誤魔化しと狂乱、あと笑顔
「……ハル?」
「はい。黄晴です」
思わぬ人物の登場にポカンとして名前を呼ぶと、笑顔のまま返された。
うん、まあ……高身長で長い黒髪を揺らして目の前に立っている美人はどう見ても私の友人、傘百合黄晴だ。見間違うはずもないし、そりゃそうだね。
ただなんというか、いつもと雰囲気が……?
「お隣、いいですか?」
「あ、うん」
そこはかとない違和感に戸惑っていたが、仲の良い友人には変わらない。首を縦に振ると、彼女は「ありがとうございます」と言って腰を下ろした。
「……」
「……」
「……えーっと……?」
なんだろう。すっごいこっちを見てくる。ニコニコとした笑顔のまま、無言で。
可愛らしいし綺麗な顔だ。でも、身長の高い美人が至近距離でそうしているとちょっと圧があって怖いぞハルよ。
「……ああ、ごめんなさい! ほかちゃんと二人きりというのが久しぶりな気がして、嬉しくてつい……」
沈黙プレッシャーに少し気圧されていると、ハルはそう言って口元を緩ませた。可愛いこと言うなぁこの子。
雰囲気が少し違うように思えたけど、どうやら気のせいだったみたいだ。いつも通りの大型犬っぷりに一安心である。
「それで、ハルはどうしてここに?」
「あ、はい。えっと……少し用事がありましてですね、はい」
……? なんか歯切れが悪いような……訊いちゃまずかったかな。
とりあえず「へー」と適当な相槌を打って、それ以上追及しないことにした。根掘り葉掘りもほどほどにしとかないとね。
「えーっと、えーっと……ほ、ほかちゃんこそどうしてここに?」
「あ、私? 私は、そのー……」
質問を返され、答えに悩む。
小天さんと来ていることは秘密にしてくれって言われてるし、なんと言えばいいのやら。
「えーっと……気分転換、かな? 最近色々あったからね」
一瞬だけ悩んだ末、適当に誤魔化した。が、これは半分嘘であって半分嘘ではない。
引っ越し、大学入学、小天さんとの出会い、魔術に関わる諸々……と、色んなことが立て続けに起きていて、息をつく暇があまりなかったのは事実である。
そういった環境の変化による気疲れといえばいいのだろうか。こうして一人の時間になると少しだけ身体が重く感じる時がある。だからのんびりしている時はスマホも弄らず、ぼうっと景色を眺めたりして気分を落ち着けているのだ。
「……無理、してないですか?」
そう言ってハルは心配そうに眉根を下げた。
それに対して私はすぐに首を横に振る。
「全然。一気にイベントが押し寄せてるってだけで、最近楽しいもの」
口にしてから、ふっと笑いが零れた。
たしかに気疲れはあるが、それは慣れない慌ただしさがあるというだけ。小天さんと話したり、魔術なんかの知らないことを聞けたり……左手を治してもらっている身ではあるけれど、今の環境はすごく充実している。
小天さんには気恥ずかしくて言えないけど、これは紛れもない本音だ。それを伝えたかったのだが……
「いいえ、ほかちゃんは無理してます」
ハルは悲しげな表情を浮かべて、きっぱりと否定した。
その言葉に私が驚いていると、さらに彼女は続けた。
「ほかちゃんは優しいです。だから周りが傷つかないよう、無意識に行動を選択してる時があると思うんです。わたしもそういったところに助けられてきましたけど、ほかちゃん自身の負担になったりするのは嫌で……だから無理に合わせたり、変わろうとしないでください」
顔を赤くしながら、ハルは私の左手を握ってきた。
そんな風に思われてたのか。……たしかに、できるだけ人の負担にはなりたくない性分なのは否定しないけど……。
「……心配してくれてありがとう。でも、本当に大丈夫だからね?」
無理はしていないし、最近楽しいのは本当のことだ。だから、心配しなくていい。
そんな思いを乗せて感謝を述べると、「……分かりました」と不安そうな顔で首を縦に振ってくれた。
ハルの優しさに心を温かくしつつ、手を握り返して……あ、そうだ。
「ところで話は変わるけど、昨日小天さんと喧嘩でもした? なんかあの人、ハルと話してからちょっと態度が変な気がするんだけど」
「え? ええっとその、喧嘩といいますか……わたしが一方的に怒らせてしまったといいますか……」
声を尻すぼみさせながら言われた返答に静かに驚いた。
怒る? あの能天気な小天さんが? 全然想像できないな。
「……あんた何したの?」
「あ、いや……そんなに激しく怒られたわけじゃないんです。ただ、わたしの提案に乗ってもらえなかったというか……方向性の違い的な感じで窘められただけで」
何でちょっとバンドの解散理由みたいなの?
しかし意外だな。あれだけ気の合っていた二人が噛み合わないことがあるなんて。
……小天さんには誤魔化されたけど、余計に何の話をしていたのか気になるな。
「あのさ、何の話してたのか訊いてもいい? 駄目なら無理には訊かないけどさ」
「あ、はい。いいですよ」
あらま、あっさり許可された。
もしかして私には話しづらいことなのかなーなんて思ってたけど、そういうわけでもなさそうだ。ということは、案外くだらない内容だったりするのかな。
あの時はたしか、直前に写真撮影とかしてたし……あ、ハルも着てみたかったとか? それとも衣装についての意見とか言い合って、それで好みが違ったとか?
色んな想像をする私の隣で、ハルはにっこりと笑みを浮かべた。
そしてその唇が揺れて──
「わたし、ほかちゃんの左手を治すのをやめませんかって言ったんですよ」
「──は?」
思わず声が出た。
……今、なんて言った?
聞き間違いとしか思えない言葉が、目の前の親友から聞こえた気がするが。
混乱する私を余所に、ハルは「うーん」と唸って続ける。
「良い案だと思うんですけどね? あの人もわたしと同じで、ほかちゃんのことがとってもとっても気に入っているみたいでしたし。あ、勿論ほかちゃんにとっても良いことなんですよ! だって……このまま変わらなければ、ほかちゃんも無理なんてできないでしょうから!」
薄く開かれた目は嬉しそうにこちらを見つめていて、どこか無邪気さを孕んだ視線が私を貫いている。
何一つ理解できない。言っていることが支離滅裂で滅茶苦茶だ。
目の前にいる彼女は本当にあの傘百合黄晴なのか? それすら疑わしいくらい、理解の外にあるものにしか見えなくなってしまっていた。
ハルが、怖い。
彼女をそんな風に思ってしまうなんて、初めてだ。
「……っ」
思わず離れようとしたが、できなかった。
左手を掴まれている。それも凄い力で。
「わたし、あの人のことも凄く好きです。尊敬してます。だってほかちゃんと似てますから。だからこそ、一緒に幸せになれる方法を頑張って考えて考えて……分かったんです。その左手をそのままにしておくことが一番だって。でも、この話をしたら怒られちゃいました」
「……どうして、左手を治さない方がいいの?」
混乱していた頭が冷えてきて、どうにか口を挟む。
私の反応が返ってきたのが意外だったのか、彼女は一瞬ポカンとした表情になってから慌てたように口を動かした。
「……ああ、ごめんなさい! そこを説明してませんでした。えっと、じゃあ、まずはこの左手がどうしてそうなったかという話から──っ!」
ハルが続きを話そうとした途端、その言葉は中断させられた。
その理由は私が左手の拘束を解いたから、というのが一つ。そして……
手を離した拍子に手袋が外れて、眩い光が放たれたからだ。
どうしてこんな強い光が? ついさっき、小天さんに魔術を施してもらったばかりなのに。
そんな疑問を浮かべながらも、私は咄嗟に右手で目を守った。しかしハルの方は反応が遅れてしまったらしく、驚いて段差から転げ落ち、体勢を崩して自分の目を手で押さえている。
それを見て、いつかの景色が重なる。
川の中、血を流して倒れていた彼女の姿だ。
ひゅ、と自分の喉の奥から音がして、頭の先から冷たくなっていくような感覚に囚われる。それと反比例するように身体中から汗が噴き出て、胸がドクドクと早鐘を打ち始めた。
……ダメだ。ダメだだめだだめだ。あの時みたいになったらダメだ。
助けないと。この子を助けないと!
「っ! ハル、大丈──」
暴れまわる心臓を抑えながら、彼女に駆け寄ろうとした……が、それは叶わなかった。
突然背後から左手を掴まれ、後退させられたのだ。驚いて後ろを振り返ると、
「……小天さん!? は、離して……」
「離さん。ええけ行くよ!」
小天さんは私の懇願を冷静に叩き落とすと、置いてあった荷物をひったくるように持ち上げ、そのまま私の手を引いて駆け出した。
私は何が何だかわからず、鈍化した頭で正常な判断もできないまま一緒に走り出す。
そうしてその場を後にしようとした瞬間。一瞬だけ振り返った時。
ハルの顔が……安心したような、嬉しそうな表情をしていたように思えた。




