変な声出ちゃったよ。
いや、驚いてる場合じゃない。なんとか彼女を横から抱き起こし、肩を貸して立ち上がる。
ハルを助けるために行った魔術は初めてのもので、何が起こるか分からないとこの人は言っていた。そして、魔術の失敗や中途半端な成功には副作用として様々な悪影響が残る場合もあると聞いている。
最悪、小天さんもハルのように何か妙なことになっている可能性も……。
「小天さん、大丈──」
『ぐきゅううぅぅぅるるるる……』
「……ん?」
……不安と焦りでいっぱいだった私の頭の中を払拭するように、小天さんのお腹から音が鳴った。
あれ? なんかこれ前もあったような……デジャヴ?
◆◆◆
「ごちそうさま! いやぁ餓死するかと思うたね」
キッチンのテーブルで小天さんは笑顔で手を合わせた。
いつもの調子に戻ったのを見て安心しつつ、私はジュースをコップに入れて彼女の前に置いた。
昼過ぎに作ったパスタを温め直して食べさせると、小天さんはあっさりと持ち直した。
今回の魔術はいつもより消費する魔力が大きかったらしく、襲い来る空腹感も同様だったとのことだ。
「帆風も倒れてしもうたけえ二階に担ぎ込んだんじゃけど……その後限界が来て行き倒れてしもうてさ。完全に動けんくなってしもうて……帆風が早めに起きてくれて助かったよー」
「笑い事じゃないでしょうよ……」
快活に笑っている小天さんを見て、溜息を吐く。
自分の店、それも飲食店で行き倒れて餓死なんて他の人が見たら怪事件である。いや、魔術が絡んでるから実際に怪事件そのものなのだけれども。
ちらりと壁にかけられた時計を確認する。
魔術を実行した時間から大体……一時間くらいか。それなりに経っているな。
「小天さんはその、大丈夫なんですか? 副作用とか、何か異常があったりとか」
「ないない。こちとら由緒正しき魔術師よ? ……でも、帆風こそ大丈夫? なんか変なところとかある?」
「左手」
「んじゃ大丈夫か」
「おい」
軽口を叩きながら笑い合う。
不確定要素の多い状況だったけど、お互い無事ならそれが何よりだ。
だけど……まだあともう一人、無事が確認できていない。
「……ハルは、どうなんだろう」
夢の中で話すことはできた。だけど、あれはあくまで夢の中の話だ。
起きてから考えてみると、あれが本物のハルではない可能性は高い気がしてくる。
魔術の影響は関係なく、ただ私が気を失って明晰夢を見た。そちらの方が現実的でありえることだろう。
どうしよう。ハルが起きて、心が壊れたままだったら……。
不安が押し寄せてくる。それが表情に出ていたのか、小天さんは私の顔を見て少し呆れたような顔つきになった。
「ほんま、帆風は心配性じゃねぇ。また顔が固くなっとるよ」
皿を洗い場に持って行き、蛇口に手をかける。それからこちらを向いて言った。
「大丈夫。わしを信じ『ジャアアァァ──!!』」
……強めに水を出してしまったらしく、小天さんの声は見事に水音で搔き消された。
しかも置いた皿に反射して、顔面に水が掛かりまくっている。キメ顔で水浸しになっていく彼女の状態がおかしくて、思わず吹き出してしまった。
「ぶふっ、くくく……な、何やってんの……?」
「わしの力が強すぎたばかりに……テイク2、いいですか? 自分やれます!」
「っふ……ふふ、あっはははは!」
なぜか一切表情を崩さない小天さんに、とうとう私は笑い出した。
ああもう、この人は本当に飽きさせないな。
(……ありがとう)
一緒に床を拭きながら、心の中で呟く。
きっと、気を遣ってくれたんだろう。だけど直接感謝をしたところで、この人は『何のこと?』とすっとぼけるかもしれない。だから、心の中に留めておく。
「あーびっちゃこじゃわ。風呂入ろうかな……帆風、一緒に入る?」
「遠慮します。……いや『びっちゃこ』って何?」
「え? ずぶ濡れとかの時に言うんじゃけど……あ、これ広島弁か」
「え、可愛い。今度使ってみようかな」
「ふっ……」
「いや小天さんのことじゃ……まあいいか」
ドヤ顔の小天さんにツッコミを入れようとしたが、断念。実際整った容姿をしているから一概に否定できないんだよな。……ちょっと腹立つ。
すっかりいつも通りの調子に戻り、どうでもいい会話に花を咲かせる。
一応さっきまで倒れていたこともあって心配なので、脱衣所まで一緒に向かっていると……
──ドタタッ。
と、二階の方から物音が聞こえてきた。
一瞬二人で訝しんだが、すぐにハッとして階段を駆け上がる。それから部屋に入ると……
「こ、ここが魔術師さんの私室……! すごい、すごいです! わぁぁぁ……!」
薄暗い部屋の中、キラキラとした瞳で小天さんの机の上を見ているハルの姿があった。
「こっちは魔導書? 化学の参考書もある……それに試験管に入っているのは……? あっ! お、おはようございます! すみません、勝手に見てしまって……!」
興奮した息遣いで独り言を呟いていたところで、ようやくこちらに気が付いたらしい。低姿勢な態度で謝罪を述べた。
こちらを見て襲ってこない。話していて嫌な感じもしない。
その姿は私がよく知っている……オカルト好きな女の子。傘百合黄晴その人だった。
「っ……ハル!」
「ぇぁ!? ほほほ、ほかちゃん!?」
思わず駆け寄って、正面から抱きしめた。
ああ、よかった。本当によかった。元に……元に戻ってる!
「ま、魔術師さんの部屋を見られて、ほかちゃんに抱きつかれて……ここが天国でしたか」
「勝手に召されようとしないで。……おかえり、黄晴」
「……はい。ただいま帰りました」
不気味さの欠片もない、優しくて綺麗な笑顔が降りかかる。
その顔を見て、私は安心して彼女から身体を離した。
それからハルは小天さんに向き直ると、申し訳なさそうに眉根を下げた。
「その、魔術師さんにもご迷惑をお掛けして……本当にどうお詫びをしたものか……」
「謝らんでええって。どっちかっていうとお礼が欲しいとこよー」
「お金ですか。分かりました、今すぐATMに行ってきます」
「小天さん最低……」
「いや違っ……そうじゃのおて! まず言うことがあるじゃろうがい!」
……ああ、そういうこと?
まったく、ややこしい言い方をしなければいいものを。
ハルと顔を見合わせて、頷く。そして、口を開いた。
「ありがとう、小天さん」
「ありがとうございました!」
「……ふふ、どういたしまして」
お望み通り、お礼を言うと……小天さんは満足そうに笑った。




