優しさと謝罪、あとどうでもいい会話
「……ハル……」
語りかけてきた友人のあだ名を呼ぶと、周囲の景色が溶けるように消え失せていった。
木々も土も、落ち葉も蛇の抜け殻も消えていく。そしてその代わりに、別の場所へと切り替わった。
白い壁、大きな窓、並ぶ机、そして……壁に張られた黒板。
「高校の教室。こっちも既に懐かしく思えちゃいますね」
そう言って微笑むハル。
その表情は……私のよく知っているハルだ。
「ハル……もう大丈夫なの?」
「ここは夢の中に近いところみたいですから……どうなんでしょうね? ただ、少なくとも今ここにいるわたしは正気ですよ」
少し曖昧な答えを返して、彼女はにっこりと笑う。
その言葉と表情だけで嘘をついていないのはすぐに理解できた。
「っ……」
涙が出そうになって、思わず目元を拭う……が、手は濡れていない。そういえば夢の中だったな。
安心した。いや、まだ安心しちゃ駄目なんだろうけど……まずはこうして、また普通に話せたことが嬉しい。
「ご迷惑をお掛けして……本当にごめんなさい」
「謝らなくていいよ。元々は私のためにやったことだったんでしょ? まあ、小天さんには後で謝った方がいいかもだけどさ」
丁寧に頭を下げるハルの肩を叩いて、顔を上げさせる。
少なくとも、私に謝る必要はない。だって彼女は、私を傷つけながらも助けてくれていたんだから。
「左手の光、ハルが近づいた時だけ光ってたけど……あれってハル自身が仕掛けたことでしょ?」
「……気付かれてましたか」
そりゃあれだけヒントがあればね。
ハルは私を守るのに光も重要なのだと言っていた。あれは多分、『ハル自身から私を守るために必要』という意味だったのだ。
左手の光が極端に強まるのはほとんどの場合、暴走したハルが私に危害を加えようとした時だった。
おそらく、ハルはどこかのタイミングで自分の異変に気が付いたのだろう。そこで彼女は私の左手に魔術で仕掛けを施し、自分という危険から守れるようにしたというわけだ。人の機微に鋭い彼女が自分自身の変化……それも人を傷つけかねない危険性に気が付かないはずがないからね。
「そうですね。わたしは自分がほかちゃんを傷つける可能性があると踏んで、お土産の塩にまじないをかけました。もう自分の意思でほかちゃんから離れるなんてことは考えつくことすらありませんでしたし。……まあ、流石に左手がまるごと光るなんてことは予想外でしたけど……」
「だろうね。あの時ここで二人で叫んだし」
窓際の机を撫でて、思い出し笑いを溢す。
いきなり発光しはじめた手を見て二人で大慌てしたのももう懐かしい。あれが演技だった場合、もはや女優と自称していいレベルだろう。
ただし、演技力という点においてはハルの実力は高い可能性がある。というのも、ハルの異変は本当に今日の午前中まで気が付くことができないほどだったからだ。
精神変異を気合で抑えていたとしても、そこまで普段通りに装うことができるものなのだろうか。
「異変が起きたのはいつからなの?」
「それは……さっき、初めて会った時の記憶を見ましたよね。あの時、ほかちゃんに『好きなことを諦める必要なんてない』って言われたことが本当に嬉しくて……あれ以来、より魔術の練習にのめり込んだんです。それでいつか、助けてくれたほかちゃんに恩返しをしたいと思っていたんですが、その練習中に失敗しちゃったみたいで。気が付けばどんどん変なことを考えるようになっちゃってました」
「変なことねぇ……」
「そ、そこは繰り返さなくていいですから! ええっと、傷つけてでも自分の物にしたい欲というか……自己中心的な執着心と言えばいいんでしょうか? そういった欲がどんどん強くなって、抑えきれなくなってたんです」
ああ、それであんなに力強く握ってきたりとかしてたのか。
心の奥にある小さい欲が大きくなる。本来ならしないはずの行動を取る。小天さんが言っていた通りだ。
「渓流釣りで落ちた時がありましたよね。あの時もほかちゃんを突き落として、動けなくなったところを助けて恩を着せようとする……なんて考えに染まってしまって。でもあの時、ちゃんと光がほかちゃんを守ってくれて安心しました」
「……そういうことだったの」
「本当はもっと別の形でわたしを遠ざけるつもりだったんです。流石に左手が光る状態は不便ですし、ほかちゃんも嫌でしょうから……だから治すために協力は惜しみませんでした。でも、わたしの中の変化はどんどん顕著になっていって……」
「途中から治させないよう方向性を変えた、と?」
「そうですね。傷つけてでも自分だけのものにするという欲望と、ほかちゃんの左手の異常性。この二つが上手く嚙み合ってくれて、手を治さないことを優先して動けたのは僥倖でした」
最初はハルも左手を治そうとしていたけど、直近で差し迫っている私の身の危険への対策を優先したってことか。
それで言動と雰囲気がおかしくなった状態でも手を治さないように言っていたんだな。
本当に彼女は優しい。
蓋を開けてみれば、私を守るための行動ばかり。私のトラウマの理由すらも、私を守るためのものだ。
だけど……肝心のハル自身は傷ついている。
「ねえ、どうして説明してくれなかったの? 話をしてくれていたら、もっと早くどうにかできたかもしれないのに……」
もっと早くに言ってくれていれば、ハルの心は壊れそうにならなくて済んだかもしれない。
いいや、そもそも……最初から相談してくれていれば、私の左手をどうこうすることもなかったかもしれない。なのに、どうして……。
そう問いかけると、ハルは困ったような笑顔を浮かべた。
「だってほかちゃん、言ったら抱え込んじゃうじゃないですか。心配性で考え込んで、自分のことだけじゃなくて、周りの人を助けたり気を遣ったり……そんな重荷、無駄に背負わせるような真似はしたくありませんでしたから」
「無駄だなんて言わないで!!」
大きな声を出した私に驚いたのか、ハルは言葉を止めて丸い瞳でこちらを見ている。
その綺麗な瞳を睨みながら、私は掴みかかりそうな勢いで彼女に近付いた。
「友達なんだから抱え込ませてよ! そっちこそ自分で全部背負い込んでるくせに、私の心配ばかりしないで!」
無理をしているのはそっちの方だ。私なんかより、ハルの方がよっぽどじゃないか。
頭が熱くなったような気分で感情を乗せた言葉をぶつけていく。
「そもそもあんたが早く話していれば、私が傷つくこともなかった! 小天さんに迷惑かけることもなかった! ハル自身が傷つくのだって、もっともっと早くに防げた! こんなに拗れたりしなかった!」
何度も何度も大きな声を出して、私の中の熱を、苛立ちをそのまま投げつける。
そうしているうちにだんだんと熱は収まって、夢の中だというのに息が切れてきた。
それから最後に俯いて、呟く。
「……人に迷惑かけんなって、言ったじゃん。もっと自分を大切にしてよぉ……」
……怒って泣きそうになって、最後は懇願。まるで子どもの癇癪だ。
格好悪いことこの上ない。だけど、言いたいことは全力で言わせてもらった。
少しの間私が黙っていると、ハルが口を開いた。
「ごめん……なさい」
すごく小さな……泣きそうな声だ。
声だけじゃない。顔もくしゃくしゃにして、泣きたそうな顔をしている。
「ごめんなさい。ごめんなさい。……本当に……ごめんなさい……」
ハルはその場に蹲り、何度も何度も謝り続けたのだった。
その後、少し間をおいて落ち着いた私たちは教室の椅子に向かい合って座った。
あの時の放課後のように、机越しに向かい合っている。
ただ……雰囲気としてはあの頃のように朗らかではないが。
「……あのさ。さっきはその……言い過ぎた。ごめん」
「いえ……ほかちゃんの言う通りです。本当にすみませんでした」
机を挟んだ近距離で頭を下げ合う。
それから顔を上げるも、気まずさと恥ずかしさからお互いに視線を合わせられない。……何してんだろう私たち。
「……ほかちゃんがあんなに怒ってるところ、初めて見ました」
「……ごめん」
「いえ、謝らないでください。言われて当然のことをしましたから」
「それはたしかにそうだね」
そこは否定しない。だって私が言ったことだって間違ってないとは思っているし。
そんな私の言い分が面白かったのか、ハルは「ふふっ」と笑みを浮かべた。
「ほかちゃんのそういうはっきり言ってくれるところ、好きですよ」
「私も、ハルの曖昧な言い方も割と嫌いじゃないよ。たまにはっきりしてほしいけど」
「善処します。……魔術師さんくらい色々言えたら、もっとほかちゃんに好かれますかね?」
「あの人、案外隠し事するよ。何かと『内緒』って言って誤魔化したりするし」
「そうなんですか? 少し意外ですね」
「……てかどうでもいいけど、いつ目覚めるんだろうね私たち」
「それもそうですね。わたしはいつ眠ったのかよく分かってませんが、もしかして結構な時間が経ってるんじゃ……」
「夢の中と実際の時間の流れって違うみたいよ? 小天さんの記憶を見た時もそうだったし」
「ま、魔術師さんの記憶に!? なんですかそれ、詳しく教えてください……!」
とりとめのない話が続けられ、いつの間にか気まずさもどこかへ消え去っていた。
まるで高校の頃に戻ったように、のんびりとした談話が繰り広げられる。正直楽しい。
それからダラダラと話し続けて……いつしか私の意識はぼんやりと溶けていった。




