夢と会話、あと怒声
海浜公園でハルの元から逃走して、どのくらい経っただろうか。
あれから私たちはタイミングよく来たバスに乗り、加古町のバス停で降車。そこからしばらく歩いて、今は平和記念公園にあるベンチで座って休んでいた。
「少し、落ち着いた?」
「……うん」
小天さんの優しい声にかろうじて返事をする。
ここに来るまで表面上は平静を保っていたが、頭の中はずっとパニック状態だった。色々と整理がつかないままここまでやってきて、今ようやく平常心に戻ってきたところだ。
「……教えて。昨日、二人は何を話したのか。どうしてハルがあんな風になってたのか。……さっき言ってた『事情が変わった』っていうのも、関係あるんでしょ」
「もちろん、説明するって約束したけえね。……じゃけど、その前に一つ。多分、帆風にとってちょっとショックな話になるし、混乱すると思う。それでもええかね?」
迷いなく首を縦に振る。
既にさっきのハルとの会話で結構なショックを受けたばかりだ。これ以上何が待ち受けようが関係ない。
そんな私の覚悟を悟ったように小天さんは「分かった」と言って、鞄の中から小さな半透明の水晶のようなものを取り出した。
「これは魔術で作ったわしの記憶の欠片。これを持って、目ぇ瞑っとる状態でわしが魔力を流し込めば、強制的に眠りにつく。そっから夢を見るような感じで昨日の会話が見れるはずよ。話すよりこっちの方が手っ取り早いけえ……はいどうぞ」
……記憶の欠片か。そんな代物まで作れるなんて、魔術って凄いな。
微かに驚いている隙に手のひらに水晶を置かれた。それから言われた通りに目を瞑ると、小天さんが手を重ねてきたのが感じられた。
触れている手が暖かい。
その心地良さを感じていると、そこから溶けていくように私の意識は深く落ちていった──。
◆◆◆
ぼんやりと、景色が浮かぶ。まるでフィルターでもかかっているかのように靄がかった光景だ。
その中で、ここ数週間で見慣れてしまったマンションや道路が見える。
ここは……紅常盤のカフェを出た時に見る場所だ。
『──それで、どういったご用件なんでしょうか……?』
『ちいと確認したいことがあってね』
聞き馴染んだ声が聞こえる。ハルと小天さんの声だ。
超えに反応するように、視界がぶれて移動する。私の意思とは関係のない動きだ。
ああ、そうか。これが小天さんが見ていた景色ってことか。つまり、今から二人が話す内容は……。
『確認、ですか? ……ほかちゃんには内緒で?』
『そういうこと。まあ、こうやって呼び出しとる時点で察しはついとるじゃろ』
小天さんが確信めいた物言いをすると、ハルは口を噤んで視線を逸らした。
そして──
『……帆風の左手、なんで治すの邪魔してきとん?』
──小天さんの質問が彼女を刺した。
『……なんの話でしょうか?』
『こないだ公園で魔術使った時……っちゅうか、その後じゃね。わしが休んどる時、帆風の左手に細工したじゃろ?』
笑顔を浮かべ首を傾げるハルに対して、小天さんはいつもと変わらない声色で断定する。
それからさらに淡々とした物言いで言葉は続けられた。
『別魔力による中和はたしかに数を重ねれば効果が薄くなるけど、まったく効かんくなるゆうことはない。じゃけど、帆風の手を調べたらさらに別口の力が働いとって、わしの魔術効果が中途半端に打ち消されとった。……そんくらい、見抜けんわけないじゃろ』
『その犯人がわたし、と?』
『他におらんじゃろーが。ていうか、あんたの魔力が残っとったし』
……ハルの、魔力?
ちょっと待って、それじゃあハルは……。
小天さんの指摘を聞いた途端、ハルは一瞬だけ笑顔を崩して目を丸くした。
しかしすぐにまた口元を歪ませて、さらに笑みを深めた。……まるで、気付かれたことが嬉しそうな様子で。
それを気にすることもなく、小天さんは続ける。
『読書とオカルトが好きっていうんなら、どっかで魔導書でも読んだんかね? 魔術師ほどじゃないにしても、副作用もなしに魔術を再現できるっちゅうのはほんまに凄いことよ。……でも、扱うことはできてない。やり方が荒いし、細かい技術が足りとらん。悪い言い方すりゃ毛の生えた素人じゃ』
『……』
『そもそも、帆風の手がああなったんもあんたが意図的に起こしたことじゃろ? じゃないと、あんな強い魔力の塊に対して素人がそう簡単に魔術で介入することなんかできんもん』
『…………』
責め立てるわけではなく、ただ平然とした声で淡々と述べる小天さん。対して、ハルは無言で微笑んでいる。
その様子を見て、私の頭は混乱を極めていた。
ハルが魔術を使える? この左手の状態も彼女が意図的にやった?
……どうしてハルは否定しないの?
疑問が頭の中を埋め尽くしていく。上手く考えがまとまらない。
呆然としていると、パチパチと音が聞こえた。
ハルが両手を叩いて、拍手している。
『……すごいです。すごい、すごいです! そこまでお見通しだなんて! わたしが魔術を使えること、今まで誰も気が付かなかったのに……流石は本物の魔術師さんです!』
ハルは小天さんの言葉を認めた。
笑顔で、楽しそうに。
……頭を殴られたような気分だ。
今まで一緒にいて、仲良くしていたのは嘘だったのか? いや、そんなことはありえない。だけど、今の彼女は……。
悶々とした気持ちを重ねながらハルの華やいだ顔を見ていると、彼女は続けた。
『ご明察の通り、ほかちゃんの左手が光るようになったのは、わたしが意図的にやったことです。だけど、彼女を貶めたかったわけではないんですよ?』
笑顔を崩し、少しバツが悪そうに視線を逸らしている。
貶めたかったわけじゃない……とは、どういうことだ?
『あの左手にどんな効果があるのか、既にお分かりですよね? ほかちゃんは迷惑がってるみたいですが、あれは……』
『“加護”とか“祝福”みたいなもんじゃろ? 効果は少ないみたいじゃけど、邪気祓いやら健康やら、あと交通安全とかの。少なくとも悪いもんじゃないよね』
二人の会話を聞いて、また衝撃を受けた。これ、呪いとかじゃなかったのか。
しかし、少し納得がいった気もする。左手がこうなってから多少無理をしても体調を崩さなくなったし、信号機のタイミングなんかも良かったりしていた。ちょっとしたことではあるけど、なんとなく身に覚えがないわけではないのだから。
善意からくる行動だったと分かり、少しだけ胸を撫で下ろした。
ただ、まだ他に疑問は残っている。その辺りは気になるけど……。
私の懸念とは裏腹に、小天さんは右手を差し伸べた。
『帆風のためじゃいうんなら、力貸してくれん? わしとしても光の効果を全部消したいわけじゃのおて、帆風が気にしとる光だけを取り除ければいいと思うとる。どういう魔術使ったんか、教えてくれんかね』
たしかに、ハルが左手に仕掛けを施したのなら、その方法を彼女は知っているはずだ。私自身は運気とかは割とどうでもいいが……それを聞き出すことができれば、すぐにでも光を消し去ることができるかもしれない。
そんな協力を求める握手を小天さんは求めている。
それにハルは手を伸ばして──
『嫌です』
──小天さんの手首を掴んだ。
『っ……』
『ほかちゃんのためなのは運の向上だけじゃありません。あの光も、ほかちゃんを守るには必要なんですよ』
『……本人は迷惑しとるみたいじゃけど?』
『それでも、です。……ああ、いい方法を思いつきました! 魔術師さんこそ、わたしに協力してくださいませんか?』
『……どう協力するん』
『簡単ですよ。左手の魔力を中和する作業をやめてほしいんです!』
名案だ、とでも言いたげにニコニコと微笑むハル。
その顔を見て、私の頭の中は一瞬で冷え切った。
『魔術師さん、ほかちゃんのことを気に入ってますよね? あんな良い人、そういませんもんね! 気持ちはすっごく分かります! でも、手を治しちゃったら離れていっちゃうかもしれませんよね? 作業をずっと中断していれば一緒にいられますし、魔術師さんが倒れなる心配もありません! ああでも、魔術は研鑽と研究が大事なんですよね? それなら魔術を使った後で、公園の時みたくわたしが──』
言葉を並べ立てるハルの声がどんどん遠いもののように感じられてきた。
代わりに、海浜公園での彼女の姿が思い浮かぶ。
──ほかちゃんの左手を治すのをやめませんかって言ったんですよ。
ああ、クソッ。
嘘であってほしかったな。……今更だけどさ。
なんだか鼻の奥がツンとして、涙が出そうだ。
だけど、今私が見ているのは小天さんの記憶。視界がぼやけることはない。それがまた余計に胸をつまらせて、気分を沈めていく。
泣きたいけど泣けない。なんだか苦しい。
ハルの綺麗な顔を見るのが辛くなって、もうこれ以上見たくないな、なんて思った時──
『手ェ離せやわりゃクソボケがッッ!!』
──視界がブレて、小天さんの大声が耳を貫いた。
……ん? いや……んん?
今のって小天さんの声……だよね? なんかすごいドスが利いてて怖かったような……。
い、いやいやいや。そんなまさか。あの人畜無害そうな小天さんに限って、そんなことが
『さっきから黙って聞いとりゃギャーギャー長ったらしゅう話しくさりおってからに……ほとんど意味分かりゃせんのんじゃボケェ!!』
『ひぃ!?』
……そんなことがありました。
ブチギレた小天さん、超怖い。私の視界からは顔が見えないけど、声だけでも十分なほどに。
『おっと失礼。ちいと声出てしもうたわ』
と思ったら、すぐに冷静な声色になって軽く謝った。
凄まじい切り替えだ。そこが一番怖えよ。
ハルも似たような心境なのか、さっきの声で気圧されたのかは判断がつかないが、完全に表情を崩して怯えている。私もさっきまで沈んでいた気分が吹っ飛んで困惑が勝ってるし、気持ちは分かるぞ。
それはともかく、さっき視界がブレた時にハルの手を振り払ったのだろう。小天さんは自分の右手を労わりながら話し始めた。
『帆風のためとかなんとか言うとったけど……結局のところ、帆風本人の気持ちは完全にシカトしとるじゃんか。さっきも言うたけど、帆風は左手のことで迷惑しそうにしとっても感謝しとるとこは見たことない。光のせいで寝不足になっとるし、あんたに怪我さしたことも後悔しとった。そうやって傷つけとるのに、ほんまに帆風のためになるん?』
打って変わって落ち着きを取り戻し、窘めるような口調だった。
それを聞いたハルは顔を俯かせて、小さく呟いた。
『……それでも……ほかちゃんを守れるなら、これでいいんです。きっと……』
垂れた前髪で表情は見えない。だが、辛そうな声をしている。
しかしそれも一瞬で、すぐに顔を上げて綺麗な笑顔を見せてきた。
『すみません。急用を思い出しましたので帰りますね。……これ、お代です』
そう言って五千円札を渡すと、ハルは一礼して足早に去っていった。
その背が見えなくなった頃……小天さんは溜息を吐き、呟いた。
『帆風に、どう説明したもんかね』
その言葉を最後に、視界が大きくぼやけ始めた。




