逃走と抱擁、あとバターケーキ
「あの、小天さん。……本当にこれ、必要なの?」
我ながら美味しくできたパスタを味わってから、私たちは店の外に出た。
それから少し歩いて私の住んでいるマンションへ向かい、ある物を取って出てきたところだ。
ハルを元に戻すためには必要な物らしいのだが、生憎と小天さんは持ち合わせがない。だが、偶然にも私の家にあったので取りに来た次第である。
……しかし、これがどういう作用をしてあの子を元に戻せるというのか。魔術への理解が乏しい私は手元のビニール袋に入った箱の中身について考えながら、ただ首を傾げるのみ。
いや、私自身興味があって買ったものだったけど……魔術とどう関係するのかマジで分からん。これをどうするつもりなんだろう。
「とりあえずこれで必要なもんは揃った。あとはさっき言うた作戦通り、黄晴に会ってどうにかするだけじゃね」
「作戦……上手くいくと思えないんだけど」
「大丈夫大丈夫! なんとかなるなるーぅ」
元気にVサインを決めている小天さんには悪いが、私としては不安しかない。
ちなみに小天さんの作戦は以下の通りだ。
私がスマホでハルを呼び出し、紅常盤のカフェに来てもらう。
ハルがどうにか動けないように私がなんとかして捕まえる。
用意した道具と私の左手を使い、小天さんが魔術を発動してハルを治療する。
以上、説明終わり。
……いやちょっと……色々言いたいことが多すぎる。
内容が簡単といえば聞こえはいいが……薄い。ていうかアバウトだ。
細かい部分は省いて説明されたからマジでこの三行分しか言われてないし、杜撰オブ杜撰である。本当に大丈夫かこれ。
……まあ、その辺りの心配は一旦置いておこう。まずは店まで戻らねば。
ということで、来た道を帰っていたのだが……。
「帆風、あれ」
「うん、見えてる。……ハルだ」
私たちが歩いている道の正面。遠巻きだが、ハルの姿が確認できた。
見紛うはずもない高身長、そして美貌である。大通りから外れた住宅街の道とはいえ、歩く姿がすごく様になって見える。
まだこちらに気が付いていないのか、ゆったりとした足取りだ。しかし、このまま行けば確実にかち合うだろう。
予定とは少し違うが、ちょうどいい。このまま一緒にカフェまで来てもらおう。
小天さんも同じことを考えたのだろう。顔を向かい合わせて頷くと、同時に立ち止まった。
「呼び出す手間が省けたね」
「そうじゃね……あ、そういえば一つ説明し忘れとったことがあるんじゃけど」
「ん? 何?」
「黄晴ってなんか、帆風に執着しとった感じだったじゃん? で、今は精神が魔術の副作用で汚染されて、それが進行しよる状態」
「うん」
「ほいで、マリホの時点でだいぶその執着が表に出始めとる状態に見えた。つまりそろそろ……
……帆風を見たら執着心剥き出しで向かってくる頃じゃないかね? 怪我させてでも自分の物にしようとするぐらい、全力で」
小天さんが言い終えた瞬間、こちらを捕捉したハルが駆け出してきた。
それとほぼ同時に、私と小天さんも踵を返して全力で走り出す。
「先に言えよ紅常盤ァ!!」
「うおおおごめんマジでごめん! うっわ後ろ見て帆風、完全に八尺様ぁ!」
うるせえ、後ろ見る余裕なんかあるか!
悪態をつきながらひたすら全力で走る。背後から迫るプレッシャーが凄まじい。
ハルは大人しい性格だが運動神経がよく、足が速かったりする。気を抜くとすぐに追いつかれてしまいかねない。
「ちゅうか、帆風もハルも速ない!? こっちは魔術で脚強化しとるのに結構ギリギリなんじゃけど!」
「高校の時は私とハルで持久走も短距離走も女子ワンツートップだったからね。陸上部より記録は上だったよ!」
「揃ってバケモンじゃん! ていうかなんで息切れてないん怖っ!?」
魔術師に化物呼ばわりされたくねえ。
そんな言い合いをしつつも道を曲がり、横断歩道を渡って川沿いの道へと飛び出した。
たしか……元安川だったっけ? いや、今は川の名前とかどうでもいい。焦って思考が変な方向に飛んでいる。
「どっち行く!?」
「はぁ、はぁ……こっち!」
小天さんに先導され、北へ方向転換。途中で橋を渡り、あと少しでカフェに着く……というところで、一つ問題が発生した。
交通事故で、道が塞がれている。
大型トラックが横転して、通れない状態になっていたのだ。
「「嘘ぉ……」」
目の前の光景に、立ち止まって思わず揃って呟いた。
住宅街が近いことや車の交通がそう激しくない場所なだけあって、野次馬が集まっている。これでは隙間を通るのも難しいだろう。
他にルートがないわけじゃない。だけど、ハルはすぐそこまで迫っている。道を戻っている暇なんて……。
「……やばい」
どうするか相談しようと思って小天さんを見ると、彼女は口元を抑えて僅かに身体を震わせ始めた。
「……小天さん? 大丈夫?」
「だ、大丈夫。ごめんわし、人酔いするタイプで……」
「マジか」
ここにきてまた新情報である。まったく飽きさせない人だ。
そういえば前に本通りを歩いた時もちょっと辛そうにしてたっけ……って思い出してる場合じゃないな。早くなんとかしないと。
しかし、事故で道は使えない。人が多くて小天さんは動きが鈍い。もうすぐハルは迫ってくる。
交通事故の横で殺傷事件、それも左手が光る女が被害者なんてネットニュースで一瞬話題になりそうな見出しだ。そんなのは御免被る。
だけど捕まったら、それも現実になってしまう。どうしたものか──
「──ほかちゃん。なんで逃げるんですか?」
……振り返ると、至近距離にハルの笑顔があった。
思わず叫び声を上げそうになったが、すんでのところで耐えた。危ねえ。
しかしこうして近くで見ても美人だな。友達としても驚くばかりだ。
(って現実逃避してる場合じゃない!)
すぐに正気に戻って後退りした……が、あっさりと左手を掴まれてしまった。
「痛っ……ハル、痛いって」
「逃げないでほかちゃん。無理しないで。変わらないで。わたしに任せて。行かないで……」
微笑んではいるが、目の焦点が合っていない。そんな状態でブツブツと言葉を漏らす彼女は完全に正気を失っているようだった。
その姿を見て、心が痛む、いっそこの場で治してあげられないかとも思うが、周りに人が多すぎる。小天さんの魔術も上手く扱えないだろう。
こうして頭を回している間にも、左手を掴んでいる力が強くなっていく。おかしくなっているハルへの恐怖ではなく、痛みで叫び出してしまいそうだ。
思考回路も痛みに支配され、上手く回らなくなっていく。
(痛い痛い痛い痛い! これ折れるんじゃないの……痛たたた!)
痛い。マジで左手が痛い。
くっそ、こういう時こそ役に立ってほしいものなのに、何が運気向上だっつー話で……そうだ!
閃きと同時に腕を上げて、ハルに光が見えるよう手袋を少しだけずらす。すると、一瞬だけ眩い光が彼女の視界を襲った。
「っ!?」
ハルは拘束を解き、よろめいた。
その隙に彼女から離れて、小天さんの手を取って横をすり抜ける。
……やっぱりこの左手、ハルに対してだけ特に強い光を放っている。
どういう理屈かはわからないけど、これが私を守るってことなの? じゃあやっぱり、ハルは──。
いや、考えるのは後だ。
それより今は急がないと。
「ハル、後でお店に来て。……絶対元に戻すから!」
それだけ言い残して、私と小天さんはまた走り出した。
「帆風、手ぇ大丈夫? ほら冷やしときんさい」
「あ、ありがとう……痛つつ」
氷袋をあてがわれ、少しだけ顔を歪ませる。
かなりの力で握られていたせいか、左手には未だに痛みが残っている。普通なら真っ赤になってたんだろうな……光ってるから分かんないけど。
なんとか無事に紅常盤のカフェに帰ってきた私たちは一旦店の鍵を閉め、キッチンで一息ついている。
光ったのが一瞬だったのもあって周りの人はそれほど私たちに注目していなかったようで、事故現場から他に追ってくる人はいなかった。スマホのフラッシュくらいにでも思われたのだろう。
まあそれはいいとして、束の間の休憩はここで終わりだ。早く準備をしなければ。
ええっとたしか作戦だと……店にハルを呼び出してから、動かないように捕まえるんだったな。
うん、無理。また痛くなるの嫌だ。
「小天さん、ここからどうすんの? 今のハルを動けなくするって、相当難しいと思うけど」
「そこは作戦があるのでご安心なされ」
魔術師、渾身のウインク&サムズアップ。不安しかない。
「……あのさ。この期に及んで我儘かもしれないんだけど、なるべくあの子に怪我させたりとかは……」
「せんよ。超安全安心設計、顧客満足度一位な作戦でお送りいたします!」
ふざけた調子だが、それを聞いて少し安心した。
多少手荒くても仕方がないと思っていたけど、何か策があるというのならそれを信じよう。
そう思って小天さんに耳を貸すと、なぜか小さな声でその作戦とやらを話し始め…………
…………は?
「おいそれが作戦か? 正気か紅常盤? ん?」
「お、お顔が怖いよ? 笑って? スマイルスマイルーぅ……」
冗談としか思えない内容だったので小天さんへ詰め寄った。この状況でふざけてんのかコイツ。
しかし、今小天さんが提案した行動を実行するだけでハルを大人しくさせられるのなら、たしかに誰も怪我をしない。
それに魔術に関しての頼みの綱は小天さんなわけだし……仕方ない、やってみることにしよう。
そんな短い作戦会議を終え、準備を進めていく。
小天さんは二階から準備していた物を持って降りてきて、私の方は家から持ってきた物を指示された通りに準備した。
それから最後に、どういう流れかを今一度確認していると……
『ほかちゃん、魔術師さん。来ましたよー。開けてくださいー』
入口から声が聞こえてきた。
とんとんとノックを鳴らす音。それから、かりかりと扉を触る音がする。
『開けてくださいー。ちゃんと来ましたよー。開け、開けて……開けない、で……開けてくださーい』
言っていることも大きさも不均一な声で、ハルは語りかけてくる。
日が傾く時間帯なのもあって、完全に絵面がホラー映画のソレだ。状況的にはかなり近しいものを感じる。
そんなバイアスのかかった余計な思考はいいとして……ハルは無理矢理押し入ろうとはしてこないようだ。それに、一瞬だが開けないようにとも……。
つまり完全に正気を失ってはいない。間に合うんだ。
「小天さん」
私が名前を呼ぶと、小天さんは頷いて扉へ向かった。
鍵を開けて、私の後方へと退避する。そしてゆっくりと扉が開き……ハルが店内に入ってきた。
「えへへへへ。ほかちゃん、おはようございます! こんばんは!」
「……ハル」
じりじりと近づいてくるハルに押されるように、対峙したまま後退していく。
相変わらず嬉しそうな笑顔だ。しかし、やはり目の焦点はどこかおかしい。
「わたし、追いかけながら考えたんですよ。ほかちゃんはすぐ逃げちゃうから、逃げられないようにした方がいいんじゃないかって」
「……へえ。どうすんの?」
「左手だけじゃなくって、身体の色んなところを変化させればいいんですよ! そうすればほかちゃんは、わたしと魔術師さんしか頼れなくなりますよね!」
「……可愛い顔してエグいこと考えるね。当たり前だけど、お断りだっての」
「心配しないでください。ほかちゃんはわたしが守ります。外に出られなくなっても、どんな姿になっても……ずっとずぅっと、そばにいますから」
なんて重い愛だ。胃もたれしそうだね。
この状態のハルと話すのもだんだん慣れてきた。だけど、やっぱりいつもの彼女の方が魅力的だと思うのは、友人としての色眼鏡かな?
冗談混じりの軟派な台詞を頭の中に並べていると、お尻に何かが当たって下がれなくなった。おそらく、位置的にテーブルだろう。
ハルはその隙を見逃さず、一気に距離を詰めてくる。
「どうかずっと、変わらないで」
そう呟いてから、私の左手にハルの両手が迫る。その瞬間──
「今が好機! 全力でいけぇ帆風!」
──小天さんの声が響いた。
「……ああもう! ダメだったら恨むからね!?」
クッソ、マジでやんなきゃダメか!
半ばヤケクソで覚悟を決める。
そして小天さんの指示通り──ハルとの距離をさらに詰め、飛び込む。
分かりやすく言うと……そのまま抱きついた。
「……はぃ?」
戸惑ったような、状況が飲み込めていないような声が聞こえた。
柔らかさと暖かさに顔を埋めながら、ちらりと見上げると……ハルの顔は真っ赤になっていて、完全に動きを止めている。
顔を赤くしたいのはこっちもだが……いやもうなってるか。しかし、まだ終わりじゃない。
そこから背中に手を回し、ハルの耳元を私の口元に近付けて……
「ハル……好きだよ」
「ヴぁッッッッッ!!!!!?????」
私が小天さんに言われた通りの台詞を囁くと、ハルは機械のバグ音声しみた叫びを上げた。
そしてそのまま停止。身体を硬直させたまま動かなくなった。
そっと身体を離して、顔の前で手を振ってみる……が、反応はない。立ったまま完全に気を失っている。
……マジで通用したよ、小天さんの作戦。魔術師の策、侮りがたし。
「よっしゃぁナイス帆風! 後は任せんちゃい!」
そう言って、念のため隠れていた小天さんがキッチンから出てきた。
その手に持っているのは……私の家から持ってきた食べ物の載った皿とフォーク。
小天さんは食べ物にフォークを刺すと、こちらに近付いてきた。そして……
「食らえ! 広島銘菓……バターケーキ!!」
そう言って、ケーキをハルの口に押し込んだ。




